思索の森と空の群青

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2017年 07月 26日

危険なのはあくまで軽率な思いこみや先入見なのであって、意見そのものではない——森本哲郎『「私」のいる文章』

 森本哲郎『「私」のいる文章』新潮社(新潮文庫)、1988年。65(1063)

 版元ウェブサイトなし|単行本は1979年にダイヤモンド社

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 27年間、新聞記者として「私」のいない——「私」を抑制した——客観的文章を書き続けた著者は、それに我慢できなくなりました。しかし、「私」を全面展開できる文章を書こうとした途端、その難しさに直面します。

 引用にもある「思ったとおりに書け」という作文指導は何も指導していないに等しいでしょう。わたしもそうした指導を受けました。困惑したことを記憶しています。

16)ぼくのいう「私」のいる文章というのは、〔略〕「私は……と思う」という形の文章、すなわち「私」が考えたり、感じたりしたことをつづった文章のことであって、その考えや感情がどれほど自分にとって明晰であり、どれほどそれを明晰に叙述しえたと思っても、あいまいさを拭い去ることはできないのだ。

17) 文章を書くという作業は、何かについて書くことである。「私」のいる文章とは、「私」について書くことだ。そこでぼくは、新聞記者の習性によって、まず「私」を取材しようと思った。自分を取材して書けばいいと思った。ところが自分自身を取材するのは、たとえば殺人事件について、あるいは火事について、あるいはだれか自分以外の人物について取材することよりも、はるかにむずかしいということに気がついたのだ。

18-9) ぼくは小学生のころ、作文の時間に先生に教わった。「思ったとおりに書け」と。なるほど、作文とは、「思ったことを書く」ことである。けれど、この教え方には問題がある。自分が何を思っているのか、それがだいたい、はっきりしていないからである。自分の思っていることが、つねに自分にはっきりしているなら世話はない。だから、「私」のいる文章を書くためにいちばんかんじんなことは、何を、いつ、どこで、どのように思うのか、ということなのである。いや、それだけでは足りない。さらに、なぜ、そう思うのか、を加えねばなるまい。 ※傍点省略

27)人間は生きるために環境に適応しなければならないのだが、ひとたび環境に適応してしまうと、こんどは環境にすっかり慣れてしまったということが、逆に生きるという実感を失わせてしまう。〔略〕都会というのは、人間を自然から守る装置が幾重にも張りめぐらされている場所のことである。〔略〕自然に対する抵抗感、すなわち適応への努力〔略〕がなくなれば、人間は何かべつのものをそれに代えなければならない。そうしないと、〔略〕〈退屈のあまり〉病気になったり、以上な行動をはじめたりして、あげくの果て、死んでしまいかねないからだ。都会の刺激というのは、その代替物なのである。〔略〕文化とか、人間がつくり出すさまざまな情報といったものは、人間が生きるため、抵抗するための擬似自然なのである。 ※傍点省略

41) 「取材」とは、この世の出来事を自分なりに知ろうとすることである。 ※傍点省略

54)ぼくらはこうした〔価値判断をめぐる〕議論によって、ふだん自分が抱いている価値観の根拠をあらためて反省させられる、そういう意味を持っているのである。相手に向かって自分の価値判断を説くときには、その根拠を明示しなければ相手は納得しない。「彼女はすてきだ」という場合には、そのすてきな理由を挙げなければなるまい。こうして、一見、無意味に思える第三の議論は、ぼくらに価値判断の根拠を反省させるという収穫をもたらす。そして同時に、相手の価値観についての新たな発見と認識を与えてくれる。

