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思索の森と空の群青

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2011年 08月 24日

最初に小さな違和感として感知されるそれは、重要なことを意味している——銀色夏生『銀色ナイフ』

最初に小さな違和感として感知されるそれは、重要なことを意味している——銀色夏生『銀色ナイフ』_c0131823_15231699.jpg72(394)銀色夏生『銀色ナイフ』角川書店(角川文庫)、2007年。


版元
* 銀色夏生の本は全部文庫本? 単行本は出していないのかな? そんなことない?


 銀色夏生は『ばらとおむつ』(→ )に続いて2冊目。エッセイ集。実は、詩集『これもすべて同じ一日』を中学か高校のときに買ったことがある。もちろん読んでもみたが、よくわからなかった。詩、というもの自体が、まだよくわからない。

『銀色ナイフ』は、先に書いたように「エッセイ集」である。が、ここには著者の思考の痕跡、思索の道程が記されている。わたしはこういう本を「哲学書」と呼びたい。

 赤線を引きながら読みました。



 ひとつの言い方では、すべての人に好かれることはできない。1対1で向かい合って話すのなら、伝え方を相手に合わせて変えることができるけど。人の数だけ考え方はある。だからせめて同じような考えの人たちに伝えられたらいい。そして、そういう人たちに共感されたらうれしい。そのために、自分はこう思うということを、まず書かなくてはと思う。
 経験がふえると考えもどんどん変わるから、今の時点ではこう思ってるというのを、その時々に書いておきたい。今のこの気持ちは、きっと今しか書けない。明日になったら、これほど熱くなれないだろう。体験して、考えて、越えてっちゃうから。新鮮な気持ちを新鮮なうちに書いとこう。

□(13)

 書く者の心得として。思考が思想として完成するまで何も言わない、という態度もあり、わたしはそれに惹かれてもいたわけだが、いつからかそれからは離れるようになった。というのも、自分の思考が「完成する」とはどういうことか、わからなくなったからだ。少しずつ進めていくしかない。崖に手を引っかけ、足場を作りながら山に登るようにして、少しずつ進めていくしかない。一気には完成しない。



 私は、子ども(人)が、何をするために、何になるために生まれてきたのかを見るのが楽しみ。
 できるだけ先入観を植えつけず、鋳型にはめず、他人の希望をおしつけずに育てれば、だれもがわりと回り道せずに本来の行くべきところに行くのだと思う。そこは、人によって違う。なんてことない場所かもしれないけど、確かに、その人が自分でたどり着いた場所だ。貴重な場所だ。
〔略〕
 小さな時の好き嫌いって、かなりその人の本質を示しているというから、その頃の嗜好性を覚えていてあげたい。
 私にできることといったら、世の中の固定した考えをくずした見方でコメントするとか、少数意見をあえて言ったりして、偏見というものが、できるだけないようにすること。固定観念って、気を許すと、次から次へと、タンタンタンタンって、作られていってしまう。それだけ子どもって、成長が早い。
 テレビを見てる時の、ぽろりと口にした感想とか、身の回りの人々へのふとした感想など、そういう小さくて無数にある親たちの日々の感想を聞いて、子どもはそれを考えの基本にして思考を作ってしまうから、毎日の積み重ねが、今の子ども、明日の子どもを作るということを、肝に銘じたい。それは、子どもだけでなく、大人もそうだと思う。
 明日の自分を作るのは、今日の自分だから。

□(33-4)

 子どもは、聞いたことばを忘れない。



〔略〕でもどこか、ある瞬間、自分に対するこだわりを失くせる人が、アーティストとしては本物だとも思う。
□(34)

 何かすごいことを言っていそうだ、と感じて線を引いたところ。(「自分に対するこだわりを失く」す、とはどういうことであろう?とよくわからないまでも“すごそうだ”と感じることはできる。)



 人は、自分以外のあらゆる物の中に、自分を見る。
□(39)

 これは、そうだと思う。そのように見ている自分とは何か、ということになる。自分とは何なのか、そうしてしかし、自分のなかに閉じ籠っていってはいけない。



 だれかと、ある日ある時ある場所で、時間を決めて、会うということは、その人の今までの人生と自分の人生がそこで出会うということです。その出会いは一生に一度の真剣な対面です。
〔略〕
 だから、そういう覚悟もなく会いに来る人を見ると、時間が無駄に思えます。せっかく会っているのだから、大事な話がしたいのに。
 大事な話というのは、今、この時、私と、でなければならない話、今日まで生きてきたとりあえずの結論とか、自分の本当に好きなこと、好きなものの話です。

□(41)




