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思索の森と空の群青

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2011年 04月 26日

彼らには彼らで殺しあってもらう。わたしたちの世界には指一本触れさせない——伊藤計劃『虐殺器官』(後)

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23b(345b)伊藤計劃『虐殺器官』早川書房(ハヤカワ文庫JA)、2010年。
※ 単行本は2007年に早川書房より刊行。

版元




 後半行きます。


「終末医療に関する意志が不明であり、宗教をお持ちでない以上、お母様の治療を継続するか——はあなたに決めていただくしかありませんね」
〔略〕
 だれか、決めてくれてないんですか、とぼくは言った。正直に言うと、涙声だったと思う。ぼくは怖かった。そんな灰色の領域を放置しておいて、いまごろぼくに決断を押しつけるだなんて、医学はいったいなにをやっていたんだ、と思った。
 もちろんそれは医学の責任ではなかった。たぶんそれは、哲学の仕事のはずだ。けれど、腹の立つことに哲学にとってテクノロジーは重要な要素ではなかった。テクノロジーが人間をここまで分解してしまっているのに、哲学はいまだ知らんぷりをきめ〔ママ〕こむばかりだった。
 ぼくは決めたくなかった。いままで多くの人間の生死を決め〔ママ〕ておきながら、ずいぶんと身勝手な話なのはわかっていたが、それでも実際に愛する人間の生き死にを決めてくれと言われれば、うろたえるしかない。脳死、という言葉で白黒がついた時代はまだ、幸せだった。生と死のあいだに、これだけ曖昧な領域が広がっていることなど、誰も教えてはくれなかった。

□(199)


「でも、ぼくのなかに女性を強姦してしまう遺伝子があったとして、きみをめちゃくちゃにしてしまったら、それは遺伝子のせいじゃないのかい。ぼくが子供のころ虐待を受けて、その結果、愛情や利他行為というものの価値をじゅうぶん認識できなくなって、シリアル・キラーになってしまった場合、それは育った環境のせいじゃないのかい」
「それは違うわ。人は、選択することができるもの。過去とか、遺伝子とか、どんな先行条件があったとしても、人が自由だというのは、みずから選んで自由を捨てることができるからなの。自分のために、誰かのために、してはいけないこと、しなければならないことを選べるからなのよ
 ぼくはルツィアの顔を見つめた。どういうわけか、ものすごく救われたという思いにとらわれた。自分がしてきたことが肯定されたわけじゃない。自分がしてきたことの罪が消えたわけじゃない。
 ただ、自分がそれらを選んできたということを、誰かに罪を背負わされたのじゃなく、自ら罪を背負うことを選んだのだ、ということを、ルツィアが教えてくれたからだった。
「ありがとう」
 ぼくは言った。ルツィアは黙ってそれを受け止めてくれる。

□(207-8)


「人間がどんな性格になるか、どんな障害を負うか、どんな政治的傾向を持つか。それは遺伝子によってほぼ決定されている。そこに環境が加えられる変化となると、ごくわずかだ。すべてを環境に還元して、人間の本質的な平等を謳う連中はいる。わたしだって、人間は平等だと思うし、平等な社会を築くこと、遺伝子の命令を超えた『文明』をもつことができるのが、人間という存在であると信じている。だがわたしたちの可能性やそれにともなう責務と、結果を説明するための科学を混同してはいけない。すでに起こってしまったことに対する原因はあるし、それに対する生物学的、脳化学〔ママ〕的な説明もあるのだよ。きみはまず、自分が遺伝コードによって生成された肉の塊であることを認めなければならない。心臓や腸や腎臓がそうあるべき形に造られているというのに、心がそのコードから特権的に自由であることなどありえないのだよ
□(215)


「われわれカウンセラーがしているのは、あなたがた兵士を戦闘に適した感情の状態に調整することです。戦場での反応速度を高め、判断に致命的な遅れをもたらしかねない倫理的ノイズが意識レベルに這い登ってこないよう、目の細かいフィルターを脳内に構築する。まあ、フィルターというのは喩え話で、実際は前頭葉の特定の機能モジュールへのマスキングと、われわれ軍事心理士によるカウンセリングの、相互作用による感情調整過程ですが」
 倫理的ノイズ。確かに戦場において、度を越した倫理道徳の類は致命傷になりうる。感情とは価値判断のショートカットだ。理性による判断はどうしても処理に時間を要する。というより究極的には、理性に価値判断を任せていては人間は物事を一切決定することができない。完全に理性的な存在があったとして、それがすべての条件を考慮したならば、なにかを決めるということ自体不可能だろう。