79) 取材とは、既成のイメージがべつの新しいイメージに生まれかわる、その道行きのことなのである。

80-1) アメリカのジャーナリスト、ジョン・ガンサー『アフリカの内幕』を書いたのち、アフリカを再訪したときのことだ。彼はアフリカのある国の青年にこう詰問された。
あなたは私たちの国にたった三日間滞在しただけで、よくまあ、われわれの国について報告が書けるものですね
 すると、ガンサーはこう答えた。
そうです。それだから書けるのです。もし私があなたの国に三日ではなく、三年間滞在していたら、私は絶対に記事は書けなかったでしょう」〔略〕
 なぜなのか?
 端的にいうと、ものを書くということは、あきらめるということだからだ。何をあきらめるのか? それ以上知ろうとすることをあきらめるのである。何かについて知ろうとすれば、きりがない。〔略〕だから、どこかであきらめなければならぬ。あきらめて、その時点で、自分なりの結論を下さなければならない。それが、ものを書く、ということなのである。 ※傍点省略

105)ガンサーは後進のジャーナリストに対して、ただひとこと、「書きとめておけ」と説いている。〔略〕その場合、どんな紙を使うにしろ、けっして紙の裏表にメモを取ってはならない、ともいっている。なぜなら、そのメモをあとで整理する場合、どうしようもなくなるからだ。そうしたメモ、数千枚の小さな紙切れを、彼はあとでテーブルの上にひろげて入念に分類する。それを一冊、また一冊とノートに貼ってゆく。

142-3)ジャーナリズムは、まさにそのような「べき」から自由であってこそ、ジャーナリズムたりうるのであり、ジャーナリストは、「ねばならぬ」から離れているからこそ、ジャーナリストたりうるのだと思う。それが言論の自由の本来の意味なのではなかろうか。〔略〕一元的な「べき」のジャーナリズムしか存在しないところに、真のジャーナリズムは成立しない、と私は考える。

146-7) 私は、ジャーナリズムとは、「偏向」の異名だと思っている。偏向していないジャーナリズムなど、ありえない。いや、偏向するからこそ、ジャーナリズムは成立するのである。理由はきわめてかんたんなことで、言論の世界に「絶対的基準」なぞ存在しえないからである。〔略〕事実は無数にある。その無数の事実のなかから、どのような事実を事実としてとり出すか、という段階で、客観的という言葉は意味を失ってしまうのである。なぜなら、その選択はすでに客観的ではありえないからだ。

161)意見というものが、事実の報道をいかにゆがめるものであるか、その例はたくさんあるだろう。だが、危険なのはあくまで軽率な思いこみや先入見なのであって、意見そのものではない。ところが、新聞人は誤った意見を避けようとするあまり、しまいには意見そのものまでを回避するような習慣を身につけてしまったように思う。

165)ジャーナリストの本質とは、たとえ彼がどのように狭い専門領域を受け持つにせよ、つねに批判者であるということである。批判者であることによって、彼は特殊な専門分野を、一般の言論の広場へと解放する。批判者であることによって、彼は取材を担当する個別の分野に普遍の問題を発見する。現代における新聞記者は、現代への質問者なのだ。 ※傍点省略

189)新聞が世論を導くような、また、人びとが新聞の社説をよりどころとするような、さらにいうなら、人びとが新聞にあまりに多くを期待し、そして、新聞がやたらに権威や力を持つような、そういう社会は、まだまだ未成熟な社会だと、ぼくは思う。 ※傍点省略

@研究室

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# by no828 | 2017-07-26 14:46 | 人+本=体 | Comments(0)
2017年 07月 24日

教育も防衛も、憲法、外交の問題も、すべては「子どものため」に進められている。そんな押しつけがましさを感じないか——鈴木邦男『失敗の愛国心』

 鈴木邦男『失敗の愛国心』理論社、2008年。64(1062)

 版元サイトなし|著者ウェブサイト
 

 右翼活動家であった著者の来歴。三島由紀夫とともに自決した森田必勝への疚しさ、というのが著者の再起の原点のようです。著者のご尊父の主張には共感するところがありました。自分の欲求や勝手な使命感を充たすための行為は、自腹を切って、手弁当でやれ、ということなのだと思います。研究もまた、社会的な必要などさまざまに作文することはできますが、そのそもそもの発端というのはそうした行為に含まれるでしょう。

