思索の森と空の群青

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2010年 04月 24日

看護とは、人間を人間らしく生かし、また人間らしい死を可能とする人間の仕事である——増田れい子『看護』

c0131823_18275941.gif36(269)増田れい子『看護——ベッドサイドの光景』岩波書店(岩波新書)、1996年。


版元


 講義用の勉強のため、が主。人の生(老病)死には関心があります。

 看護から見える人間の姿。なお、文中ではすべて「看護婦」の表記であるため、引用文でもそれを踏襲する。ちなみに、今は「看護師」と呼ばれる。


 Aさん〔=看護婦〕努力して実らすことがあたり前でね、実らなければさらに看護婦の努力が必要です。患者を責めることはできません。看護婦というのは常に努力することと結果を求められている。そして、よい結果が出ても評価されることは少ない。自分で自分をほめ、財産としてしまいこんでおくだけです。
■(47)


 Aさん 病気を克服して健康をとり戻すたたかいをするにあたって、看護婦というのは患者がどういうものの考え方をするひとか、いち早く察知するセンスが非常に求められるんですね。
 そこをつかみ、患者の個性にあわせていかにテンポをつくっていくか、こんな言い方したら何ですが、そのとき看護の醍醐味を味わうことができる。
 ——センス……ですね。
 Aさん まさにセンス。〔略〕
 看護婦にも看護独特のセンスが絶対に必要だと考えているんです。要するに感性の深さが、いい看護を生むと……。そのセンスは、学校の勉強や現場での経験はもちろん、遊びのなか、芸術を楽しむなかでみがかれるのですから、そのつもりで感受性を豊かにしていかないと、センスは身につかないと思います。
 〔略〕〔しかし〕看護婦にはまだあまり問われていないような気がします。一般のひとが、まだそれを看護婦に求めないでいるということもある。
 看護婦なんて患者のお手伝いさんだと思っているひとがいっぱいいますからね。
 ——医師のほうは、医師の手伝いするのが看護婦だと思っている。

■(56-7)

 「感情労働」という言葉が想起される。それにしても看護師って、一体何をする仕事なのか。


 Aさん 〔略〕患者には治ろうと努力する役割があるのです。
 そのへんをじわじわっとわかってもらうように介入するのが私たちの仕事で、これは大変見えにくい部分です。
 ——なるほど。その看護婦さんがそばに来てくれると、治りたくなる、治りそうだと希望がわいてくる、生きる意欲が出てくるというような……。

 Aさん 私はそれをすき間を埋める……と言っています。病気と患者の間にくさびを打ち込むような看護。見えにくい、得体の知れないものだし、やらなければやらないですんでしまって、一般的にはそこをとやかく批判されることはないのです。
 ただほんとうに質の高い看護は、それなくしては到達できませんし、それなくしては考えられません。
でもそういう看護ができるまでには、すくなくても十年は経験がいる。現場でさまざまな患者と遭遇し、死や恢復を見て、そのなかから学んでやっとできてゆくことです。その前にたいてい疲れて燃えつきるのですね、看護婦というのは。

■(58-9)


 ゆとりがほしい。ゆとりがないと、患者の内面まで思いやる看護はできませんものね……とBさんは声をおとすのだった。体重は四〇キロ台を上下して五〇キロをこえたことは一度もない。
■(116)

□日本で准看護婦になったヴェトナム人難民の女性の言葉。
 教育を受けることは、宝石より大事、教育はダイヤモンドより上です。勉強あれば、何も要らない、そう思った。
■(142)


 マニュアル通りでいい場合と、マニュアルにプラスアルファする看護と……。
 「パタパタ、マニュアル通りにやってしまえば、それは“ビジネス”で終わっちゃう。考えてやってはじめて“看護”になるのではないか……
 そうだろう。ただ、そういう看護を可能にするには、看護する側の心の内側がうるおっていなければならない……うるおいのある心からうるおいのある看護の花が咲くように思う、とGさんは自分の心のうちをのぞくような面持ちで語りついだ。
 「感性をゆたかにするっていうことなんです。〔略〕看護婦に必要なのは、看護の技術の習得だけでなくて、人間世界を広く知るチャンスではないかと思ってます」

■(182)

 あぁ、なるほど。


 〔略〕根治をのぞめぬ場合にこそ、ケアの本領が発揮できる。
 「早くらくにさせて、早く」
 患者にそんな悲痛な言葉を決して言わせないケアを。
Iさんたち緩和ケア病棟は、それを目ざしているのだ。

■(208)

□エイズ患者専門の看護婦Jさんの言葉
 でも、いまようやく病気をなおす過程は、医師の技術とか薬剤とか手術とかそういう医療だけではなくて、病んだ人間がいかに意欲をかきたてて生きようとするか、それが恢復やいのちの維持に大きく作用すると言われるようになってきました。これは大きな発見であり、転換なのです。
■(218)


 生と死。はじまりと終わり。まるで違う局面のようでひとつだけ同じところがある。生を享けた瞬間、死に至った瞬間を当事者が認識することも記憶することもないという点である。
■(225)

 人間は、だから基本的に受動的な存在なのだ。他者あっての人間なのだ。


 看護とは、人間を人間らしく生かし、また人間らしい死を可能とする人間の仕事である。
■(236)

 看護師は、自分の感性を総動員しなければならない——

 上のような言説が空間を占めることによって、逆に看護師の方々を苦しめていくような気がしないでもない。もちろん、上の言葉にあるような看護がなされればすばらしいと思うが、しかし……。

@研究室
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by no828 | 2010-04-24 19:02 | 人+本=体 | Comments(0)


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