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思索の森と空の群青

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2011年 08月 05日

「暗かった」「暗くていやだった」二十代っていうのはそういう時期なんですよ——橋本治『若者たちよ!』

「暗かった」「暗くていやだった」二十代っていうのはそういう時期なんですよ——橋本治『若者たちよ!』_c0131823_1563258.gif67(389)橋本治『橋本治雜文集成 パンセⅡ 若者たちよ!』河出書房新社(河出文庫)、1996年。

※ 単行本は同社より1990年に刊行。

 版元

 先日記載した『橋本治雜文集成 パンセⅠ 女性たちよ!』(→ )と同じシリーズ。



子供は自分の直面した非力さを忘れさせてくれるような道を選ぶのです。即ち、その子供がすることは、自分と同じようなおとなしい子供を見つけて、ひっそりと遊ぶということです。
□(58)


 私はその時初めて知ったのです。自分が自分のままで、自分の中の最も熱い想いを口に出すことが出来ることもあるのだということを、そしてそれが他人によって受けとめられ、更に再び自分の許に帰って来るという快感を。
□(59)

 わたしはこれは、学類のとき。うれしかったよね、やっぱり。わかってくれる人たちがいるという実感——存在論的安心を得た、と言ってもよいかもしれない。


 ですから子供にとって、大人になることとは即ち、自分の無力さを克服出来るようになること以外の何者でもありません。そして大人になる最も手っ取り早い方法とは、自分が子供であることにさっさと見切りをつけてしまうことです。
〔略〕
 大人になるということは、かつて無力な子供だったことをしつこく忘れず、いつかパワーアップして十万馬力の子供になってやる! と決心することと同じです。そして、不完全だった子供が完全な子供になった時、それを大人になったと言い、不完全な子供が中途半端な大人になって平然としている時、それを、人は「年をとった」と呼ぶのです。

□(61)



 教育というのは一言で言ってしまえば、いかにしたら大人になれるかという方法を子ども〔ママ〕に教え込む、または単に仕込むことだと思う。教え込まれた方は、他に逃げ道などありはしないのだから、原則として「ハイハイ」と言ってただ、聞いている。もっとも、何を教え込まれたところで、子どもは一朝一夕で大人になる訳では決してなく、数千朝数千夕を要するのであるから、教えられた事は当面、何の役にも立たない。ところが教えた方は、相手が覚え込むまで執拗に教え込み、教え終えたところで「サァ、もういいでしょう」と言って、勝手に次へ進む。悲劇的なことにその教え込まれた方は「一向に分らない」ということすら、分らない。ただ反射的に「ウン」と言う。「ウン」と言った後から、その「ウン」と言った事柄が役立つかもしれない数千朝数千夕後の時まで、その子どもが何をしているのかといえば、ただ、媚びる。
 子どもは無力無能であるけれども、直感だけは鋭いから、自分たちの本音を大人の前に曝したら自分たちが完全に抹殺されてしまうことだけは知っている。故に子どもは、大人に対して媚びて媚びて媚びまくる。大方の大人は愚鈍だから、子どもが媚びていることに気がつかない。故に、子どもの媚びは深く沈潜し、洗練を極める。社会生活を営む上で最も効果的な対人方法は洗練された媚びであるから、結果として子どもは大人の教育によって立派な社会人となることができる。本当にめでたいことだが、「私が子どもだったころ」と言われてスグに思いつくのは自分のこと媚態であって、私はこの事をチラッと思うだけでも自分の子ども時代がイヤでイヤでしようがない。

□(66-7)



〔略〕紹介は出来ても論ずることは出来ねぇのな。
□(70)

 某研究者(院生含む)、某学問領域のことを言っているのではありません。杉良太郎の話です。



〔略〕暴力という身体行動の示すものはただ一つ——「この関係にはコミュニケーションが欠けている!」である。
□(88)



「あ、そこにも自分がいる」——そう思えるから、人間てみんな勉強するんだよ。そう思うんだ。
□(103)