□(257-8)


「たとえば、ハリケーンの被害者に寄付を送ろうという呼びかけに比べて、目の前に血まみれで倒れている人間を助ける場合のほうが、善悪の判断にまつわるモジュールと、特定の情動に関わるモジュールの反応は圧倒的です。当然といえば当然ですが、人間は目の前に事態に対してより強く、感情的に判断を下すのです。寄付という行為は理性的な判断にすぎません。人間の行動を生成する判断系統は、感情によるラインが多くを占めているのです。理性はほとんどの場合、感情が為したことを理由づけするだけです」
□(263)


 となると、ローマ規程や人権問題が障害になって、一見インド復興に積極的に参加していないように見えるアメリカも、ユージーン&クルップスを通じて影響力を及ぼすことができる。国軍を送らずに、民間軍事企業〔PMF〕を投入することによって。ユージーン&クルップスにインドの警備活動を発注しているのは日本政府をはじめとする国連インド復興計画だが、それを受けているのはほかならぬアメリカ企業というわけだ。
□(274)


 自由とは、選ぶことができるということだ。できることの可能性を捨てて、それを「わたし」の名のもとに選択するということだ。
□(354)


ご主人はよくやっていると思います。ご主人の書いたラジオ放送のスピーチを聞いていると、ぼくらががんばれば、この国は貧困からも、エイズからも救われて、そう遠くないうちに湖に魚が戻ってくるんだ、という気にさせられる。筋肉を輸出してお金をたくさん増やしながら、前世紀の初めのように、湖でとれる魚を食べて幸せに暮らす。そんな生活が手に入れられるように思えるんです。工場から出たイルカや鯨の内臓を食べてしのぐ女の子たちも、きっと学校に入れるようになって、あんなゴミ漁りをしなくていいようになる、って。がんばれば明日は昨日よりもっと良くなる、って信じさせてくれるんです。ああいう文章を書ける人は、きっと素晴らしい人に違いないから
□(358)


「人々は個人認証セキュリティに血道をあげているが、あれは実はテロ対策にはほとんど効果がない。というのも、ほんとうの絶望から発したテロというのは、自爆なり、特攻なりの、追跡可能性のリスクを度外視した自殺的行為だからだ。社会の絶望から発したものを、システムで減らすことは無理だし意味がないんだよ
「ルーシャスも言ってたわね」
わたしは考えたんだ。彼らの憎しみがこちらに向けられる前に、彼ら同士で憎みあってもらおうと。彼らがわれわれを殺そうと考える前に、彼らの内輪で殺しあってもらおうと。そうすることで、彼らとわれわれの世界は切り離される。殺し憎しみあう世界と、平和な世界に
 憎しみの矛先が、いまにもG9に向かいそうな兆候のある国を見つけ出す。
 自分たちの貧しさが、自分たちの悲惨さが、ぼくらの自由によってもたらされていることに気がつきそうな国を見つけ出す。
 そして、そこに虐殺の文法を播く。
 国内で虐殺がはじまれば、外の人々を殺している余裕は消し飛ぶ。外へ漏れ出そうだった怒りを、その内側に閉じこめる。ジョン・ポールは、ぼくらの世界へのテロを未然に防ぐため、虐殺の旅を重ねたと言っているのだ。

彼らには彼らで殺しあってもらう。わたしたちの世界には、指一本触れさせない。〔略〕」

□(371-2)


 次は『ハーモニー』を読む。もう購入済み。これはもっと生命倫理(学)寄りみたい。

彼らには彼らで殺しあってもらう。わたしたちの世界には指一本触れさせない——伊藤計劃『虐殺器官』(後)_c0131823_20102971.jpg

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 ※ 白地に白だから見えにくいですね、すみません。




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by no828 | 2011-04-26 20:01 | 人+本=体


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