思索の森と空の群青

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2011年 04月 23日

人を愛したり子供を慈しんだり群れを成し社会を作ることは人間性ではない——森博嗣『有限と微小のパン』

c0131823_1555464.gif21(343)森博嗣『有限と微小のパン The Perfect Outsider』講談社(講談社文庫)、2001年。


版元


 S&Mシリーズ第10弾(最終作)。前半から中盤に掛けて読者に一定の認識枠組みを構築させながら、物語の後半、すなわち事件の解決の局面では、その枠組みを一次元上回る(メタの)認識枠組みを被せてくる。その二重の認識枠組みのあいだのずれ、それこそが仕掛け。



 人間だけが本能を乗り越える。本能を封じ込める。本能に逆らえる。それを犀川は「人間性」あるいは「人間的」と呼んでいる。人を愛したり、子供を慈しんだり、群れを成し社会を作ることは人間性ではない。むしろ、我が子を殺す意志こそが人間性だ。あらゆる芸術は、この反逆に端を発しているのである。
□(96)


〔略〕人間よりも速く、高く跳び上がり、力の強い動物たちが地球上には沢山いるということです。人間の価値はそんなものじゃありません。動揺に、記憶の量や正確さ、あるいは計算の速度も、道具を用いることによって改善できる。では、何が残っているでしょう? それは、研ぎ澄まされた思考だけです。この世で比類のないものとして、人類に与えられた最高の機能。コンピュータを駆使しても、将棋の名人にはかなわない。誰が、どんな道具を使っても勝てないのです。彼らこそ、正真正銘の覇者なのです」
〔略〕「僕は、天才と呼ばれる人たちを何人か知っています。実際に会って話もしましたけど、よくわからない。話をしても、その才能がどこからきたものなのか、そして、今どこにあるのかさえ、まったくわかりませんね。だけど、彼らに共通することが一つありました」
「共通すること?」
「ええ……」空になっていた萌絵のグラスに、彼は琥珀色の液体を注ぎ入れた。萌絵はその液体を見つめる。氷が音を立てた。
混ざっていない」塙理生哉は下を向いたままそう言った。
「混ざって……、いない?」
「そうです。人格が混ざっていない」グラスを萌絵の前に置き、彼は煙草に火をつける。「人格だけじゃない、すべての概念、価値観が混ざっていないのです。善と悪、正と偽、明と暗。人は普通、これらの両極の概念の狭間にあって、自分の位置を探そうとします。自分の居場所は一つだと信じ、中庸を求め、妥協する。けれど、彼ら天才はそれをしない。両極に同時に存在することが可能だからです

□(126-7)


「〔略〕天才は計算をしても答を出さない。彼らは、計算式そのものを常に持っている。我々は答しか持たない。これが、凡人と天才の差です。だから、コンピュータにも真似ができない。計算しない計算機なんて作れない」
□(129)


大きな声を出せる人は、小さな声も出せます。速く走れる人は、ゆっくりと走ることもできる。では、理解できる人は、理解できないことも、できるのではありませんか?
「できないと思います。一度知ってしまったら、それを忘れることはできません。宝石が偽物だと知ってしまったら、もう満足することは不可能です」
「それは、想像力が不足しているのではなくて、想像力が過剰なのです。貴女の認識は正反対ですよ。いいですか、つまり、想像力をコントロールできないことに起因した障害なのです」
「博士にはそれができますか? ものを意図的に忘れたり、わざと深く考えない。そんなふうに想像力をコントロールすることができるのですか?」
「ええ」真賀田四季はあっけないほど簡単に頷いた。

□(238)


「意味のないことをする、ということ自体が既に不思議です」
「いや、それは錯覚だ。意味のないことを面白い、やる価値がある、と考えるのが人間の高尚さじゃないか
「高尚なのですか? あの殺人が……」
「少なくとも、知能の低いほかの哺乳類はしない」犀川は答えた。「極めて人間性に根差した行動といえる。きっと、芸術的な価値があったのだろう」

□(348-9)


すべての問題は、現実と理論のギャップに帰着する」犀川は淡々と言った。「したがって、問題の解決には、通常、二通りのアプローチが存在する。現実を変更するか、あるいは、理論を変更するか、そのいずれかだ」
□(573)