 闘いは言論で、というのが著者の姿勢です。

22) 社会とのつながりがないのだから、自分が住んでいるところ以外の子どもたちのことは何も知らない。ほかの地方では猛勉強してる子どもがいたかもしれない。事故で死んだ子ども、自殺した子どももいたかもしれない。しかし、知らなかった。「情報」がないのだ。情報がないというのは、「事実」がないのと同じだ。「社会」や「日本全体」の問題からは隔離されていたのだ。
 だからといって不満には感じなかった。それが当然だと思っていた。「くらべるもの」がない。「情報」がないのだから、ほかをうらやんだりすることもなかった。

23)「日本の将来はきみたちにかかっている」などと言う。極端な話、教育も防衛も、憲法、外交の問題も、すべては「子どものため」に進められている。そんな押しつけがましさを感じないか。〔略〕「子どもたちのために強い安全な日本にしなくては」。「そのためには強い軍隊を持ち、核武装をすべきだ」と言う人もいる。子どもはダシに使われている。

38) 敗戦直後は、共産党はアメリカ占領軍を「解放軍」と呼んだと言ったけれども、しかし、アメリカは、彼らの指導による「民主化」の行き過ぎを心配した。社共が大きくなり、革命をやられては大変だからだ。さらに日本のこの社共は中国・ソ連と地理的にも、考え方としても近いことを不安に思った。日本が「ソ連圏」に入ったら、アメリカの大きな脅威になる、と考えたわけだ。それで、社共を弾圧し始めた。必然的に、社共は「反米」になる。

78-80) 十七歳〔=山口二矢〕の殺人に共感はしていない。ショックとともに嫌悪感をおぼえた。ただ、「なぜ?」と思った。なぜ同じ年の人間がそこまで考えられるのか。そして、自分の生命を捨てられるのか。確信を持って殺人ができるのか。
 また、こうも思った。国を愛するということは、最後は殺人に結びつくのか……と。「愛」がどうして、憎しみを持った「殺人」にストレートに結びつくのだろう。〔略〕不思議だった。

86)「〔君が代を〕歌わせるべきだと言ってる大人は、自分は歌ってない。そんなことを主張する新聞社、雑誌社でまずやるべきなのに、やってない。大人はやらないくせに、子どもにだけ強制しているのだ。おかしな話だ。

96) 僕にとっての疑問は「宗教と暴力」だったし、「愛国心と死」だった。愛や平和を説くはずの宗教が暴力を認める。国を愛するが故に人を殺す。国を愛するが故に自殺する。死ぬことが愛することなのか。

126)右翼、左翼という前に僕は「大学生」だった。いまと違い、大学に行く人は二割から三割だったろう。恵まれている。だからこそ、恵まれていることに「やましさ」を持ち、運動に入ったのかもしれない。〔略〕
 だから、学生の時だけの右翼、左翼だった。卒業したら九割以上の者が運動をやめる。

136-8)声をかけた「先輩」の僕らは運動の世界から足を洗い、企業に勤めている。声をかけられた「後輩」の森田氏〔=森田必勝。三島由紀夫とともに自決〕はずっと運動を続けていた。そして彼が考えるところの「国」のために死んだ。申しわけない、と思った。うしろめたさを感じた。その気持ちがふたたび僕を運動に戻らせることになった。
「やましさ」を持つ人間たちが集まるようになった。〔略〕といって、仕事を捨てて、すぐ運動に戻ろうとは思わない。ましてや三島、森田氏のあとに続いて「決起」しようとか、「自決」しようとも思わない。悶々としていた。ただ酒を飲むだけでなく、集まりを少しは実のあるものにしようと誰かが言った。〔略〕仮に「マスコミ研究会」という名にして、定期的に集まって、時局的な話をした。学生時代の情熱が少しずつ戻ってきた。
「毎月第一水曜日に集まるようにしよう」と阿部勉氏(「楯の会」一期生)が言い出し、「一水会」と名づけた。楯の会、全国学協、日学同などの出身者の混成部隊だった。かつての葛藤や対立はとうに超えていた。

