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思索の森と空の群青

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2012年 06月 22日

生き残っている者には decency を守るくらいが関の山じゃないか——大江健三郎『「雨の木」を聴く女たち』

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97(557)大江健三郎『「雨の木〔レイン・ツリー〕」を聴く女たち』新潮社(新潮文庫)、1986年。

版元 → 

単行本は同社より1982年に刊行。


 連作短篇集。

——〔略〕ああいう死はおよそ誰にも償いようのない、最悪の死だからね。生き残っている者にはどうしようもないじゃないか。生き残っている者には——これはアメリカの作家が書いていることだけど、decency を守るくらいが関の山じゃないか? それはひかえめな態度で礼儀正しくある、というようなことだけれども。〔略〕やはり生き残っている者にできるのは、死んだ人間のために decency を守るくらいのことじゃないか?
〔略〕
—— decency を守るということで、なにをいまの自分がやれるのかなあ〔略〕。
——きみの場合、水泳のトレーニングより他にないと思うなあ、と僕はいった。きみがやった事実、やらなかった事実、それらすべてふくめて、悔いがあり悩むところがあれば、それはバカ食いしたりクヨクヨ寝そべっていたりするだけでは、ふりはらうことはできないよ。それは僕自身の仕事をつうじての経験からいうんだけれども、きみにできることはあらためてトレーニングを強化して、一秒でも二秒でも記録をちぢめるまで、自分をいためつけることじゃないか?
(287-8)

 そうだよなあ、と思いつつ、decency という単語で政治哲学者のジョン・ロールズを思い出しました。decency をどう日本語に翻訳するか考えたことがあったなあと思い、ロールズもアメリカの人であったなあと思ったのでした。


@研究室

by no828 | 2012-06-22 18:57 | 人+本=体


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