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思索の森と空の群青

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2009年 07月 06日

共生は終わらない

 昨日のセミナーが終わり、とりあえず一息吐くことができた。

7月3日(金):某公開セミナー発表用レジュメ完成……未済
7月4日(土)早朝:某公開セミナー発表用レジュメ完成……済
7月4日(土)午後:某公開セミナーで発表……済
7月5日(日):某公開セミナーで司会……済

 レジュメは結局当日の朝に完成させた。3日(金)23時過ぎまで粘って一通り書いてから帰宅し、読みなおして赤を入れてから就寝。翌朝7時に研究室に来て修正して完成させた。

 発表自体は、わかってくださる方が数名、あとは全員敵に回した、と思われる。

 セミナーは「共生」をテーマに掲げたものであり、だからそこには「共生」を善きもの・正しきものと捉える方々も大勢いた。わたしはそこで「共生」のはらみうる問題性を哲学的に論じてみた。内容はここで考え書いたこともモチーフにしている(参照:「共生――それは来たるべきもの、そして面倒くさいもの」2009年 05月 19日)。問題設定が強引だと言われたが、論証(論理展開、理由付け)は緻密に行なったつもり。けれど、「共生」を善きもの・正しきものとする人びとにとっては、「おもしろくない」であったかもしれない。

 土曜日は懇親会もあり。21時に終わり、そのあと4名で2次会。某先生に「次行こう。もちろん明日もあるから早めに終わるけど」ということでお誘いいただいたのだが、終わったのは結局1時。0時前に、「あと10分ほどで日付が変わるので、そろそろ締めますか」とわたしが言ったら、某先生は「そうだね、あと1杯で締めよう」。「……(えーっ!早めに終わるって言ったのにー)そ、そうしますかね」。

 結局帰宅できたのは2時過ぎで、そこからシャワーを浴びたりしたので寝たのは3時ぐらい。起床は7時。眠いぜ!

 セミナー2日目は9時から。

 お昼を食べたあとのセッションで眠気が最高潮に達する。

 しかし、最後の全体討論で司会もあるため、発表内容は踏まえておく必要がある。

 全体討論では「共生」の概念規定について。司会はなかなかにたいへんで、概念規定に関する議論にあまり時間が割けず、しかし終了時間を30分超過し、力量のなさを実感させられた。主催の先生からははじまる前に「司会とはいえ、議論ががんがん入ってもらってよいです。昨日のご自身の発表での概念規定もあることですから」と言われていたのだが、そこまで持ってゆくことができず。

 全日程終了。と思われたが、打ち上げがあるということで参加してしまう。

 19時から23時まで同じ店に居座る。

 議論の続きなどもあり、はじめてまともに話す人もおり、愉しい時間を過ごした。

 社会学の先生から、「ハシモト君は教育学者ですか?教育哲学者ですか?自分のアイデンティティはどこにありますか?議論の仕方からすると、教育という営みそれ自体にも疑いの目を向けているようだから、教育哲学者ってわけでもなさそうだけど」と訊かれた。「自分のアカデミック・アイデンティティがどこにあるのかは、自分でもわかりません。既存のディシプリンのあいだを縫うような仕事をしています。哲学からはその仕方を随分と学んでいます」と答えた。「そうだよね、哲学だよね。教育哲学というよりも、哲学だよね」と言われた。

 全部疑ってかかる、という態度は哲学に求められるとわたしは考えている。議論の乗っかっている前提を疑う、「そもそも」の地平に降りる、そこから議論を組み立てる。それは一般に言うところの「メタ」とは違うけれど、メタへの志向性はあると思う。その点において、社会学の持つメタ志向性と通じていると思う。

 だからかどうかはわからないけれど、その社会学の先生と他大学の社会学の院生とわたしの3人は似ている、と言われた。

 やっぱり、社会学者と哲学者は手を組んだほうがよいのだ!

 と言いながらも、わたしは自分を「哲学者」とは呼びたくない。周りから呼ばれることにはまったく抵抗はないけれど、「哲学者」と自称する人ってどこか信用が置けない気がしているのだ。もちろん、そのように言うことは他の人が自らを「哲学者」と名乗ることを妨げるものではない。わたしはただ、わたしがわたしを「哲学者」と呼ぶことには抵抗を覚える、と言っているにすぎない。

 というような議論をしていたら閉店時間の23時になり、会計がひとり6,000円(!)という普段の呑み会に比べてほぼ倍の値段であることが判明した。財布には5,000円しかなく(5,000円あれば何とかなるはずだから新たに引き落とす必要はない、と思っていた。実際、引き落としている時間もなかった)。「5,000円しかないです……」と5,000円払った。誰かが立て替えてくれたかもしれない。あとで差額を幹事役の院生のところに持ってゆこう。

 帰りは歩き。

 だから今日も歩いてきた。梅雨の日の1時間ウォーキングは心地よいものではない。


@研究室

by no828 | 2009-07-06 19:12 | 日日


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