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思索の森と空の群青

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2009年 08月 05日

恐怖の総合討論

 わたしも発表する8月末の学会のプログラムをさっき確認した。

 何かちょっと場違いじゃない?わたし。

 という発表者の構成になっている。

 分科会自体は「比較・国際教育」部会であり、わたしもここに第1希望を出していたのだが(強いて選べばここがもっとも近そうだから、という理由で)、しかしわたしを含む発表者3人のうち2人が中国の方で、どちらも中国に関する研究発表をされる。

 わたしは中国と関係のない理論的なことを話すのですが。申込みのさいに、発表概要にも書いたはずなのですが。そこに「中国」という言葉は書いていないのですが(「…の中の…」および「……途上国の教育……」というふうに、「中」と「国」を別個には使った……まさか!)。

 それぞれ発表して質疑をして終わり、それなら他の研究発表の内容は気にすることないじゃないか、と思われるかもしれない。が、この学会には(恐怖の)「総合討論」があるのだ。

 9時30分から、ひとり30分(発表20分、質疑10分)の持ち時間で3人が発表するから、11時に終わる。それから12時までの1時間が総合討論に割り当てられる。

 1時間も!

 恐怖である。1時間は無理じゃないか。少なくとも、わたしは無理だ。中国はわたしの研究発表には関わってこない(が、関わらせることもできなくはない。それが問題だ)。


 昨年もこの学会で発表した。発表者3人の予定であったから上記のスケジュールで進むと思われたが、発表者1人キャンセルになり、発表者2人。だから10時30分に終わり、それから12時までの1時間30分が総合討論の時間となった。聴衆も1人を除いてすべて総合討論になった瞬間に退出し、司会の先生1人と発表者2人と聴衆1人の4人で議論することになった。案の定、30分ぐらいで尽きてしまった。分科会としてはそこで解散し、あとは発表者と聴衆でインフォーマルに話をしたのであった。

 今年もそんな予感がする。

 あるいは、司会の先生(2人)が気を遣って、何とかわたしの研究発表内容も討論の中に入れようとしてくださるかもしれない。しかし、それが申し訳なく、何かすみませんという気持ちになると思われる(間違いない)。


 学会の大会運営の仕方を考えたほうがよい。この学会はいわゆる「親学会」と呼ばれる学会で、教育学ではもっとも包括的でもっとも大きい(そしてたぶんもっとも古く、もっとも権威がある)。だが、学会は専門分化してゆくから、個々の研究者がその専門性を活かした発表をするとなると、この総合学会よりも、分化した専門学会で発表したほうがよいと判断されるのが一般的である。だから、発表者もなかなか集まらないし(今回は開催校の院生がかなり発表し、充填されている印象を受ける)、分科会も研究テーマがばらばらの発表者を結構無理に一緒にしている。総合学会として大会を開くことの意味を再考したほうがよい(たとえば、夏期休暇中に「教育学会大会」ということで1週間ぶち抜きで日程を組み、この日は社会学と哲学の日、この日は教科教育と工学・方法学の日、というようにして、教育学者が一同に会する場にすればよいのだ)。

 発表者みんながばらばらの研究テーマなら、逆につなげようもあるかもしれない。しかし、今回は2対1である。2のほうに討論の重点は置かれるであろうし、その2を聞きに来る人のほうが多いであろう。すると、1はどうなる(わたしのことだ)。聞いているだけならよい。勉強にもなるであろう。が、発表者だからきっと振られる。「あなたの観点から言うと、どうですか?」みたいに、絶対来る。

 うう、困った。

 が、空想された恐怖におびえるなと澁澤龍彦先生もおっしゃっていた(昨日引用したばかりだ)。

 わたしはわたしのすべきことをするだけだ。


@研究室

by no828 | 2009-08-05 20:32 | 日日


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