97(557)大江健三郎『「雨の木〔レイン・ツリー〕」を聴く女たち』新潮社(新潮文庫)、1986年。
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単行本は同社より1982年に刊行。
連作短篇集。
——〔略〕ああいう死はおよそ誰にも償いようのない、最悪の死だからね。生き残っている者にはどうしようもないじゃないか。生き残っている者には——これはアメリカの作家が書いていることだけど、decency を守るくらいが関の山じゃないか? それはひかえめな態度で礼儀正しくある、というようなことだけれども。〔略〕やはり生き残っている者にできるのは、死んだ人間のために decency を守るくらいのことじゃないか?
〔略〕
—— decency を守るということで、なにをいまの自分がやれるのかなあ〔略〕。
——きみの場合、水泳のトレーニングより他にないと思うなあ、と僕はいった。きみがやった事実、やらなかった事実、それらすべてふくめて、悔いがあり悩むところがあれば、それはバカ食いしたりクヨクヨ寝そべっていたりするだけでは、ふりはらうことはできないよ。それは僕自身の仕事をつうじての経験からいうんだけれども、きみにできることはあらためてトレーニングを強化して、一秒でも二秒でも記録をちぢめるまで、自分をいためつけることじゃないか?(287-8)
そうだよなあ、と思いつつ、decency という単語で政治哲学者のジョン・ロールズを思い出しました。decency をどう日本語に翻訳するか考えたことがあったなあと思い、ロールズもアメリカの人であったなあと思ったのでした。
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