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思索の森と空の群青

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2010年 01月 21日

大学時代に読んだ本470冊——佐高信『青春読書ノート』

 暖かいんだか寒いんだか。

 5(238)佐高信『青春読書ノート——大学時代に何を読んだか』講談社文庫、講談社、1997年。

 大学4年間(1963-67年)で読んだ本470冊の記録。

 中には再読、再々読の本もあるから厳密には延べ470冊。

 また、たとえば1冊の中に収められている短編・中編もそれぞれ「1冊」と数えられている(物理的な実体としての本1冊に5編収められ、それをすべて読んだら5冊とカウントされる)など、“それ”を“1冊”と数えてよいのかどうかやや微妙なところもある。

 さらに、470冊には授業ないしゼミで必要に駆られて読んだ本(専門書)も含まれている。大学院生の身分になってみると、“その本を冊数に入れるのはいかがなものか”と思ったりもするが(だって読んで当たり前だから)、“学部生では数に入れたくなるよなあ”とも思う。もちろん専門書の冊数を数えるのはよい。専門書とそれ以外を一緒くたに数えるのはいかがなものか、ということである。専門書や論文も読了分を数えておけば、“これだけ読んだんだ”と、あとで自信にもなるであろう。

 いずれにしても。

 この本を読み、“大学に入って読んだ本とその冊数を記録することは、自分の糧を数値化・量化して捉えることになり、自信にもなる”と思った。“自分もしておけばよかったなあ”、“この本にもっと早く出会っていれば絶対記録していたのになあ”と思った。

 大学に職を得たら、学生たちにぜひこの本を薦め、記録することも勧めよう。 

 というわけで、というのは記録集なので、ということだが、今回はとくに引用はしない。

 と思ったが、この本の趣旨から外れたところで引用。


家庭教師をすることになった赤羽の酒屋の主人は、次のようなことを言った。
「今、朝日新聞で『マッカーサー回想記』を載せているが、その中で、マッカーサーは、“あの時、天皇制を廃止したら、日本には、ゲリラや抵抗がおこったろう”と言っているが、あれは誤っていると思います。国民は長い間、耐乏生活が続いて、本当に、もう戦争に飽き飽きしていたんです。だから、天皇制を廃止しても、何も騒動など、おこらなかったと思いますね。もう、“生きる”ということしか、考えていなかったし、また、“生きたい”と思っていたんですよ。——人間は、特攻隊なんかで、死ぬときまった時に、天皇陛下の為にとか、考えませんね。もう、そのギリギリのところまで、追いつめられたら、動物的になりますね」
 我々は戦争の厳しさを痛切には感じてはいない。戦争を経験した者にとっては、平和など、当然の要求なのだ。当然、そうあらねばならぬものなのだ。

■(60-1)

 ちなみに、著者が慶応義塾大学法学部時代に住んだ寮(山形県庄内地方出身者向け)の先輩に、教育社会学の門脇厚司先生がいる。昔、わたしの在籍している大学の先生をしていた人である。会ったこともその授業に出たこともないが、『子どもの社会力』という本は読んだ。
 で、当時東京教育大学の学生だったその門脇先生が、この本に「門脇さん」というかたちで所々に出てくる。著者も「門脇さん」から読むべき本を含め、いろいろと影響を受けたと書いている。そのためかどうかはわからないが、著者は“教育”についても関心を持ち、途中本気で教育大学に入りなおそうと思ったりもしたようだ。実際に入りなおすことはなかったが、卒業後には郷里の高校教師になっている。著者が編集者経由で評論家になったのはそのあとのことである。

 ただ、「門脇さん」を批判しているところもある。と言ってまた引用する(短くね)。


 ストリッパーに同情の念も起きないという門脇さんや忠針さんの鉄面皮を、はいでやりたいような思いに駆られる。まさに、彼等こそは、上すべりに、モラルやヒューマニズムを説く現代のインテリゲンチュアである。
■(58-9)

 評論家・佐高信はこのときすでに顔をのぞかせている。


@研究室

by no828 | 2010-01-21 15:02 | 人+本=体


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