2009年 07月 11日
33(166)石井光太『絶対貧困——世界最貧民の目線』光文社、2009年。 読了日:2009年5月12日 版元 → ● 読み終わった本が溜まってきた。10冊ぐらい。 「良い意味でも悪い意味でも、途上国で起きていることは、そのまま私たちの安全や経済や政治に影響を与えるのです。それがグローバリゼーションということなのです。 今後グローバル化はますます加速していくはずです。その時に大切なのは、海外での出来事を自分たちのこととして考えることです。『遠い国の出来事』として見て見ぬふりをするのではなく、我が身に降りかかってくる問題として受け止め、行動をしていくことです。それが、これからの時代を生きる私たちの義務なのです」(pp. 279-280)。 わたしはそこまでは言えない。 「途上国は特にそれが顕著です。セレブの食べ物、ビジネスマンの食べ物、庶民の食べ物、スラムの住人の食べ物など明確に分かれています。そして、スラムにはスラムの住人しか食べないものとか、調理方法があるのです。スラム食は国や地域によって大きく異なるのですが、どこでも大抵共通していえるのは次のことです。 『火や油をつかった料理が多い』 火や油をつかうのは、鮮度の悪いものを食べられるようにするためです。徹底的に火や油を通すことによってばい菌を殺し、保存期間をずっと長くさせるのです。それができない場合は、太陽で干して乾燥させることで干物にしてから食べるのです。貧しい人はどんなものでも一度熱を通してから食べるということを徹底しているのです」(p. 36)。 なるほどー。 「世界のどの国でも、公共の場で寝起きして暮らすことは違法です。つまり、路上生活は違法行為であり、警察や住民に出て行けと言われれば従うしかないのです」(p. 98)。 「公共」の捉え方、使い方。理論的には、公共の場だからこそ誰でも寝起きできるはずだ、とも言える。日本でも公園に寝泊りするホームレスの人たちを強制排除するということがあったが、公の園である公園は誰もが利用できるはずだ、と言うこともできる。現実には、警察の人や「住民」――ホームレスの人たちは住民ではないのか――にとっては、「ホームレスの人たちが公共空間を私的利用している」ということになるのであろう。ホームレスの人以外の人も「私的利用」しているはずなのだが、そこは分けられる。 アフリカ・タンザニアの路上の産婆。お金を取らずにお産を手伝う女性。 「アフリカでは、みんなお金を目当てに戦争をしたり、虐殺をしたりしている。私は赤ちゃんが生まれてくる時ぐらいはお金に関係なくやってあげたいのさ。生まれた時から赤ちゃんをお金の毒にさらしたくないんだよ。だから、私は路上の産婆で満足なんだ」(p. 117)。 わたしはこれを読んで泣きそうになった。この産婆さんは哲学者だと思う。すべての人が哲学者なのだ。この産婆さんの言葉をあえて理論的に権威付けるとすれば、ここにはハンナ・アーレントの著作を脚注で付けることになるであろう。しかし、そのようなものは必要ないのだ。 「ちなみに、日本人が途上国で物売りや物乞いを前にした時、よく発する言葉があります。 『彼らに一々お金をあげても何の解決にもならないし、キリがない。だからあげるべきじゃない』 たしかにそういう見方もできるでしょう。しかし、彼らの収入を見ればわかるように、みなギリギリのその日暮らしをしているのです。もしあなたが買ってあげなければ、彼らはその日ご飯を食べることができないかもしれないのです。もしそれが何日もつづけば体を売ったり、犯罪行為に手を染めるしかなくなってしまうのです。そうした現実を前に、『解決にならない』とか『キリがない』と言ってたった数十円をケチるのはどうなのでしょう。そもそも、なぜその程度の買い物や喜捨を小難しく、高尚に考えなければならないのか私にはわかりません。 私はもっと簡単に考えるべきだと思うのです。物売りを目にしたら『がんばっているなー』ぐらいに思って、安いものを買ってあげればいいと思うのです。お菓子にしたって、ティッシュにしたって十円とかそれぐらいです。ちょっとぼられたって大した値段になるわけでもありません。 もしあなたが買ってあげれば、きっとすぐに彼らと親しくなることができるでしょう。路上の住処につれていってくれるでしょうし、家族や友人を紹介してくれるはずです。〔……〕 もし途上国へ行く機会があれば、是非軽い気持ちでアプローチしてみて下さい。あなたにとっても、彼らにとってもとてもいい経験になるはずですよ」(pp. 150-151)。 「軽い気持ちで」ということはわたしも思うことがある。「買い物」については、わたしは必要なもの以外は買おうと思わないから、路上でお菓子やティッシュを売っていても買わないし、買ったことはたぶんない。「解決にならない」「キリがない」ということではない。 「喜捨」も、基本的にはしない。「解決にならない」「キリがない」からしないというのではない。どうすればよいかわからないからしないのだ。そして、お金をあげるわたしとお金をもらう彼/彼女という関係を、圧倒的な非対称関係だと感じてしまう。そこで自分が恥ずかしく思えてくるのだ。そこに居心地の悪さを感じるから、しないのだ。 だからこそ「軽い気持ちで」が必要なのかもしれないと思ったりもする。 アフリカ・コンゴの少年兵。 「町の路上にいたって、誰からも相手にされずに死んでいくだけじゃないか。だけど、軍隊にいればみんな僕のことを必要としてくれるだろ。働けば働くだけほめてもらえる。偉くなることだってできる。だから自分の意思で加わったんだよ」(p. 191)。 居場所、承認、希望―― @自分の部屋
by no828
| 2009-07-11 13:51
| 人+本=体
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自省のために。他者の言葉に出会うから自分の言葉を生み出せる。他者の言葉に浸かりすぎて自分の言葉が絞り出せなくなることもある。自分の言葉と向き合うからその言葉は磨かれる。よろしくお願いします。 by no828 カレンダー
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