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思索の森と空の群青

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2012年 07月 26日

人は死んでも、その人の考えたこととそれを実行に移したやり方は残る——塩野七生『わが友マキアヴェッリ』

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113(573)塩野七生『わが友マキアヴェッリ——フィレンツェ存亡』中央公論社(中公文庫)、1992年。

版元 → 

単行本は1987年に同社より刊行。


 少し前になりますが、読書会でマキアヴェッリの『君主論』を読みました。本書を古本屋の棚で感知し、読もうと思ったのにはそういう背景がありました。本書を読み、『君主論』の書かれた背景も、よくわかりました。

 本文621ページの大著。かなりのページに犬の耳をこしらえてしまいました。選びながら引用します。

 なぜ『君主論』のモデルは、ロレンツォ・デ・メディチではいけなかったのか。
〔略〕
 『君主論』のモデルは、チェーザレ・ボルジアであった。ロレンツォと比べれば、比較もできないくらいに教養の低い、そのうえ、自己の野望実現しか考えなかった、しかし力量〔ヴイルトウ〕と好運〔フオルトウーナ〕には恵まれていた、チェーザレ・ボルジアだったのである。なぜなのか。
 ここに、『君主論』が、マキアヴェッリの思想のエッセンスである『君主論』が、なぜ書かれたかを解く鍵が隠されている。そして、それさえわかれば、マキアヴェッリはわかったも同然だ。
(145-6)

 人は死んでも、その人の考えたことと、それを実行に移したやり方は残る(295)

 彼は、一度たりとも、あるひとつの政体を選ぶべきだと主張したことはない。彼にとっては、王政でも貴族政でも民主政でもかまわないのである。民族はそれぞれ、自分たちに適した政体を選ぶべきだと信じていたからである。その彼が追求してやまなかったのは、どのように考えどのように行動すれば、政体というものを効率良く機能させることができるか、の一事であった。(401)

 ある制度を維持したいと思えば、ときにはその制度の基本精神に反することもあえてする勇気をもたねばならぬ、としたマキアヴェッリの哲学は、〔フランチェスコ・〕グイッチャルディーニのそれとは完全に一線を画していた。これが、マキアヴェッリを政治思想家にし、グイッチャルディーニを歴史家のままで留めた、ちがいであったような気がする。〔略〕
 だが、秀才の悲劇は、天才の偉大さをわかってしまうところにある。凡才ならば理解できないために幸福でいられるのに、神は、凡才よりは高い才能を与えた秀才には、それを許さなかったのであろう。「神が愛したもう者〔アマデウス〕」の偉大さは理解できても、自分にはそれを与えられなかったということを悟った者は、どのような気持になるものであろう。
(541)


 ところが、当時の戦争ときたら、天候の都合で春から秋にかけて行われるのが普通なのだが、そのような仕事に絶好な季節に、「市民」たちを戦場に駆り出すわけにはいかない。ならば戦争などしなければよいとなるが、二十世紀の今日にいたるまで、非合理的だからという理由で戦争回避に成功したためしはない。それで、仕事に絶好な季節に、仕事に絶好な年頃の男たちを戦争に駆り出して経済の疲弊をまねくより、彼らには仕事に専念してもらって、その仕事からあがる利益の一部を徴収し、それでもって傭った戦争専門屋に、そちらのほうはまかせるということにしたのだった。この制度の普及のおかげで、イタリアの戦争といえば、傭兵同士が戦うものになったのである。(219)

女にとっては息子が一番なのだ。どんなに夫婦仲がよい関係でも、息子が一番にくるのでは変りはない。その大切きわまりない息子を、あなたそっくり、などとは、夫を愛している女でなければ絶対に言わない。(304)

〔略〕教育は受ける側の素質を変えるほどの力はなく、素質を伸ばすしかないものである〔略〕。(81)

 ただし、断っておかねばならない。もの書きというのは、交友関係には根本的には左右されないということである。もともとその面の素質があったからこそ結晶である作品が生れるのであって、環境は、その素質を自覚させる役割しかもたない。(499)


@研究室

by no828 | 2012-07-26 14:27 | 人+本=体


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