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思索の森と空の群青

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2010年 03月 10日

チェコ語だけ話していればいいというには、ぼくらの国は小さくて弱いんです——岸惠子『30年の物語』

 今日の移動で読了。着席できたときは赤線引けるから学術書、起立が求められるときは小説その他。

 これは後者。

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 版元

 23(256)岸惠子『30年の物語』講談社文庫、講談社、2003年。
 * 単行本は1999年に同社より刊行。

 著者は女優。フランスでの生活経験あり。わたしはこの方をNHK朝の連続テレビ小説「こころ」で知ったのだと思われる。とても素敵な方だなあという印象を持った。それは今でも変わらない。

 ちなみに、著者の本はたぶん3冊目。


 見てくれる人もいないのに、思いっきりオーバーにポロンポロンと泣きながら、破れた恋のネックレスをひきちぎった。
 そんな大袈裟なアクションをするまでもなく、ネックレスはちょっと引っぱっただけで、ぽろり、とかんたんに切れてしまった。
 純金は混じり気がないから脆いのだと、あとになって人から聞いた。
 十九の乙女にも混ざりものがないのだった。
大人の男や女が、どう思案しようが嗤おうが、ことばを尽くそうが、十九の乙女は、あとではとり返しのきかない見事な脆さに生きていた。

■(25)


 1968年のプラハでふたりの医学生に“ドルをお持ちなら公定価の5倍で買いたい”と話しかけられる。


「もうすぐ旅行も自由になるんでしょうに、なぜそんなに急ぐんです。なぜそんなにドルが欲しいんですか?」
 フランス語の私の問いに、フランス語を話すシャタンの子が、呆然とした眼差しで私を見つめた。
「ソ連が黙って見ていると思いますか?」

 ソ連は黙って見ていなかった。ワルシャワ条約をふりかざして、ソ連戦車が同盟五カ国軍を従え、チェコスロヴァキアに踏み入ったのはそのときから三カ月経ったその年の八月二十日の深夜、翌日には全土を占領下に置いていた。無残なほどの早業だった。
〔略〕
「二人とも、どうしてそんなに英語やフランス語がお上手なの?」
 シャタンの子が、少し挑戦的な眼ですくい上げるように私を見た。
「フランスや日本とはちがうんです。チェコ語だけ話していればいいというには、ぼくらの国は小さくて弱いんです」

■(93-4)

 プラハについては加藤周一『言葉と戦車を見すえて』も参照されたい。


 ソ連に占領されたチェコには、その後、当然のようにソ連共産党ブレジネフ書記長の傀儡となり下がったチェコの新政府による「正常化」がはじまり、さまざまな迫害を受けたクンデラ〔=ミラン・クンデラ〕が亡命先のフランスで『笑いと忘却の書』を発表するや、チェコスロヴァキア政府はクンデラの市民権までを剥奪したのだった。
 このときからの二年間、クンデラは国というものを持たない無国籍者となる。
 彼にフランスの市民権を与えたのは、一九八一年に社会党政権を樹立した、ミテラン仏大統領だった。

■(96-7)

 へえー、知らなかった。



 東欧、特にワルシャワやブダペストには大学に優れた日本語科があるのだ。
 政情不安な弱小国は、自国語だけではやっていけないのである。
 弱小国でなくても、「まずは近隣の敵を知れ」は、古代から日本の名将の知恵であったはずなのに、どういうわけか、第二次世界大戦のとき、日本は適性語である英語を教科書や日常生活から抹殺してしまった。
 敵を知るべし、から拒絶すべしという愚作をとった軍国日本の罪は重い。私たちは未だにその後遺症をひきずって、大事なサミットや、国際会議で影のうすい日本代表者に情けない思いをする。

■(99)

 研究上の批判においても同様のことが言える。



 ヨーロッパの富める国はどこもそうであるように、今の若者がやりたがらない労働のほとんどすべては他民族である恵まれない国からやって来る出稼ぎ人でまかなわれている。
■(240)


@研究室

by no828 | 2010-03-10 20:07 | 人+本=体


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