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思索の森と空の群青

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2012年 07月 22日

「ぼくを助けてくれる人はいなかった」あなたも助けを求めなかった——森谷明子『れんげ野原のまんなかで』

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111(571)森谷明子『れんげ野原のまんなかで』東京創元社、2005年。

版元 → 

 非常勤講師先の近くの「ブ」と「オ」の付く古本屋で買いました。

 森谷〔もりや〕明子は『矢上教授の午後』(→ )に続く2冊目です。『矢上教授』の舞台は大学でした。『れんげ野原』は図書館です(そして連作短篇集です)。大学、図書館、こういった舞台設定は好きです。


 引用文中の「クローディア」は、カニグズバーグの『クローディアの秘密』(版元 → )の主人公だと思われます。関連して(?)、学校教育を議論する文脈で“学校と家庭と地域の連携”といったことが言われますが、子どもにとってその「連携」が「抑圧」にならないように、子どもに“逃げ場”がなくならないように、ということを考えます。(そして“逃げ場”がインターネット空間になるのでしょうか? そしてそれは、“逃げ場”たりうるのでしょうか?)
「ぼく、クローディアの気持ちがよくわかる。毎日、命令されてばっかりなんだもん。学校行って、先生に立派な人間になれなんて、よくわからない説教されて、うちへ帰っても親は先生と同じことしか言わないし
「それで何かっていうと、お前たちは何不自由ない暮らしをしている、めぐまれている、文句を言うなんてばちがあたるって。ぼくたち、今しか知らないんだもの、そんな、ぼくたちに変えられないこと言われたって、どうしようもないじゃない
(47-8)


 こちらはノートンの『床下の小人たち』(版元 → )が関わっています。ちなみに、『床下』は「借りぐらしのアリエッティ」(→ )の原作だと思われます。
「どうして、鉛筆みたいに小さい体でいられるのか。ぼくは大きすぎるから、目立ってしまうから、学校だのなんだのが放っておいてくれない。こんなに小さければ、どこにだって逃げられるのにと
 男は小さく笑った。
大人はぼくにがんばれ、負けるなとかやいやい言うくせに、ぼくを助けてくれる人は誰もいなかった
 そしてあなたも助けを求めなかった、能勢は心の中でつぶやいた。〔略〕
「なのにぼくはずっと、その本を読むのをやめられなかった。うらやましくて腹が立つけど、それでもひきつけられた。ぼくも誰も知らないところに行きたかったからかな。今いるところではない、どこかに」男はそう言って上目遣いに能勢を見た。そして不思議そうな顔をした。「言わないんですね、そんなのはどんな子どもも考えることだ、とか。あの頃、そんな説教ばかりされましたよ」
(234-5)


 月曜日。図書館は休館である。文子は能勢と二人で黙々と書架の整理に励んでいた。
 所を得ている職業人というものはみなそうなのかもしれないが、文子もルーティンの仕事をしている時、体調がよくわかる。バイオリズムが上向きの時は、自然に体が動き、書架に並ぶ背表紙の文字が向こうから目に飛びこんでくる。能率の塊となって脳のごく表層部分だけを働かせ、最小限の動きで作業が進む。これが最悪の時なら、本の表題が、すべて梵字で書いてあるのではないかと思うほどに、体と脳から上滑りするのだが。
(127)

「いや。あれはひどく不毛な思想だ。大体『命には命を』では、奪われた命と奪った命がイコール、等価だと考えていることになる。等価のわけがない、殺人者の命をさしだしたところで償えるはずがないじゃないですか。そんな考え自体、奪われた命にはこの上ない無礼です」(247)


@研究室

by no828 | 2012-07-22 15:00 | 人+本=体


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