151) しかも〔重信房子の〕父親〔戦前の右翼活動家。血盟団事件のメンバー〕は、「娘は右翼ですよ」と言っていた。日本赤軍は左翼、それも極左だと思われている。それなのに父親は「右翼」と言っていた。これは、ほめ言葉なんだろう。戦前の右翼は社会悪に対して闘い、この日本を正そうとして命をかけた。正義の闘いだ。そう思っていた。同じことを娘たちがやっている。それで「右翼」だと言ったのだ。

180-2) 「正義は不遜だ
 右翼も左翼も、そして宗教もそうだろうが、「運動」をする人たちは、自分たちが「正義」だと思っている。この世の中をよくする「解決策」を発見し、自分たちだけがそれを持っていると思っている。だから、多くの人にそれを知らせなくてはならないと思う。この運動はその人たちのためにやっている。それなのにみなは気づかない。だから、少々荒っぽい手段を使っても、気づかせようとする。
 考えてみたら奇妙な話だ。二十歳前後の学生が、これこそ究極の真理だ、正義だ、これさえあれば世界を救えると思う。そんな正義を知ったから多くの人にすすめなくてはと思う。不遜な話だろう。でも当時はそうは思わなかった。
 正義を知った。自分は正義だ。その「正義の原液」を持っている。それを多くの人々に分けてやる。そうしたら世界はよくなる。すばらしい世界になる。そう信じて疑わなかったんだ。

183) 「生長の家」の熱心な信者だった母は〔筆者が「生長の家」本部に入ることに〕賛成した。しかし父は反対した。父は「生長の家」の信者ではなかったが、理解はあった。好意を持った傍観者だったと思う。珍しく父が宗教論をした。ほかの人々のために運動をすることを「愛行」と呼ぶが、「愛行は自分の金でやるべきだ」と言う。自分で働いて、そのお金でやるべきだ。職員になって本部からお金をもらい、あるいは他人から寄付をもらってやるべきじゃない、と。

191)「人生の受け身」を教えたらいい。失敗した時、どうするか。死のうと思い絶望した時、どうするか。どう「受け身」をとるかだ。また、「謝り方」も教えたらいい。人間はみな、間違うのだ。その時、素直に謝れるかどうか。「ごめんなさい」と「ありがとうございます」。この二つさえキチンと言えれば、人生は渡れる。極端かもしれないが、そう思う。〔略〕人生の「受け身」については、〔略〕自分を別の角度から見ることだ。客観的に、突き放して見る。これしかない。そして、「そのうち笑い話になるさ」「そのうち『失敗してよかった』と思えるさ」と信じることだ。「そのうち」よくなる。「そのうち」を信じる力だ。

201) さらに江戸時代は、国家としての軍備はなかったのだ。藩には兵隊がいたが、国家を守る軍隊はない。ずっと、「非武装中立」の国だったのだ。

228-9) 「だから、ほかの出版社に鈴木さんをとられる前に、と思ってお願いに来たのです」〔略〕
 いくつになっても、人に「認められる」ことは嬉しい。そういう言葉をかけることのできる人は文句なしに偉い。すばらしい。僕なんてまったくできなかった。日本を救うため、人々を救うためにと思い、愛国運動を四十年間もやってきた。しかし、実際には一人の人も救ってない。一人の人も励ましていない。それどころか、まわりの人に迷惑をかけ続けてきた。 ※おわりに

233)「何がいちばんいやですか?」
 本を読んでる時に邪魔されること。電車の中、喫茶店、駅のベンチ、公園……。静かに本を読みたいのに、みな、僕の邪魔をする。日本中、「私語禁止」にしてほしい。せめて喫茶店、食堂、電車だけでも、静かに読書できる「国立喫茶」をつくるべきだ。国がやらないのなら、「よりみちパン!セ」でつくってほしい。

@研究室

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# by no828 | 2017-07-24 17:27 | 人+本=体 | Comments(0)
2017年 07月 05日

英国のレフトというのは、そもそも金がなくともそれなりに幸福になれる社会を作ろうとした人々だった筈だ——ブレイディみかこ『ザ・レフト』

 ブレイディみかこ『ザ・レフト——UK左翼セレブ列伝』Pヴァイン、2014年。63(1061)


