思索の森と空の群青

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2010年 10月 23日

お勝は毎日、風呂敷に石板と石筆、弁当を包んで山本小学へ通った——宇江佐真理『アラミスと呼ばれた女』

c0131823_18585270.gif75(308)宇江佐真理『アラミスと呼ばれた女』講談社(講談社文庫)、2009年。
 ※ 単行本は2006年に潮出版社から刊行された。

版元

 時代は、攘夷運動、大政奉還、戊辰戦争へ。場所は、肥前長崎、江戸、仙台、蝦夷と行って、再び江戸、長崎へ。

 主人公は、フランス語の通詞(通訳)として榎本武揚率いる幕府軍に付いた女性・お柳(りゅう)。男装して通詞の任務にあたったお柳はフランス人から「アラミス」と呼ばれた。ちなみにアラミスは、フランスの小説家アレクサンドル・デュマの『三銃士』に登場する女性的な男性の名前、らしい。

 著者はこの本をノンフィクションとして書きたかったようだ。というのも、戊辰戦争の頃に男装してフランス語の通詞に就いていた田島勝という女性がいたらしいからだ。だが、彼女の存在は史料の中には描かれていない。だから史実・事実を記述することができない。ゆえに著者はこの本をフィクションとして書いた。しかし、本書には「田島」という名前の男性が通詞として出てきたり、お柳の娘がお勝と名付けられていたりするなど、“史実・事実”の一端を組み込もうとした著者の姿勢がうかがえる内容となっている。

 女性は歴史(the history)から消されてきた、と言うと、ポスト植民地主義というかスピヴァク的というか、そういう話とも接続していけるのだが、ここではそれはしない。ただ、田島勝という人の人生もひとつの歴史(a history)として描かれるようになればとの思いを読後に強く持った。もちろん宇江佐さんによってひとつの物語(a story)としては描かれたのではあるが、実際のところはどうであったろうかと、やはり思ってしまうのである。



 日本の近代化は教育の機関に波及し、明治五年から学校制度が敷かれた。文部省はフランス、アメリカに倣い、全国に小学校を開設して教育の普及に努めた。
 明治六年の全国の小学校数は一万三千に上った。とは言え、就学率は男子で四十六パーセント、女子は僅かに十七パーセントにしか過ぎなかった。
 数え年七歳になったお勝は明石町の小学校へ通っていたが、そこは、官立ではなく、江戸時代の手習所〔てならいどころ〕を踏襲した小規模な私塾だった。お勝は毎日、風呂敷に石板と石筆、それに弁当を包んで明石町の山本小学へ通っていた。
 山本小学の師匠の山本東斎は、御一新前は幕府の祐筆を務めていた六十過ぎの男で、暖かく〔ママ〕思いやりのある人物だった。東斎は居残りさせてまで弟子達を指導する熱心な面もあったので、父母達の評判は高かった。お柳もお勝を東斎の所へ通わせてよかったと思っていた。

□(281-2)

 学制でもって新しく学校が設置されることもあったが、こういう私塾が官立(政府立、行政府立)学校として接収・回収されていった側面もある。

 ちなみに、バングラデシュでもそうであったことを修士論文のときに先行研究で読んだ。バングラデシュでは「接収法」という法律ができて、それに基づいて篤志家などが建てた“小学校”を行政府の管轄下に置いていった。

 ちなみに(2回目)、引用文中で日本の学校制度はフランス、アメリカに倣ったとあるが、具体的には、フランスには教育行政(中央集権制とか学区制とか)を、アメリカからは学校制度(小学校があって中学校があって高校があって大学があって、とか)を輸入した。

 ちなみに(3回目)、平成22年度の小学校数は22,000校(国立74校、公立21,713校(うち分校270校)、私立213校)で、総数は平成12年度からずっと減少している(もしかしたらその前からかもしれないが、手元にあるデータが平成12年度からしかない)。だが、私立の数は少しずつだけれど増加している。少子化で学校統廃合だって言っているのに、なぜだ? 私立に“逃げる”人の数は増えているのかなぁ……。

 出所:平成22年度学校基本調査(速報値)
 ※ クリックすると文部科学省のウェブサイトが開きます。

@研究室
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by no828 | 2010-10-23 19:09 | 人+本=体 | Comments(0)


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