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思索の森と空の群青

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2012年 06月 02日

その三、本は手が記憶する——井上ひさし『本の運命』

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88(548)井上ひさし『本の運命』文藝春秋(文春文庫)、2000年。

版元 → 

単行本は1997年に同春秋より刊行。


 故 井上ひさし(1934-2010)と本との濃密な関係。その関係性から、いわば、井上ひさし → 本 、のその → から、刺激を受けます。A → B の、A自身、B自体というよりも、そのあいだの → にこそ、人は感応するのだと思います。向き合いかた、態度、そういうものにこそ。

 本書のなかに「井上流本の読み方十箇条」というのがありまして、「その二、索引は自分で作る」というのは、参考になりました。本を作る過程に参加させてもらったとき、索引作りも手伝わせてもらったのですが、その作業を通じて索引の意味・意義を一層深くまで知ることができました。索引のない学術書というのはあまりないと思いますが、そういう学術書として〔略〕な本があったときには——かつ、そういう本の作りでも内容をどうしても吸収したい場合には——自分で索引を作るというのは、読み方として大いにありだなと思いました。

 あとは「その三、本は手が記憶する」。本を手で触る、大事なところはノートに手で書き写す、そのほうが記憶しやすい、というものです。これはわたしも実践していますが、記憶するため、というよりも、忘却してもよいように、というほうが大きいです。もちろん、手書きだと身体に文字が染み込んでくるような感覚はあり、結果的に覚えているということはあると思います。しかし、ワープロで打ち込んだほうが速いし、効率的だとも思っていて、手書きするときは“効率悪いなぁ”と思ってしまいます。その時点ではたしかにそうなのかもしれませんが、あとあと、のちのち、効いてくるはずだ、というふうに思うようにしています。

 あとは「感想文を廃止せよ」という見出しのもとに、以下のような文章があります。感想を求めるから子どもは書くのが・読むのが嫌いになる、ということでした。
 日本では、小学生がむやみに「感想」を書かせようとする。「あなたはこれを読んでどう思いましたか」、「どんな気持ちでしたか」と。ところが、自分が何を感じたか、思ったか、つまり頭の中の感情や情緒を文章で表現するのはむずかしい。ましてや、「本を読んで、どう思ったか」というのは書評を書くのと同じでしょう。これは僕らにとってもむずかしい仕事です(笑)。
 感想ではなくて、「何が見えるのか」、「何が書いてあるのか」という、自分が観察したことをそのまま文章で表す練習が大切でしょう。
(135)

 これは、橋本治さん(たしか……)が“書評”の文脈(たしか……)において指摘していたことにも通じます。本の感想を書く、のではなく、本の内容を正確に要約する、そちらを重視すべきだ、ということであったと思います。

 以下は、井上流本の読み方を引き受けながらの出久根達郎の文章です。技の伝授もあります。
 昔、古本屋の小僧は、朝食をすませると店の書棚にハタキをかけさせられました。本の掃除でありますが、左手で五、六冊の本を棚から引きだしては、右手のハタキで上部の埃を払う。毎日の仕事です。毎日、ゴミや埃が溜まるわけじゃない。つまり、そうやって本にさわらせるのが目的でした。(185.出久根達郎「解説」)

 一度こんな風に拾い読みしておくと、いざ最初から読み出す時、実にはかが行きます。目を通した部分は、飛ばせるからです。飛ばさなくとも頭に入っていますから、スピードが速い。
 私はたとえば一週間で千ページの本を読まなくてはならぬ時、この手を用います。六日間は、暇あるごと、その本のあちこちを拾い読みします。拾い読みの便利なのは、気楽に、適当なページを何の脈絡もなく読める。案外の短時間に、通計すると相当のページ数を読んでいます。
 最後の一日に、巻頭から読むわけですが、六日間の拾い読みで、ほぼ読んでいることに気づきます。
つなぎ合わせるだけの読み方です。ただし以上は、楽しむための読書ではありません。
〔略〕ゆっくりとページをめくるよりも、目まぐるしくめくった方が、こちらが欲する文章が捉えやすい。子供の頃遊んだパラパラ漫画のように、活字が驚いて飛び出してくるのですね。本の活字には、そんな所があります。パソコンの文字と違う。
(187-8.出久根「解説」)


 以下、ちなみに。
 その小地主の長男〔=井上の父〕が、東京の薬剤師の学校——東京薬専、いまの東京薬科大学ですか——に行った。ちょうど大正デモクラシーの時代ですから、東京で新しい思想を吸収して、国へ帰ると自分の同級生たちが小作人として働いている。たいへんに矛盾を感じたと見えて、帰ってきたとたんに自分の家の農地を解放しようとしたんですね。(20)

 よく若い人に、「戦争中は大変だったでしょう」って聞かれることがありますが、実はそうじゃなくて、いちばん大変だったのは戦争が終わってからの二、三年なんです。
 戦争中は、いくら負けていても、戦争遂行のために政府は必死になって物資の生産、流通をやっていました。ところが、戦争が終わって無政府状態になったとき、ほんとうに物がなくなった。
 本にしても、戦争中は曲がりなりにも出てたんです。もちろん八月十五日直後も本は出ましたよ。ところがその本たるや、今の人が笑っちゃうような粗末なしろものでした。
(37)



@研究室
 

by no828 | 2012-06-02 16:14 | 人+本=体


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