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思索の森と空の群青

onmymind.exblog.jp
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2009年 09月 17日

決着の付け方

 「シルバーウィーク」と呼ぶらしい5日間の連休が近づいている。1日ぐらいは休んで東京で映画を観たい、と思いながらも、研究を進めねばならないし、公募の書類も書かねばならない。とりわけ後者はちょっとたいへん。履歴書、主な研究業績の抜き刷りと要約、研究の来歴、研究・教育活動への抱負は大体どこでも求められるが、今回はこれに加えてちょっとした小論を書かねばならない。しかも、そのテーマが「先行研究でも見たことないぜ」というテーマで、しかもテーマ設定がかなりピンポイント(この視点からこれについて論ぜよ!)だから幅を持たせて書くことも許されない。わたしは「うげー」と頭を悩ませている。誰の研究をレヴューしておけばよいのかもすぐには見当がつかない。でも、何とかするしかない。分野的にかなり合っているところなので、これは出す。

 休みの日。誰かとの約束があればそれで予定は決定されるが、それがないと自分の気分で流れることになり、大体研究室に来て研究することになる。

 もちろん、そもそもカレンダーの上で休みであることは研究を休んでよいということをいささかも含意していない。やればやっただけ、時間をかければかけただけ、人文・社会科学系の、しかも理論的な研究はそういう、一見非合理的なことをしないと先には進めない。もちろん、時間をかけてやったからといって結果が付いてくるとは限らない。が、時間をかけないとできないとも思う。

 だから50代、60代の研究者たちにはすぐには追いつけないと思って諦念しそうになることもある。キャリアに30年の開きがあるのはかなりのものであり、わたしからすればかなりの「出遅れ」である。が、追いつけないとも思っていない。諦念したわけではない。「あなたはまだまだ若いんだから仕方がない」とか「俺は教授だ」とか「わたしはあなたよりも何年も研究やってきてるんだ」というまなざしを向けられると、「追い越してやる」という思いが増幅する。もちろん追い越すことは目的ではない。目的は自分を納得させることだ。60前後の研究者を追い越すぐらいのことをしないと、それはつまり、60前後の研究者が身に付けてきた知をわたしも身に付け、さらにそれ以上のことを身に付けないと、自分自身を納得させることはできないと思っている。自分と決着を付けるためには先輩研究者を追い抜かなければならない。

 最近、研究は自分との決着の付け方のひとつであるように感じている。


@研究室

by no828 | 2009-09-17 21:03 | 日日


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