2011年 01月 25日
ここのところ当ブログのアクセス数が増加しております。どうもありがとうございます。どのような経緯で当ブログに行き着かれたのかは、アクセス解析をしておりませんためにわかりませんが、「森博嗣」あたりがキーになっている気がしております。昨年末は、“ビールが好きな人の読書ブログ”のようになり、今年に入って“考えたことをときどき長々と書く人の読書ブログ”のようになっており、投稿内容の多様性が失われつつありますが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 □□□ □□ □ というわけで、大学院の授業から戻ってきた。 今学期は多文化主義に関わる近年刊行された英語の書物を読みすすめていくことで、近年の多文化主義の議論を追跡する、その傾向を掴む、ということをしている(気付けば来週はわたしの発表の番だ。配布資料などまったく作っていないぞっ!)。 今日は某後輩の発表で、その主題を大きく言うと“批判的多文化主義の授業実践”であった。授業実践には(教育学専攻のくせに)あまり関心がない(← おい)。教えたいと思うことのある人がそれをやっぱり教えたいと思って実際に教えるというのが教育の基本であって、流行りの方法論とか技術論とか生徒の反応とかにはあまり関心がない(← おい)。教師が自らの教える内容を心から愉しいと感じ、それが児童・生徒にも伝染し、かつ、教師と児童・生徒とのあいだに知の圧倒的な落差・隔絶があると児童・生徒が感じたとき、児童・生徒はその教師をすごいと思って学びをはじめる。そしてその教師は「先生」になる。非常勤講師の授業でも話したが、ひとりで先生になることはできない。教師になりたい、先生になりたいと熱く思っている人ほど、自分ががんばればすばらしい先生になれると思っているふしがある。だが、自分だけでは先生にはなれない。自分を先生と呼んでくれる人がいてはじめてその人は先生になる。もちろん、制度上「教諭」である者は日常的にも「先生」と呼ばれるが、それはやはり制度上のことであり、悪く言えば慣習であり、惰性である。わたしがここで持ち出してきている先生という語の意味は、児童・先生がその人を本当に先生だと思って、だから先生と呼んでいる、そういう場合に限られる。 話が逸れた。今日の授業の話、というか、今日の授業に出たわたしの話。 今日の発表者はレジュメの中でデリダを引いていた。ジャック・デリダである。「脱構築」とか「歓待」とか、そうした概念で形成されるデリダの思想と、批判的多文化主義の議論とがレジュメの最後のほうで接続されていた。 それでわたしはコメントを求められそうな予感がし、実際「このあたりは誰に振りたいとか、そういうのはありますが」ということであったが、「とりあえず自由に議論しましょう」ということになった。 議論の途中、先生はイマニュエル・レヴィナスの「他者」概念をも口にし、“これは完全にわたしに何か発言せよと言っているようなものではないか、権力だっ!”と思ったわけだが、結局何も発言しなかった。 わたしの場合、発言したいとき、発言すべきとき、発言しなければならないときには身体がそれを知らせてくれる。鼓動が速くなる。何かこう、来るというか、訪れるというか、降臨するというか、そういうのがある。“あ、これは俺が言わなくちゃいけないことだ”という感覚が生じる。それがあると、発言する。 だが、それがないと発言しない。今日のように外堀を埋めるかのように発言を求める権力作用を前にしたときでさえ、何も言わない。言うとすれば、「何もありません」である。 これはわたしの能力の低さをも意味している。何も頭になくても適当に口から出まかせでもよいから作文して発言するということができたらよいと思うことがある。また、何も発言しないことは、ありうる対話の可能性を閉ざしてもいる。適当に言ったことであっても、それを受け止めて何か返してくれるかもしれない。そこから対話が生まれ、問題の本質へと接近していくこともあるかもしれない。だが、わたしにはその糸口になりうる“とりあえず何か言ってみる”ができない。強いて言ってみたこともないではないが、そういうときはたいてい本質を外す。 今日はその“来る”感覚がまったくなかった。だから今日は何も言わなかったのである。今日“も”何も言わなかったと言ったほうがよいかもしれない。 @研究室
by no828
| 2011-01-25 19:49
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自省のために。他者の言葉に出会うから自分の言葉を生み出せる。他者の言葉に浸かりすぎて自分の言葉が絞り出せなくなることもある。自分の言葉と向き合うからその言葉は磨かれる。よろしくお願いします。 by no828 カレンダー
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