2013年 07月 28日
伊坂幸太郎『モダンタイムス』上・下、講談社(講談社文庫)、2011年。62(717) 単行本は2008年に同社 版元 → ● ● 「モダンタイムス」といえばチャップリンですが、伊坂作品も現代社会に対する批判の構えをチャップリンから引き継いでいるように思われます。「国家」や「システム」に対する批判、というより、「国家」や「システム」(への批判)に対する感度が低下した人間に対する批判です。 本書は、『魔王』(→ ●)と『ゴールデンスランバー』(→ ●)と接点が多い作品です。「登場」人物に重なりがあります。 「一番の恐怖は想像力から生まれるんだ。あいつの指に何が起きたのか、想像すればいい」(上.100) 「人ってのは毎日毎日、必死に生きてるわけだ。つまらない仕事をしたり、誰かと言い合いしたり。そういう取るに足らない出来事の積み重ねで、生活が、人生が、出来上がってる。だろ。ただな、もしそいつの一生を要約するとしたら、そういった日々の変わらない日常は省かれる。結婚だとか離婚だとか、出産だとか転職だとか、そういったトピックは残るにしても、日々の生活は削られる。地味で、くだらないからだ。でもって、『だれ〔ママ〕それ氏はこれこれこういう人生を送った』なんて要約される。でもな、本当にそいつにとって大事なのは、要約して消えた日々の出来事だよ。子供が生まれた後のオムツ替えやら立ち食いソバ屋での昼食だ。それこそが人生ってわけだ。つまり」 「偽善とは何だ?」私はふと、訊ねている。 「想像力と知覚が奪われる?」 国が、国民のことを考えずどうするのだ、と私は半分笑いたい気持ちだったが、その際、自分の頭に浮かんだ、「国」という主語がいったい何を指すのか、それも明確ではないことに気づく。(上.279) 「そうじゃなくて、そんなにシンプルにはできていないってことじゃないかな。世の中の荒廃も、貧困も、憎しみもね、誰か一人とかどこかのグループのせいだ、なんて名指しできないわけ。分かりやすい悪者はどこにも、いない。潤也君の考えによればね。どの悪人も、結局は何かの一部でしかないんだって。犬養さんもその一部だったんだろう、って。というよりね、犬養さん自身も一度、ぼそっとこぼしてたんだよ。結局、自分はシステムの一部に過ぎない、って」(下.74-5) 「おまえは、システムを設計するシステムエンジニアだ。それに比べて、世の中を覆うシステムには、システムエンジニアが存在しない。誰かが作ったものではないんだよ。独裁者はいない。ただ、いつの間にかできあがったんだ」(下.183) 「正確には、監視されているんじゃないか、と思わせるだけだ。それだけで十分、効果はある。いいか、監視や命令は必要ないんだ。ある程度、枠組みを作ればあとは、勝手にうまく動いていくもんだ」(下.246) 「いいかい。人間は今まで、次の世代の人間を教育することで歴史を続けてきた。人間は教育されなければ、社会を担うことができない」 「俺たちの生きている社会は、誰〔ママ〕それのせいだと名指しできるような、分かりやすい構造にはなっていない。さまざまな欲望と損得勘定、人間の関係が絡み合って、動き合っているんだ。諸悪の原因なんて、分からない。俺はその考え方は正しいと思う。図式のはっきりした勧善懲悪は、作り話で成り立たないんだ」 「仕事だからやらざるをえない、それは分かる」佳代子の目は怒っているようではなく、これからバーゲンセールにでも出かけるかのような喜びに満ちていた。「だけどね、開き直ったらおしまいなのよ。仕事でやったとしても、悪いことをしたら、しっぺ返しがくる。というより、誰かを傷つけたら、それなりに自分も傷つかないと駄目だと思うの。仕事でつらいことをやらないといけない人間は、悶え苦しんでやらないと」 この最後の引用部分は、実はわたしが博士論文で辿り着いた結論とほぼ同型であります。もちろん伊坂作品とわたしの論文は、その主題も内容も文脈も異なります。が、結論(めいた部分)の型だけを取り出せば、それはほぼ同じです(とわたしは思いました)。システムへの抗いという問題意識はたしかに共有していますし、抗うためにはどうするかという方法的な問いも部分的に共有しています。が、わたしは“システムがシステムへの抗いをも含めてシステムとして成立していると想定するならその抗いはシステム存立の栄養を供給しているだけでありその意に反して抗いにはならないのではないか”という諦念めいた考え、上掲引用の言葉で言えば「虚無」にも軽く取り憑かれ、立論の軸をその抗い方には置きませんでした。ただ、“いつの間にか出来上がったシステムはそれなりの事情があって出来上がってそれなりの事情があって維持されてきたのだからこれからもそのままでよい”という態度を「保守主義」と呼ぶなら、わたしはそれには与しようとは思いません。 「いえ、ぜんぜん違いますよ。僕は、道筋を作ってもらったり、きっかけをもらえればいろいろ頑張れるんですけど、最初の閃きみたいなのはできないんですよ。よく言うじゃないですか、ゼロから一を生み出す能力って。僕は、一を二にして、三にして、百にして、というのならできるんですけど、ゼロからは無理です」(上.124) この点は、上掲の一連の引用とは趣旨を異にしますが、わたしが日頃よく思うことです。わたしは、この「僕」と同様に、一がないと何もできないタイプだという自覚があります。「最初の閃き」が弱いです。だから実は研究者には向かないのではないか、と思うことがあります(よくあります)。しかし、よくよく考えてみれば、現在の学問はこれまでの積み重ねのうえにあるのであって、それは一であり二であり百でもあると見ることができます。だからわたしの前にはすでに一や二や百があるのであって、わたしはそこにさらに積み上げ、あるいは必要ならそこを崩して積み上げなおせばよいのだ、とも思います。だから「最初の閃き」が弱いわたしでも研究を続けられそうだ——という何だか自分を説得するような文章がここに書かれることになりました。 @研究室
by no828
| 2013-07-28 13:05
| 人+本=体
|
アバウト
自省のために。他者の言葉に出会うから自分の言葉を生み出せる。他者の言葉に浸かりすぎて自分の言葉が絞り出せなくなることもある。自分の言葉と向き合うからその言葉は磨かれる。よろしくお願いします。 by no828 カレンダー
カテゴリ
以前の記事
2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 お気に入りブログ
新しい世界へ
タグ
森博嗣
村上春樹
橋本治
伊坂幸太郎
京極夏彦
筒井康隆
奥泉光
川上未映子
奥田英朗
三島由紀夫
法月綸太郎
宮部みゆき
北村薫
カート・ヴォネガット・ジュニア
舞城王太郎
三浦綾子
佐藤優
養老孟司
大江健三郎
村上龍
検索
最新のトラックバック
ブログパーツ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
|
ファン申請 |
||