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思索の森と空の群青

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2013年 03月 28日

自分のためだけに戦えばいい、その責任を自分が背負うべきだし、それを許される——大崎善生『将棋の子』

自分のためだけに戦えばいい、その責任を自分が背負うべきだし、それを許される——大崎善生『将棋の子』_c0131823_18112519.png大崎善生『将棋の子』講談社(講談社文庫)、2003年。32(687)

単行本は2001年に同社

版元 → 


 『聖の青春』(→ )に続けて大崎善生です。大崎は日本将棋連盟で『将棋世界』の編集長をしていたようです。本作も将棋の世界が舞台です。ただし厳密には、将棋の世界を去らざるをえなかった人たちの、“その後”の物語です。プロ(になるため)の将棋には、厳しい年齢制限があります。翻って研究者の世界には、年齢制限は(少なくとも表向きは)ありません。そこから、年齢制限があることで(少なくとも制度上の)あきらめがつく、年齢制限がないことによって(少なくとも制度上の)あきらめがつかない、ということを思ってしまいます。しかし、研究者に「プロ」はあるのでしょうか? 研究者のプロ性が制度と関係ないとすれば、研究者の年齢制限とかそういうことは関係ないのかもしれません。

 しかし、奨励会員たちは違う。
 歳とともに確実に自分の可能性はしぼんでいく。可能性という風船を膨らまし続けるには、徹底的に自分を追いこみ、その結果身近になりつつある社会からどんどん遠ざかっていかなくてはならないのだ。
 ある意味では人間の生理に反した環境といえるかもしれない。それが、奨励会の厳しさであり悲劇性でもある。
(48)


「お父さんを亡くしてつらいのはわかるけれど、それとこれとは別の話だと思うんだけどなあ」と私は言った。
「でも、こっちもう頑張れないんだ」と成田は静かに言った。
「だから、君がもう頑張れないならそれはそれでしかたないさ。でも、それはお父さんやお母さんのこととは違う話だろう?」
「いや、一緒だ」
「どうして?」
「それは、一緒だ」と成田は強い口調で反発した。
「いや、違う」と私も語気を荒らげていた。
「そんなことはない。一緒のことだっぺさ。大崎さんにこっちの苦しさなんか何もわからないんだ」と成田は顔を赤くして大きな声で叫んだ。
 それは、そうかもしれないと私は口にしなかったが、そう思った。その通り、僕にはたしかに〔ママ〕君の苦しさはわからないのかもしれない。では、君には僕の苦しさがわかるというのだろうか。僕が君に持ち続けている、君の才能への羨望や、奨励会で戦う君の立場への憧れを一度でも感じてくれたことがあったのだろうか。奨励会は確かに〔ママ〕苦しいかもしれない、だけど君たちは間違いなくそこで戦うことを許された戦士なのだ。戦士は自分のためだけに戦えばいい、そしてその責任をすべて自分自身が背負うべきだし、それを許されるのだ。光り輝く宝石のようなそのことの意味に、君は気がついているのだろうか。
(186-7)

 (個人的には、「羨望」と来たら「憧れ」ではなく「憧憬」を使います。)


 将棋は厳しくはない。
 本当は優しいものなのである。
 もちろん制度は厳しくて、そして競争は激しい。しかし、結局のところ将棋は人間に何かを与え続けるだけで決して何も奪いはしない。
 それを教えるための、そのことを知るための奨励会であってほしいと私は願う。
(326)


@研究室

by no828 | 2013-03-28 18:36 | 人+本=体


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