 ふと思ったんだけど、もし、専門的なことを、専門用語を使わずに、一般的な言葉で話したとしたら、それは、まわりくどく、抽象的な言い方になるだろう。そして、どの専門分野の人が言うことも、結局、同じになるんじゃないかな、ってこと。
 同じようなことを言ってるんじゃないかなって。
 つまり、物事の肝は、似た構造になってるんじゃないかと、思ったんです。

□(51)

 同感。たぶん、別の道であっても、その道を究めた人同士は、その先で、出会うことができる。専門家の水脈。



 私は、そういう体の不自由な人を見たときには、その人は私かも、と思う。明日、同じ立場になるかもしれない。今はこうだけど、いつか、その人と立場が入れ替わるかもしれない。人ごとではない。
□(54)

 ジョン・ロールズの原初状態を想起した。



 私は、信頼できる人が、目の前で発したなにげないひとこと、っていうのをいちばん重要視してる。そういうのだけ聞き逃さないでおけば、いいんじゃないかな。
□(83)



 自分以外の何もほしがってない時、人って強い。〔略〕
 欲望が生まれた時、人は弱くなる。
 好きな人ができると、人は弱くなる。
 ほしくても手に入れられないものができると、人は弱くなる。
〔略〕
 そして、ほしいものを手にいれるために、人は強くなろうとする。

□(105)



 世話になってるって、大きいね。世話になってたら、不本意なことも、やんなきゃいけなくなるんだよ。おおー! いやだ。
〔略〕
 一匹狼だからこそ、言えることがある。一匹狼にしか、言えないことがある。それを私は言っていきたい。

□(109-10)

 わたしもこれで行きたい。

 前、若手の甘木先生にも言われた。「コネで就職すると早く就職できるけど、そのあと世話してくれた人に頭上がんないよ。それも困ったもんだよ」。

 これで行くしかない。



 生まれてから大人になるまで、人は、いろいろなことを学ぶ。それは、たくさんの先入観を植え付けられるということでもある。そうやって、たくさんの枠に閉じ込められていく。そして、全体の中の位置を覚えていく。より広い世界の大きさも覚えていく。
 そして、大人になったら今度は、その枠をひとつずつはずしていく作業をするんじゃないかな。
〔略〕
 だれでもいつでも、たくさんの枠には取り囲まれてるけど、自分はこの枠とこの枠とこの枠に取り囲まれてるんだな、これにぶち当たってるから、こう感じるんだな、この枠のせいで気持ちが圧迫されてるんだな、っていちいち解れば、その人は、どんなにたくさんの枠に〔ママ〕中にいても、心は自由なんじゃないかと思う。

□(116)

 要訓練。



 人が作ったもので自然界に存在しないものが、よく悪者扱いされるけど、作れたんならそれもまた一部なんだと思う。
□(141)

 原発が想起された。

 蛇足だが、「自然との共生」という言い方に違和を感じる。「人間」も「自然」の一部ではないかと思うからだ。「自然との共生」だと、「自然」から「人間」を外に括り出し、「自然」と「人間」という枠組みで考えることになる。そのときの「人間」とは一体何なのだと思う。



 人の気持ちを、説得して無理に変えたくないんだよね。〔略〕私も自分に絶対的な自信というのはないから。
□(164)

 わたしが「教育」に諸手を挙げて突き進めない理由のひとつはここにありそうだ。もちろん、「教育」は不確実な行為ではあるのだが。



 それに、意見は違っても、それを超えた何かを作り上げたいと願って、みんな頑張って一緒にやろうとしてるんだよね。だから、その、希望の方向を見つめて、それが一致していれば、やれると思う。共通の目的があれば。〔ママ〕超えられると思う。
□(185)

 日本の国会を見ていて思うことだ。何のために、というところを突き詰めていけば、わかりあえるはずで、それを確認するところからはじめればよいのに、と思うのだ。



自分でできる範囲というのが、私にはひとつの目安だ。
□(194)

 この感覚はわたしにもある。



 電話をかけるのが苦手、というか怖い。というのも、今相手が何をしているのかわからないから邪魔するんじゃないかと思って。よく知ってる人ならいいんだけど。
□(214)

 非常に同感。そしてこれはそのまま反転する。つまり、電話がいきなりかかってくるのも苦手、ということ。突然訪問されるのも苦手。



 学校でいじめがあったからって、その子、毎日家に帰ってたんでしょ? そんなに死ぬほど学校がいやなら、行かなきゃいいのに。家にいればいいのに。それができなかったっていうことは、その子と親の関係にも問題があったってことだよね。親に泣きつけなかった子と、そこまでの子どもの気持ちに気づけなかった親に。関係が希薄だったのかな。親にも気をつかって死ぬなんて。
□(218)



