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思索の森と空の群青

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2009年 03月 26日

『明日のEXECUTIVE』

 昨日が大学の卒業式であった、と昨日書いた。

 一昨日、つまり卒業式の前日、今年晴れて卒業を迎える学類の後輩が挨拶に来てくれた。

 「ご挨拶に伺いたいのですが」メイルを読んだときには、卒業式当日の夕方にちょろっと顔を出しますから、ということだと思っていたら、卒業式前日の夕方に行きますから、ということであったらしく、一昨日の夕方研究室のドアのノックのあとにその隙間から出てきた顔に驚いた。ちょうど大学院の後輩たちと珈琲を淹れて話をしているところであった。

 そこでいろいろと話をしているうちに、『明日のEXECUTIVE』(以下、エグゼ)が話題に上がった。

 エグゼはわが学類の紹介誌で、毎年作って企業や高校に配布されるものである。他の学類にも同様のものがあるらしいのだが、学生(その年度の学類3年生)が中心になって編集する紹介誌は他にはない(と聞いている)。わたしもエグゼの編集に関わった。

 件の後輩は(たぶん高校生のときに)、わたしたちの代が作ったエグゼを読んだらしい。

 ジェネレーションを意識せざるをえない。

 一般にエグゼがどのように受け止められているのかわたしは知らないが、わたしにとってエグゼは高校生の頃の「愛読書」で、受験勉強のなか「ここに行きたい」という思いを強くさせてくれるものであった。エグゼにはそれを作った代の学生が全員写真入りで掲載され、「出身」や「研究テーマ」や「一言」なども紹介されていた。それを見たわたしは、先輩たちに憧れた。

 ちなみに、わたしは先輩たちのエグゼを高校1年生のときにもらっている。わたしの通っていた高校でオープン・キャンパスのバスを出すというので、それに乗って大学までやってきたときにもらったのだ。ただ、高校でバスを出してくれるのは2日間あるオープン・キャンパスのうちの1日だけで、しかもわが学類が説明会その他を行なう日とはずれていた。それでも行くだけ行こうと思ってバスに揺られて大学までやってきた。高速道路を降りたあと、黄色い看板が目印の中華料理のチェーン店がやたらと目に付いた。

 大学に着いたら、やはり目当ての学類の説明会は開かれておらず、わたしは他の学類のを聞きに行くという友だちと別れ、ひとり学類の事務に行き、「高校のバスの関係で今日しか来られなかったのですが、資料などいただけますか?」と言って、いろいろもらってきた。シラバスまでもらってしまった。エグゼは資料のなかに含まれていた。

 家に帰ってシラバスを開き、おもしろそうな授業をチェックして「合格したらこれを取ろう」とか、エグゼを見ていろいろな先輩を見て「何だかすごそうだ」とか思った。受験勉強のとき、それを繰り返した。

 わたしは高校1年生であの学類を受験することを決めていたので(、そしてたしかそれ以降高校でバスを出してくれなくなったので)、高3のときにはオープン・キャンパスには行かなかった。

 わたしにとってはそのような思い出のあるエグゼを実際に作ることになったのは、何だかおかしくもあった。ただ、ひとつ上の編集委員の先輩から、「やってみないか?」と言われたときはうれしかったし、実際に他の同期と編集作業をしているときはたのしかった。

 『明日のEXECUTIVE』という名前は故・秋野豊先生が付けたと聞いている。「これ、そもそもどういう意味?」という議論を編集のときにした記憶があるが結局「よくわからないね」ということになり、未だによくわからない。秋野先生は『明日のEXECUTIVE』にどういう意味を込めたのであろうと想像するばかりである。

 
 わたしは自分の紹介にバングラデシュに行ったときの写真を使い(いま思うと表象論としていろいろ議論できそうだ)、「私の野望(夢)」のところに「世界の子どもたちの笑顔を見ること」と書いた。照れくさいことを書いたなあと思うけれど、それは中学以来思ってきたことだし、いまも思っていることだ。



『明日のEXECUTIVE』_c0131823_122571.jpg
わたしたち18期の『明日のEXECUTIVE』
研究室に置いてあって、折に触れてページをめくっている。
立ち返るべきところがそこにはある。



 
 大学院の後輩に見せたら、「これ見たら行きたくなりますよね、やる気になりますよね。院でもこういうの作りましょう」と言われた。「これ作るの結構たいへんだよ」と言いながら、わたしは朝までK棟のラウンジで編集方針を議論したときのことを思い出していた。


@研究室

by no828 | 2009-03-26 12:42 | 日日


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