「僕は、二通りしかない、とは言っていない」犀川は煙を吐きながら言った。「通常は二通りだ、と言っただけだ」
「それ以外に、問題を解決するアプローチがあるのですか?」
「ああ……、通常じゃない、三つ目のアプローチが存在する」
「どうするのですか?」萌絵がきいた。
「確かに、問題は、常に現実と理論のギャップにある。このうち、理論とは、ある意味で不動だ。我々が作り出したものだから、我々の言葉で記述できる。しかし、現実はそうではない」犀川はまた煙草をくわえ、煙を吐き出した。「我々が観察しているものは、はたして現実だろうか?
先生は、私たちが夢を見ているっておっしゃるのですか?」萌絵が言う。
 牧野洋子と反町愛も犀川を見つめていた。
 彼は、煙草の煙の行く先に、視線を移す。
それを自問するアプローチこそ、三つ目の手法だ

□(575)

 この「三つ目」は、「反省」という哲学の方法、だと思う。


〔略〕「〔略〕躰と意識、フィジカルとメンタルの境界が、関連性を追求するほど曖昧になるのと同じように、実現象と純粋情報の境界も非常に不確定だ。フラクタル的に入り組んで、上位が下位に繰り返される
「現実と情報がですか……」
「白い犬がいるとして、それを現実としよう。しかし、白い犬がいることを目で見たら、もうそれは映像という情報になる。白い犬がいる、と言葉にすれば、これも情報だ。観察され、単純化された情報であって、既に現実ではない」
「自分の目で見たことは、その観察者にとっては現実に近いものと認識しても良いのではないでしょうか。そうでなければ、現実なんて存在しなくなります」
そう、現実というのは、観察事項から推測された理論の中に存在する」犀川は答える。「白い犬を見たとしても、向こう側は見えない。その瞬間、向こう側は白くないかもしれない。しかし、犬の毛の色が瞬時に変化する機構を有していないとする実測結果と、躰の左右でちょうど色分けされている犬はあまりいない、という過去情報からの統計的推測によって、それを白い犬だと単純化する」

□(647)


「〔略〕僕らは、博士の頭の中にいるんだ」
「頭の中に?」
「どこで考えているのか、という話をさっきしたね。脳細胞の間の信号のやり取り、CPUの中の電子の移動、それ自体が、思考という物理現象だ。思考とは、ネットワークのアクセス現象であって、それはどこにあっても良い。場所を限定しない。器を限定しない。社会全体が自分の頭脳だと認識することも可能なんだ。きっと、真賀田博士はそう考えているだろう。僕が思いつくこと自体、その証拠といえるね」
「わかりません」
僕が考えて僕が動く。君が考えて君が動く。それも、博士の思考の一部なんだ。博士の頭脳は、博士の躰の中にあるんじゃない。現に、僕らだってコンピュータを使うことによって、思考作業の一部を既に躰の外に出しているだろう? コンピュータも、ほかの人間の頭脳も、さらに偉大なる頭脳の、有限かつ微小な細胞に過ぎない
「それが、真賀田博士の目的なのですか?」
「そうだ」犀川は頷いた。「自分の頭脳を拡大し増強する。それ以外に、生きている目的はないだろうね」

□(660-1)


〔略〕「先生……。私、最近、いろいろな矛盾を受け入れていますのよ。不思議なくらい、これが素敵なのです。宇宙の起原のように、これが綺麗なの」
「よくわかりません」
「そう……、それが、最後の言葉に相応しい」
「最後の言葉?」
その言葉こそ、人類の墓標に刻まれるべき一言です。神様、よくわかりませんでした……ってね
「神様、ですか?」
「ええ、だって、人類の墓標なのですから、それをお読みになるのは、神様しかいないわ」
「驚きました。真賀田博士がそんなことをおっしゃるなんて」
「矛盾が綺麗だって、言いましたでしょう?」
「ああ、そうか」犀川は微笑んだ。「なるほど、僕は……」
「飲み込みが遅い」四季は微笑んだ。

□(826-7)

@研究室
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by no828 | 2011-04-23 17:35 | 人+本=体 | Comments(0)


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