 ちゃんと物を見つめて考える人は、自分の外側に見えるもの、見つけるものは自分なんだと気づき、やがて世界には自分しかいないということを知るだろう。
 自分にとって、世界は自分だけ。あなたにとっても、世界はあなただけ。世界は、人の数だけあり、たったひとりの孤独な世界をみんなが生きている。孤独というと、恐ろしいかもしれないけど、それは事実だから悲しいことではなく、かえって謎が解けて、妙にさっぱりと落ち着くかもしれない。この世にいるのは自分だけ。
 その淋しさが、淋しさじゃないとわかった時、本当のやすらぎや、満たされるという思いを知るのだと思う。

□(256-7)

 だから人がひとり死ぬということは、世界がひとつ失くなるということなのだ。それは、とてもとても大きな喪失なのだ。



 表現って、そういうことかなと思う。リレーみたいに、みんな、バトンタッチしながら、前の人から教わったことを、一回自分の中に通して、どこか自分なりに消化したものを他の人に受け入れやすく表現するという。感動の伝達。
□(264)

「一回自分の中に通して」というのが大事。



 最初に小さな違和感として感知されるそれは、重要なことを意味している。それは思い過ごしではなく、それは消えてなくならず、砂の中からやがて岩山が浮き出てくるように、目の前に立ちふさがってくる。
 小さな違和感を見過さないように。軽率に判断せずに経過を判断しよう。違和感って大事。

□(277)

 本を読んでいるとき、研究発表を聞いているとき、小さな「あれ?」をきちんと気に留めておく、メモしておく、何となくそのまま先に行ってはいけない、と日頃思って気をつけているけれど、ときどき通り過ぎてしまって“あの違和感はどこだ!”と探すことになり、“あの違和感は何だっけ?”と思いめぐらすことになる。



自由な人生へと、彼らを笑顔で送り出す。それが、愛する者のとるべき態度だ。覚悟をするということだ。そして、ただ、そっと祈る。
 どうか無事でと。
 祈ることしか、人は愛するものにしてはいけない。
 それ以外はすべて、束縛となる。

□(302-3)

「愛」とは覚悟、「愛」とは祈り。自由へ送り出すということは心配するということでもある。しかし、その心配を当人の前に曝すと、束縛になる。



 尊敬は短時間に生まれる可能性があるけど、信頼は違う。
□(336)



 傷つくというのは、気づく、ということじゃないだろうか。自分が、その言葉、その意味に対してわだかまりを持っていることに気づく。その言葉に弱いことに気づく。相手は、それを気づかさせてくれた人なのだから、感謝するべきかもしれない。
〔略〕
 だから、傷つけられたと思ったら、人とのいざこざの中で、自分に向けられた言葉がとても嫌だと思ったら、誰かの言葉によって理不尽なほどの怒りがこみあげてきたら、それはチャンスだと思おう。

□(338-9)



 私がこの人は信頼できるなと思うのは、「自分の判断が正しいとは思っていない」っていえる人。〔略〕正確さを期そうとすると、どんどん断定することができなくなる。でも、なにもかもそういうふうにみていくと人と言葉で話し合うことができなくなるから、ある程度のラインで、言い切らなくてはいけない。そこを思い切る時の、決断と憂慮を併せ呑み、それをかかえて発言をする、そのせつなさを知っている人。
□(346)

 いろいろわかってくると、何も言えなくなる。わかっていることすべてに——ということは、何がわかっていないのかをもわかっているということだが——配慮して何かを言おうとすると、ものすごく膨大な量のことばを質を落とさずに投じなくてはならない。これは大変なことだ。だから、ある程度のところで言わざるをえない。“あぁ、あれについては充分な議論ができていないけれども……”と思いながら、言わないといけないのである。

 これは、「せつなさ」なんだなぁ……。



 思うなら、やってほしい。文句があっても実行できないんだったら口をつぐめ。
□(349)

 実行できなくても文句があるなら言ったほうがよいときもある。“できないのなら黙れ”は単なる恫喝、になるときもある。



 信仰って何かを強く信じること、ひとりひとりがそっと胸の中ではぐくんでいくものだと思う。信仰は、勇気を与えてくれるし、恐怖をとりのぞいてくれるし、迷ったときに正しい道を教えてくれる。
 信仰を広める、っていうのは、勧誘したり、説教したりすることじゃなく、〔略〕

□(387)



 前にも書いたけど、「あの人は頑固で、一度いいだしたらきかない」という言い方は、かなり誤解されていると思う。それってちょっと、融通がきかない、っぽく聞こえるけど、判断するまで慎重に吟味して、一度決定したら翻さないということだから、非常に理性的ではっきりした人だよね。人に説得されてもゆるがない強い意志をもっている。自分のことは自分で責任をとる、というような。
□(398)


@研究室

by no828 | 2011-08-24 17:56 | 人+本=体


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