思索の森と空の群青

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2009年 12月 19日

一度でいいから、女性と接してみたい——大森みゆき『私は障害者向けのデリヘル嬢』

c0131823_1440365.jpg96 (229) 大森みゆき『私は障害者向けのデリヘル嬢』ブックマン社、2005年。

版元 → 


(何だかんだで板チョコを1枚食べきってしまった……。)
 
 某ブックオフにて“ジャケ買い”ならぬ“タイトル買い”。

 30分で読了。

 いわゆる普通の生活を送っていれば触れないこと、そこでは語られていないこと、そうしたことへの想像力。なぜわたしはそれに触れていないのか、なぜわたしの周りでは語られていないのか。

 本書では身体障害者向けの性サーヴィス業について語られている。この主題について、さらにはこの主題を通して見えてくることについて、もっと深められたのではないか、もっと論じられたのではないか、という気が正直した。しかし、著者がそれをしなかった、あるいはできなかった理由にも間違いなく社会的状況は作動している。つまり、そこに触れるための、それを語るための文脈が形成されていないのだ。


 * 引用文中の〔〕内および強調は引用者による。
—————
「わたし」のこと。

「私は、障害者と接してみて、『社会的弱者』などとはまったく思いませんでした。足が不自由、目が見えないということは、もちろん大きなハンディキャップであることは否めません。しかし、性的サービスを通して障害者と知り合った私にとってそれは、背が高い人もいれば、低い人もいる、という程度にしか違いませんでした。
 どのお客様も、健常者とまったく同じように『肌に触れたい、一緒にいたい、性的な興奮を味わいたい』という欲求を持った、ひとりの男性に過ぎなかったのです。それならばなぜ、健常者の男性と分けた<専用>という形でサービスを行うのか? そうしたサービス自体が差別的なのでは? そういう疑問を持つ人もたくさんいるでしょう。私自身、同じ疑問を今、心に持っています
(3-4)。

 何かちょっと違和を感じる。その“何か”がわからない。


「現在、私はその仕事はしていません。〔……〕しかし、こういった世界がある、と知ってしまった以上、もう知らなかった頃には戻れません。性的サービスをする人間としてではなくても、なんとか、身体障害者を取り巻く性の環境を変えていくお手伝いができたらと思っています(5)。

 知の不可逆性ということを考える。知ってしまった以上、知らなかった状態に戻ることはできない。これは真理であるように思う。だからわたしは“知らせる行為”である教育の前で、しばしば立ちすくむ。

—————
 デリヘル嬢になる前に会社勤めをしていてつらかったときのこと。

「医師に今の状態を説明した。
『うつ病ですね』
 風邪ですね、そんなあっさりした口ぶりだった。
 それを聞いて私は安堵した。よかった。私は病気なんだ。うつ病というのは聞いたことはあったし、薄々そんな気はしていた。だからショックではなかった。しかしどこかで会社を休みたいから……怠け心が身体をこんな状態にしているのではないか、そんなふうに自分を疑っていた部分もあったので、ほっとしたのだ
(16-7)。

 病名という安心。これについては前にもここで触れたことがある。病名がないことで自分を責めてしまうということがあるのなら、やはり病名はあったほうがよい。
 “ゆえなく人を分けること”が差別なのだとしたら、その“ゆえ”=“故”=“理由”は明らかにされているほうがよい。“ゆえなく人を分けること”はもちろん自分自身にもあてはまる。自分を“ゆえなく”怠け者に分類する、というように。だから“ゆえ”は明確であるほうがよい。しかしそれは分けることに“理由”を与えることでもある。“だからあなたを分けるのだ”という主張に一定の正当性を付与することにもなりかねない。もちろんその“理由”が適当でない場合もある。

—————
 お客さんである林さんのお話。

「『健常者と障害者も同じです。こういった障害者専用のデリバリーというシステムを作ることは否定しない。だけど、作らないといけない現実がある。作らないといけない、というのは差別があるから。差別や偏見がなかったら、ふつうの風俗店にも入れるし、自由に恋愛や女性に接することもできる。本当によい状態というのは、このようなシステムを作る必要がない社会ではないですか』
 林さんがいうことはもっともだった。ヨーロッパでは、国が制度を作って障害者に性的なサービスを奨励しているところもあるという。しかし、林さんはこう考えるという。
『そういったことがない国からすれば、それはよいこと、すごいこと、と思われてしまうかもしれません。本来そんなことはふつうのことであり、やはりその制度を作るということが差別というか、人々を分けているんです
 そして林さんは、20年以上前に亡くなったという友人の話をしてくれた。
『小中学校の友達でした。生まれつき寝たきりで、24時間介護が必要な状態でした。そのお友達のお父さんというのはおもしろい人で〔……〕、よく居間でごろんと寝ている彼に、「これでも見ておけ」とエッチなビデオを見せていました。僕が遊びに行ったときも。理解があるというのか、それしかしてあげられないというのか……彼は、それを見て「一度でいいから、女性と接してみたい」といっていました。だけど、二十歳で亡くなりました。こういったことは知らずに、亡くなったのです。今から20年以上も前のことですし、当時このようなサービスはありませんでした。そしてなにより、障害者がこういう欲求をいったところで「は? なにをいってるの?」で終わっていたでしょう。だから、この団体のホームページの掲示板に、サービスを受けた人が、「とても幸せな時間を過ごせました」などと書いてあるのを見ると、本当に幸せを実感しているのだろうなあというのがわかるし、彼にも、このサービスを受けさせてあげたかったなあ、と思うのです』」
(130-2)。

 死んでしまった「友達」の「お父さん」が「エッチなビデオを見せていた」、それを見ていた林さんの「それしかしてあげられないというのか」という感想がひどく切なく感じられた。親が子にしてあげたいこと、実際にしてあげられること、そのあいだで親は苦しむのかなあ……。

 それに、「友達」の「一度でいいから、女性と接してみたい」という希望も、ものすごく切実なものとして現前してくる。

—————

 いろいろおかしなことがある。それに対しては「おかしいよ」と声を上げたほうがよい。もちろん声を上げるためには労力が要る、時間も要る。おかしい状態を作り上げたのは<わたし(たち)>ではない。にもかかわらず、その<わたし(たち)>が声を上げなければ、労力と時間を投じなければ、現実は変わらない。悲しいけれど、本当に悲しいことだけれど、それが現実なのだ。
 社会運動の手記などを読むと、「おかしい」と声を上げ、その運動に一生を投じた人が出てくる。もし社会が「おかしい」状態でなければ、その人は別様の人生を送ることができたはずだ、もっと幸せを感じることができたかもしれない——わたしはそう思い、世界は何て不条理なんだと思うのである。

@研究室
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by no828 | 2009-12-19 20:12 | 人+本=体 | Comments(0)


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