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思索の森と空の群青

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2010年 04月 28日

落したのはおれだけど、裁いたのはおれじゃない——本田靖春『誘拐』

 雨は上がった模様。

 毎週月曜日の電車の中は読書時間。往復で2冊行けるかもしれない。

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 版元

 39(272)本田靖春『誘拐』筑摩書房(ちくま文庫)、2005年。
 * 単行本は1977年に文藝春秋より刊行。

 ザ・ノンフィクション。昭和38(1963)年3月31日夕方に起きた「吉展ちゃん誘拐事件」を扱ったもの。なお、犯人は昭和8(1933)年1月福島県石川郡生まれの小原保(おばら・たもつ)。文中にも「須賀川(すかがわ)」や「母畑(ぼばた)」など、福島出身者としては聞き覚えのある地名が出てくる。

 事件発生からおよそ2年ののちに犯人逮捕。被害者は死亡。小原があやしいということになったこともあったが、逮捕までは相当な時間が経ってしまった。簡単なことはほんの少しの“ずれ”で一気に難しくなる、と思った。

 以下の引用は、小原に最終的な白/黒を付けるための捜査検討会での1コマ。平塚八兵衛は体制を一新させた小原3回目の捜査に加わる。1・2回目の捜査陣からの反発から(何で今更、小原は白だ)、また、小原の人権擁護の観点から、3回目の捜査は難しくなることが予想された。


 勢いの赴くところ、第一回の捜査の批判へつながって行く。その指揮をとった佐久間俊雄警部としては、聞き逃すことが出来ない。
「とんでもない。当時、キヨ子〔=小原の愛人〕は口が堅くて、散々てこずられたんだ。二十万円の件も、しつこく調べた末に、やっとわかったんだよ」
 平塚は、それをきいて、こう言い放った。
「佐久間さん、やっといわせたかどうかは知らないが、キヨ子が申告しているのは事実でしょう。私は事実についていっているんです。やっといわせるか、簡単にいわせるかは、刑事の技術上の問題にしか過ぎません」
〔略〕
 白か黒かをめぐって、議論はまじわるところがない。槙野刑事部長は、興奮気味の検討会を打ち切った。
 強制捜査は認められず、別件逮捕もいけないということになって、平塚は不満であった。これを武藤がなだめ、その武藤を津田が支えた。だれよりも苦しい立場にいたのは、津田であった。
 首脳陣の慎重論と内部からの批判は、この新任の捜査一課長に重い負担となった。そして、心労のあまり、ついに眼底出血を起こすのである。
 だが、彼は、新しい捜査陣に心中の悩みをあらわさず、もっぱら激励を送り続けた。
「私は君たちの捜査能力を信じています。小原に少しでも不審な点がある以上、徹底してやってみて下さい。問題が起きたときには、私が責任をとります。そのために私がいるわけなんですから」

■(275-6)

 平塚の意見は厳しいが、的を射ている。プロっていうのは、そういうことなのかもしれない。それから誰が上司かというのは、仕事をするさい非常に重要なポイントであるように思った。

 小原には死刑判決が下る。昭和46(1971)年12月13日、刑執行。享年38。以下は本文の最後の場面。


 処刑の日、平塚は係長警部として府中刑務所の三億円特別捜査本部にいた。その彼に宮城刑務所の佐藤と名乗る看守が、電話で保の遺言を伝えて来た。
「真人間になって死んで行きます」
 一日、平塚は保の墓参りに出掛けた。生家の裏山に「小原家之墓」はある。だが、保が眠るのは、そのかたわらの、土盛りの下であった。
 花と線香を上げて、胸をつかれた平塚は、手を合わせることを忘れていた。そして、短く叫んだ。
「落したのはおれだけど、裁いたのはおれじゃない」

■(347)

 そして本田の「文庫版のためのあとがき」の最後の文章。


 最後になったが、きわめて不幸なかたちで人生を終わった二人の冥福を改めて祈りたい。
■(355)

 “罪を憎んで人を憎まず”と言ってしまうと、あるいはありきたりに響いてしまうかもしれないが、これらふたつの文章ではそういうことが言いたかったのかなぁと思った。 


@研究室 

by no828 | 2010-04-28 16:22 | 人+本=体


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