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 英国の映画監督や俳優や歌手たちの「左翼」的な考え方・姿勢を解説しています。つまりは何を大事にするか、ということなのだと思います。著者は、右翼や左翼というのは「物を考えるときの姿勢」とも言っています。日本には本書に示されたようにして思想を訴える著名人——という括り方もどうかと思いつつ——はいるのか、いないならそれはなぜなのか。言葉を受け取る側の姿勢も問われているように思います。

 ケン・ローチの映画を観てみます。

15) 「社会には下層の人間を引き上げるシステムが必要だ」という思想に彼〔ケン・ローチ〕が拘り続けているのは、彼自身が、今よりも階級間の流動性がなかった筈の時代に、オックスフォードまで進むことができたワーキング・クラス・ボーイだったからだろう。チャンスをくれた制度があったから、それを利用して彼はチャンスを掴んだ。が、しかし、そうしたチャンスが、現代の貧しい子供たちや若者には与えられているだろうか。という疑問が彼の映画の中では繰り返し問われる。 ※ケン・ローチ

17-8) 「ポリティクスと映画は切り離せない。どんなストーリーを選んだのか、というチョイスの裏側には必ず作り手の思想やスタンスがあるからだ。ポリティカルな理念やその衝突、そしてリアルな人々の暮らしをリプレゼントすること。それは映像ドラマの重要な役割だ。多くの人々に伝達できる媒体を用いながらそうした問題に取り組まないのは、僕にはどこか無責任に思える」 ※ケン・ローチ

21) 「犯罪とは、若者たちを貧困や疎外された状況に追い込む政治を支持することだ」 ※ケン・ローチ

26) 「この国を見渡して欲しい。大都市から田舎まで、無数の運動や組織が存在している。国立病院を守るため、ホームレスを支援しシェルターを提供するため、難民を支援するため、避難場所を必要とする女性たちを助けるため、障碍者をサポートするための運動が国中に増殖している。これらのすべてが、現在の制度が機能していないことを認識した人々によって運営されているものだ。そのエネルギーを活かし、全ての人々が一緒に働ける方法が存在すれば、『共有』のスピリットに基づく新たな社会のヴィジョンを作ることができる」 ※ケン・ローチ

50)彼〔ローワン・アトキンソン〕は、1986年公共秩序法(Public Order Act 1986)セクション5の施行を強化するどころか、法自体を改正しろと訴えた。同法の「言葉による脅迫や暴行、侮辱」から「侮辱」を取り除くべきだと主張し
僕たちは互いに侮辱し合うことを許されるべきだ
と宣言した。アトキンソンは、
「侮辱を非合法にすることの明確な問題点は、あまりにも多くのことを侮辱と解釈することが可能だということだ。批判、茶化すこと、風刺、オーソドックスな考え方とは違う見解を示すこと、その全てが侮辱として解釈されかねない」
と言った。 ※ローワン・アトキンソン

51) 「人種によって人間を批判するのは非理性的だし、ばかげている。だが、彼らの宗教を批判することは正しい。それは自由だ。例えそれがある人々によって本気で信じられていることであろうと、ある理念を批判するのは、それがどんな理念であろうと自由であり、それが自由社会の基本である」 ※ローワン・アトキンソン

60) 『裸の王様』にしろ、素っ裸で歩いている王様に追従してパレードしている家来たちや、「王様、素敵ねえ」などと言いながら見ている民衆はフランス国民議会的に言えば右側の人たちで、「王様は裸だ」と素朴な感想を述べた子供は左側の人である。しかし、その声をきっかけに民衆が「王様は裸! 王様は裸!」と騒ぎ始めてだーっとパレードにカウンターをかけ始めると、「ちょっと待てよ」とひとり群衆から離れてあの太い眉を吊り上げ、丸い目をぐるぐるさせて次の対抗言論を考えている。ローワン・アトキンソンにはそういうところがある。 ※ローワン・アトキンソン

70) 「これは俺たちの子供や孫の将来に関わる話だ。ある日、孫から『お爺ちゃん、なんであの時に何もしなかったの?』と尋ねられることを想像して欲しい。俺は何もしないわけにはいかなかった」 ※ベズ

