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思索の森と空の群青

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2009年 11月 05日

ゼミ室でカレー食べるの禁止だって

 ぶるぶる。寒い。

 さっきまで授業をした部屋は、なぜかカレーの臭いが充満している上に、さらにものすごく寒冷であったから耐えがたい。誰だこのゼミ室でカレーを食べたのは、ということになるのだが、どうやら某先生らしい。

 おいおい。

 と言いたいところなのだが、もはや某先生の姿はない。

 それにしても寒い。発言したら声が震えそうなぐらいに寒い。それでも暖房は入らない。集中暖房の点火は「11月30日から」らしい。「規則ですから」ということで、たぶんその前には入らない。

 その規則だっていつかの誰かが作ったのだから、その一時点の恣意の固まりである規則を金科玉条のごとく掲げてそれでおしまいではよろしくない、とわたしは思う。もちろん組織である以上、規則を蔑ろにすれば組織自体が立ちゆかなくなる。が、しかし、わたしは組織の側の人間ではないから、組織の存亡にはこだわらない。だからデモクラシーの観点を持ち出して、「当該規則の決定過程にわたしは参加していないのだから、その規則に拘束される所以はない、点火せよ」と、頭の中で言ってしまうのだ。

 ということを授業中に考えてもいたのだが、最後は発言した。うまく伝わったかしら。
 

 ところで今朝のラジオで、「この秋流行の……」と言っていたのだが、「流行」とは一体何か。どこかに震源地はあるはずであり、それを伝播させたものがあるはずであり、だからそれだって恣意である(この過程を分析してみるのもおもしろそう)。また、流行だから乗らなければならない、ということにもならないとわたしは思うが、流行にはそういう拘束力があることは認めざるをえない。メディアは「流行」を好み、それに従わせるような言説が流布される。が、「流行→乗る」には何らの論理的必然性がないこともまた確認しておいてよい。

 だから好きなラジオの「パーソナリティ」や「ナビゲーター」が「流行の……」とか言うと、ちょっと残念になる。

 別に流行を取り入れても構わない。わたしだって無意識のうちに流行を意識し、取り入れている可能性もある(無意識が流行によって規定されているかもしれないということ)。だからあまり大きな声で流行批判はできないし、流行を大きな声で批判することで、逆にその流行を際立たせることにもなる(批判をするということは、その対象をクローズアップすることにもなる。だからどうでもよろしい対象は批判しなくてよい。批判に足る対象かどうかを見極めよ、ということだ。さらに言えば、本当の論敵を批判することも、戦・略・的・に・は、避けたほうがよい場合もあるかもしれない)。

 いずれにしても。

 流行がどのように作られるのかがわたしは気になる。


@研究室

by no828 | 2009-11-05 14:27 | 日日


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