思索の森と空の群青

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2010年 02月 08日

崩してもなお丁寧であることは難しい

 最近寝付きが悪い。眠れない。日々の不満と将来の不安? 無駄に韻を踏んではみたが、それでどうにかなるものではない。

 研究室に来てパソコンを立ち上げたら、返信を要するメールがいくつか着便していた。また、新たにメールを送信せよという指令が携帯電話に届いた。

 というわけで、書く。メールとはいえ、書くのに時間がかかる。書くにあたっていろいろ考えてしまう。だから時間がかかる。これは携帯電話の場合でも一緒。

 以前、調査の必要からメールでやり取りをはじめ、以後も当分はメールだけでやり取りしていた方がいた。その後直接お会いすることになり、お酒なんかも呑んだわけだが、そのとき「ハシモトさんって、メールすっ〔っっっっっっっっっっ〕ごい丁寧だよね?」と言われた。若干の皮肉も入っていたと思われるが、“あ、そうなのか”って思った。自覚していなかったから。

 丁寧であることは距離を感じさせることでもあるとは思う。が、わたしは丁寧(だと相手が受け止めるようなこと)からしか関係をはじめることができない。時間が経ち、関係性が深まるにつれて丁寧さの過度/角が取れていくことはもちろんあるが、丁寧さが抜けないままの関係性が維持されることもある。後者はつまり、そこまで打ち解けられていないということでもある。

 ただ、仲良くなってもわたしはあえて丁寧さを維持することがある。それはなぜかと言えば、丁寧さがおかしさを含むものであり、それが冗談にもつながると考えているからだ。それをわかってくれる人もおり、わかってくれない人もいる。まあ、わかりにくい冗談なのであろう(Don't mind.)。

 過度/角の取れた丁寧さを自在に操れるようになりたい。丁寧であることは肩肘張っているということでもあり、それはおそらく文面にも反映される。それは読み手を強ばらせることにもなるかもしれない。だから崩したほうがよいかもしれない。ただ、崩すことと丁寧さを省くことは同義ではないであろう。丁寧さを残しつつ、崩す。そういう道筋もあるはずだ。しかし、その塩梅はよくわからない。

 だからこそ、一気にフランクになれる人を敬遠しつつも、同時に羨ましいと思う。それでそういうふうになれたらいいなあと思い、そういうことを試みたこともあるけれど、やっぱりうまくはいかないものなのだ。わたしにはわたしに合った距離の縮め方がある。それを無理に破る必要はないと思うようになった。それでうまくいかないのなら仕方がないし、うまくいったのならそれはたぶん長く関係性を保つことができる人なのだと思う。


@研究室 
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by no828 | 2010-02-08 14:51 | 日日 | Comments(0)


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