70) 「フリー・フード、フリー・ウォーター、フリー・エネルギー、フリー・トランスポート。国民が生きるにあたって最低限必要なものは全て無料にすべきだ」※ベズ

75)サッチャー自身が、党派の枠を超えて「一番出来のいい私の息子」と呼んだブレアである。彼が、「エデュケーション、エデュケーション、エデュケーション」と叫んで英国の底辺層の子供たち(&大人たち)の教育の重要性を訴えた時、彼の頭にあったのは「アンダークラスを抜け出し、キャピタリズムに参加できる子供」を製造することだった。
 が、英国のレフトというのは、そもそも金がなくともそれなりに幸福になれる社会を作ろうとした人々だった筈だ。
 ※ベズ

87) 「核兵器(反対の立場)、宗教(無宗教の立場)、死刑(反対の立場)、AIDS(資金集め)に関して、僕がこれと言った運動を行っていないのは、のべつ幕無しに叫び回って自分にとって最も切実な問題を訴える時にインパクトが弱くなったら困ると思うからだ。そしてその問題とは、世界中の同性愛者たちの法的および社会的な権利の擁護だ」 ※イアン・マッケラン

129-30) 実際、当時のジャズ界で黒人が成功するためには、見ている者を息苦しくさせるほどの意気込みが必要だったのかもしれない。トラッド・ジャズの時代から、英国のジャズ界は「黒人音楽を演奏することを自らの左翼的政治スタンスの表現とする」リベラルな白人たちの世界だった。そしてこのリベラルな世界には、皮肉なことに「本物の黒人」の居場所がなかったのである。 ※コートニー・パイン

131-2)コートニー・パインという人が真にブリリアントであったのは、白人以上に上手い黒人ジャズマンとして世に受け入れられ、一世を風靡するようになっても、決してブラックとしての自分のルーツや、コミュニティ・スピリットを忘れなかったことだ。コートニーの目標は「自分がスターになる」というような限定的なことではなく、UKのジャズ界に黒人を進出させるという広がりを持っていた。だから華やかな営業用の顔の裏で、自分が住んでいるロンドンのコミュニティーでの草の根のジャズ普及活動も同時に行っていたのである。 ※コートニー・パイン

***) わたしもコートニー・パインのように、ローカル・コミュニティーの人々に熱心に何かを教えている人を知っている。その人は、様々な事情で学校に通えなかったり、学校は卒業したんだけど一貫して教師たちに見捨てられていた大人たちを対象に、足し算や引き算、定規の目盛りの読み方などを無償で教えている大学の先生だ。「左翼」というのは、反戦、反核、反格差などのデモに参加して叫ぶ人たちのことだけではない。「左」が社会的公正を求める人々であるならば、彼らはしぜん下方に落ちている人々を引き上げたくなるだろう。「左」が個人の資産を軽んじ、冨〔ママ〕の再分配を重んずる人々であるなら、彼らは自分が所有する知識を個人の資産とせず、それを持たない他者と分け合うだろう。英国にはそうしたことを地べたでやっている「左」さんたちがけっこういることをわたしは知っている。彼らは大声で自分の主義主張を叫ぶことはしないが、地方のコミュニティーの中で自分ができることを黙々とやっている。彼らはサッチャー以降のキャピタリズムの大行進にも飲み込まれなかった奇特な人たちなのかもしれないし、サッチャー以降の時代があったからこそ生まれた反骨の人たちなのかもしれない。 ※コートニー・パイン

138) 「若い頃には、ジャズは最高の音楽だから、演奏する時にはリスペクトの気持ちを込めてスーツを着ていた。だが、今はそう思わない。最高の音楽だからこそ、毎日自分が着ている服を着て演奏する」 ※コートニー・パイン

