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思索の森と空の群青

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2011年 05月 25日

自分の欲望は示さないといけないよ。私が学んだ一番のことは、これでした——姫野カオルコ『終業式』

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41(363)姫野カオルコ『終業式 The Closing Ceremony』角川書店(角川文庫)、2004年。

※ 本書は1999年に新潮文庫として刊行。

版元




 本書には地の文がない。ノート、手紙、FAX などしか出てこない。本書の文章はすべて、登場人物のあいだで高校時代から30歳頃までに交わされたノート、手紙、FAX などに記されたことばである。携帯電話やメールが存在しなかった、1975年頃からはじまる物語である。

 本書に記載される文章の中には、書かれはしたものの結局投函されなかった手紙、ある人に書かれたものの事情により別のある人への封書に同封された手紙、などもある。本人に届けようとして実際に届けたことばよりも、あるいは、そうしたことばではなく、本人に届けようとはしたものの結局届けられなかったことばにこそ、素直な気持ちが綴られるのかもしれない。届けたことばと、届けられなかったことばと、どちらに、より本当の気持ちが込められるのか。届けられなかったことば同士のほうが、実はものすごく響き合っているかもしれない。本書を読むと、たとえ具体的なことばが届けられたとしても、そのことばの後ろ側にある、音や記号の与えられていないことばにも、想像力を延伸することが必要なのかもしれない、いや、必要なのだと、そう言いたくなるのである。であるとすれば、音と記号が与えられたことばとは、一体何なのか。それはまるで、そこに出現することで、そこに出現しなかった、できなかったことばがあることを指示しているようである。だが、それもまた、少し、寂しい。


 きっと浜口さんは根っから優等生で、根っから男の人に好かれるなにかを持っている人なんだと思います。でもわたしはそこまでいい子になれない。うわべだけいい子にしてても、そこまではなれないの。
 だから、わたし、浜口さんにはノートを貸さなかった。数ⅡBの練習問題、ほんとはわたし、やってあったんだけど、やってない、って嘘ついた。だって、浜口さんならいくらでもノートを貸してくれる男の子がいると思ったから。
 汚いの。わたしの心って汚いの。みんなから好かれる浜口さんのこと、とくに斎藤先生から好かれる浜口さんのこと、嫉妬してる。汚くて、わたしは自分がいやでたまりません。

□(八木悦子 → 斎藤孝先生 26)


 自分が汚いものに思わないほうがよい、って書いてあったけど、でも思える人はどうしたらいいのか、その答えがなくて、スッとひいてるみたいで、肩すかしされてるみたいだった。
□(悦子 → ユーコ 31)


 桜井さん、きっとあなたはいつもどこかで冷めているのでしょうね。いつもものごとの当事者にならないようにしているのでしょうね。だから、いつも、いつもの桜井さんのように落ちついていられるのでしょうね。
 十五も年上の人に、こんなこと言うのは失礼なことだけれど、でも、桜井さんは、いつもものごとの当事者になるのを避けて逃げてると思う。ものごとの当事者にならなければ他人を傷つけないかわりに自分も傷つかずにすむわけですから。この態度って、ぼくらがインベーダー・ゲームやワープロを相手にしているほうがラクだというのと同じではないのかと。

□(都築宏 → 桜井桂子様 169)


 自分の欲望は示さないといけないよ。実は、私がアメリカで学んだ一番のことは、これでした。
 今となっては昔に私はバカなことをしでかしました。ほんとにバカだったわ。あんなバカなことをするほど自分の欲望を抑圧していたかと思うと、まったくもって実にバカで大バカだったと、つくづく学んだということになりましょうか。
 他人の権利までふみにじる必要はまったくないけれど、明日にでも大地震が来て死ぬかもしれないのに、死ぬときに、しなかったことを後悔するのはものすごくつまらないと思いませんか?

□(遠藤優子 → 保坂悦子様 277-8)


 かっこいい人間なんか……、私、思うんだけど、この世にいないよ。みんなかっこわるいよ。みんな、かっこわるくてメソメソしていじいじしてるよ。どんな美人も下痢するときだってあるし、どんなハードワイルドな男もコンドームつけるときにはもそもそしなくちゃいけないよ。
 でも、そんなだから人はひとりでは生きていられないんだと思うけどな。そんなだから、いとしいんじゃないのかなぁ。その人が、ってことじゃなくて、生きてるってことが。

□(遠藤優子 → 八木悦子様 292)


 それで、ぼくはなんでも「型」というのは大事なのだと思いました。「型」というか「うわべ」というかは大事です。中身なんか嘘でも「うわべ」を整わせておけばみんな幸せになれると思うのです。
 そんな考え方おかしい、と非難されることが多かったけど、遠藤さんは賛同してくれたのでびっくりしました。
 昨日も言いましたが、ぼくは、外と内で気持ちを使い分けようということを言いたいのではなくて、外側のことはさしてたいしたことではないので、それぞれの人が落ち着くように合わせておけばいいということが言いたかったのですが、それをわかってくれたのは遠藤さんだけです。

□(関口章 → 遠藤優子様 300-1)


 男の人は女の人と話し合うのをいやがります。別れるときにはとくに……きっと貴花田も……。
 だれだったかなぁ、友人か知り合いか忘れたけど、だれか男の人が言ってた。
「だってさあ、泣いたりわめいたりされそうで怖いんだよ、男は」
 って。それを聞いたときこそ、わたしは泣いたりわめいたりしたくなりました。くやしくて……。だって、そこまで男の人というのは女の人をみくびっているのかと……。
 調停で、あなたならわかったと思いますが、そこまで女の人はバカでも感情的でもないのです。ご縁あってつきあったり、結婚したりしたのなら、別れるときには少し長い間話したいというだけのことで、それが、一人の人間がもう一人の人間とかかわったあとの……なんというか……最低限の礼儀だと思うのです。
〔略〕
 わたしはあなたと離婚しましたが、結婚したことを後悔していません。これっぽっちも。
 宮沢りえではないけれど、悲劇のヒロインにはなりません。あなたと結婚したという経験は、きっとわたしを前のわたしよりよくしてくれると思っています。

□(八木悦子 → 保坂昌志様(投函せず)314-5)


 なんていうのかな、わがままを言ってくれなきゃ応対できないんだよ、他人は。わがままを、ありったけのわがままをぶつけることが、それが他人を好きになるということなんだ。好きな人にはわがままを言われなければ意味がないんだ。
 こんなことを言ったら相手に悪いとか、こんなことをしたら相手に悪いとか、そういうことを考えることがもう、冷たいことなんだ。
好きになるってことは、そうだな、別の言い方をすると、好きになるってことはとりみだしてしまうってこと、理屈がなくなってしまうってことなんだ。
 ぼくは淳のママに対して、いつもとりみだすことができなかった。たぶん、淳のママもそうだったんだと思う。淳のママがとりみだすことができる相手は、きっと淳のおじいちゃんだけで、そのことがよくわかっているから、ぼくもまた遠慮してしまう。まあ、理由はほかにもいろいろあるんだろうが、たぶん、ここらあたりが一番の離婚の原因なんじゃないのかな。
 すみません、とか、もうしわけありません、とか、こういうことを思わないことが、愛だということなんだよ。
  Love is not saying sorry.
 淳はなんでも好き嫌いなく食べて大きくなれよ。パパも大きくなるから。

□(都築宏 → 渡辺淳様(投函せず)323-4)


 実は、姫野カオルコを読んだのはこれがはじめてであった。『終業式』、よい本である。


@研究室

by no828 | 2011-05-25 15:46 | 人+本=体


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