「素読百遍、意おのずから通ず」〔略〕これは「そのうち分るよ」っていうことが前提にあったりする訳で、ホントは愛情深いんですね。真の愛情は寡黙だったりする訳で。
□(154)



 二十代というのは一番中途半端な年代でね、厄介なんですよ。〔略〕人間恵まれすぎてると、一体なにが恵まれてるのかが分からなくなっちゃって、自分に対する判断能力っていうのが落ちるのね。
□(160)

 これは、実感している。逆の意味で。つまり、お金とか就職先とか、いろいろなものが“ない”と、研ぎ澄まされてくる、見えてくるものがある。それで見えてきたものをわたしは大切にしたい。


 二十代で一番肝腎なことっていうのは、つまんない自信なんか持つなっていうことね。そこそこの評価に満足してる自分を見つけたら、もう「バカ!」って言ってやることね。そうしないと、その先ってないですよ。〔略〕
 二十代って、とっても背伸びをしている。自信がないのと自信があるのとの間で、そこら辺が見えなくなっちゃってるけど、二十代っていうのは、初めに作った無理の上に乗っかってるものですよ。だから不安定。二十代が終わって三十代になって、そしてその時に立派に花開いてる人だったらみんな言うよ。「二十代は暗かったって」って。「暗くていやだったって」って。二十代っていうのはそういう時期なんですよ。
 二十代で今一つ自分に自信が持てないでいるんだったら、もうその時に書かれる処方箋というのは決まってるんですね。「自信なんてあると思うな」——これだけ。
 今一どころか、今二十も三十も自信なんか持っちゃいけない。もっと正確に言えば、持っている自信を謙虚になって全部吐き出さなくちゃいけないの。
 無理して作ってた自信と、それからいつの間にか出来上がっている本当の自信と、そういうものの区別をつけて、不必要になった贅肉は、さっさと放出しなくちゃいけないの。それが感性のシェイプアップ。それをやらないと、その先が混乱するだけですね。本格的な一人前っていうのは、そこからしか始まらない。
 そこそこに二十代やってて、なんか輝いてるみたいに見えた人間て、簡単に消えますね。
 二十代の自信ていうのは、自分を見なくてすんでいるっていう、そういう保護者付きの自信だからね。

 焦るのは分かり〔ママ〕ますけど、つまんない自信なんか捨てた方が身の為だと思うよ。明日っていうのが見えなくなるし。
 成功した人っていうのは、「あ、自分てもうなんにも取り柄っていうのがないんだ」っていう、そういう気のつき方をした人だけなんだ。そこから余分なものを捨てて、そしてゼロからスタートする決心をした人だけが、成功へのスタート・ラインに立てるのね。立っただけで、そこから先、苦労というのは本格的に始まるんだけれども。
 人生って、そういうもんですよ。「他のみんなは、なんかうまくやれてるんじゃないか」って、そう錯覚するのが二十代の最大の欠点だね。

□(162-4)

 もうそろそろわたしの二十代もおわるわけですが、暗かったと思います。“具体的な出口が見えない”というのは、なかなかに苦しいものです。でも、そういうものだと、二十代はそういうものだと、そう言ってもらえると、「これでよかったのかな」とは思う。だからといってわたしがこれから「成功」するかどうかはわからない。でも、「成長」ならできると思う。



教育心理ってのは、如何によりよい教室を作るかなんだけどサ、この思春期っていうのは、如何にうまくして教室を逸脱するかって方だったからね。
□(175)



 二十代で本読むといいよ。判断力ってあるし。十代で本読まなかったおかげで、あんまり他人の考えに影響されなかったし。友達と遊んでばっかいたおかげで自分はあったし。みんな早いうちに本なんか読みすぎて、それでつまんない人間になるんだよな。必然性のない読書なんかしない方がいいと思うよ。本て、勝手に嘘の必然性なんか作り出しちゃうもんだもの。
□(188-9)



〔略〕自分の話を一般論にすり替えて行く時、人間というのは必ず何かを隠している訳だから〔略〕
□(198-9)

@研究室

by no828 | 2011-08-05 16:50 | 人+本=体


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