146-7) 左翼。という言葉は「なんでもかんでも平等にしたい奴ら」とか「ドリーマーの思想」とか言われがちだ。確かに「Nothing is fair in this world」という英語圏の人々がよく口にする言葉の通り世の中はフェアではないし、リアリスティックに言えば人間は平等にはなり得ない。しかし、なぜにそういう蜃気楼のようなコンセプトを人が追うのかと言えば、それは人が金や飯と言った目に見えるものだけのために生き始めるとろくなことにならないからだ。たとえ無理でもメタフィジカルなものを志向する姿勢だけは取っていかないと、人間は狂う。
 キャピタリズムを形而下の事象(金、数字)に拘泥する思想だとすれば、人の平等や弱者救済を提唱する思想(弱肉強食を否定する考え方)は、形而上の事象を重んじる世界とも言える。
政治というのはどうしても商人の世界に傾きがちだ。それもその筈で、政府というのは正しい投資分野を決断して国を効率的に回すという、まさに究極のビジネス運営というか、国という企業の運営だからである。
 しかし、景気だの経済だのといった利益ばかりを追及する国家運営には限界がある。なぜなら、国というのは生身の人間の集まりであり、人間は形而下の事柄だけでは生きられないからだ。物質的なものを超えたところで、何がしかの大義や行動の理由づけがなければ不安になるし、やる気もでない。 ※ダニー・ボイル

151) 五輪の翌年、英国のタモリや明石家さんまのような存在であるジョナサン・ロスの番組に出演したダニー・ボイルは開会式のことに言及され、「あなたは社会主義者ですか?」と単刀直入に聞かれたが、ボイルは「そうは思わない。僕のような(経済的に成功した)立場にある人間が、そうだとは言えない」と答えている。 ※ダニー・ボイル

152-3) Less is more.
 という言葉があるが、ダニー・ボイルを見るとき、その言葉が浮かぶ。ベラベラと主義主張をメディアでディベートするだけがポリティカルな著名人のすることではない。論客。とかにならない人だからこそ、人々は彼の作品を学び、そこに織り込まれたものを解読しようとする。そしてある思想のもとに練り込まれた「作品」は、売り言葉に買い言葉の「ディベート言葉」よりもディープなインパクトを人々の心に残すことがある。彼はけっして寡黙な人ではない。映画や芸術の話になるとひたすら喋りまくっている。だが、ことポリティカルな信条となるとなぜか沈黙する。それは、ビジネス上の影響を考えてのことかもしれないが、ひょっとすると、そのことが彼にとって一番大事なことだからなのかもしれない。 ※ダニー・ボイル

169-70) 「何度も言うが社会主義にもいろいろある。俺が信じている考え方では、社会で最も重要とされるべき側面は、俺たちはインディヴィジュアルだということである。しかしながら、進歩的な税金制度を資金として社会という集団が個人に最低限必要なものを提供しなければ、個人はそれぞれのポテンシャルをフルに発揮することはできないだろう。無料の医療制度や無料の教育、手頃な適当な住宅、しっかりとした年金制度がなければ、インディヴィジュアリティーを発揮できるのはリッチでパワフルな人間だけになって、残りは彼らから搾取されることになる」 ※ビリー・ブラッグ

195) 「新しい王立劇場とか、政府主催のアート・プロジェクトとか、新たな才能発掘コンテストとか、そういったことに国の金を使うな。そんな金があったら、一つでも多く公営住宅や病院を建てるべきだ。低賃金で毎日働いている労働者がちゃんと暮らせる世の中になってからアートのことは考えろ」 ※ジュリー・バーチル

217) レフトとライトというのは、特定の考え方や理念ではなくて、物を考えるときの姿勢のことではないかな。そしてひいては、人としてどういう風に生きたいか。ということなんじゃないかなと。
 ポリティクスでこの問題を持ち出すと「アホか」と言われる時代になって久しい。「国としてどう行きたいか」や「組織としてどう儲けたいか」はちっとも「アホか」にはならないのに、「人としてどう生きたいか」だけが長いあいだアホにされてきた。個人主義というわりには、そっちのほうの個人的命題はずっとなおざりにされてきたから、ガタガタといろいろなことが世界中で起きているのかなと思ったりしている2014年の秋だ。 ※あとがき


@研究室

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# by no828 | 2017-07-05 20:15 | 人+本=体 | Comments(0)