思索の森と空の群青

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2013年 10月 02日

老いて重荷になってきた時、その母親の死を願わずにいられる娘は幸福である——水村美苗『母の遺産』

c0131823_17175831.jpg水村美苗『母の遺産——新聞小説』中央公論新社、2012年。73(728)

版元 → 

初出は『読売新聞』土曜朝刊(2010年1月16日~2011年4月2日)

 老いた母が死んでくれない。入院し、手術をし、有料老人ホームに入居した母がなかなか死んでくれない。

 本書の「母」とは、実母であって、継母、姑のことではありません。

 水村美苗はわたしの好きな作家のひとりです。寡作の作家ですが、どれも佳作です(という言い方は使い古されていると思います)。全部読んでいます。『私小説』は、博士(後期)課程の、あれ博士論文はどうしたの、という時期の、とくに留学中の大学院生には共感が持たれる内容かと思います。わたしが『私小説』を読んだのは学類の頃ですし、長期の留学はしませんでしたが、“あの感じ”がとてもよくわかりました。ちなみに『私小説』の副題は from left to right です。左から右へ思想的に転向したという意味ではもちろんありません。本の作りに関係があります。ぜひ1度お手に。

 本作の主人公・美津紀も、大学院時代を経験し、大学の非常勤講師をしているという設定です。わたしよりも世代は上の設定ですが、親近感を持ちました。

 全524ページ。本書の「母」は『高台にある家』という本を書いていたようです(版元 → )。


 母が手術を受けたのは一月五日であった。
 手術の前に母は念を押した。
尊厳死協会に入ってるってこと、ちゃんとお医者さまに言って下さった?
「言った、言った」
「なにしろ延命治療は断ってね」
「骨折の手術で、そんな事態にはならないって」
(73)

 美津紀は口を開けて寝ている母を見た。
 思えばこの母にも惜しまれて死んだ時期というものはあったであろう。もし美津紀が大人になる前に死んでいたとしたら、たとえあまり構ってもらえなかったとはいえ、どんなにか一生母を恋しく思ったことか。母が最初の夫のもとに置いてきた女の子は、記憶にある母を恋いながら、短い一生を終えたのだろうか。
 母親がこの世から消えるのに最適な「時」などというものは、果たしてあるのだろうか。
(224-5)

 電話を切る前に尊厳死協会の彼女は言った。
「どうぞあなた様ご自身がご病気にならないよう、くれぐれもお気をつけ下さい」
 美津紀は返す言葉もなかった。
 その日は尊厳死協会が送ってきた何枚にもわたる医療機関のリストを眺めたり、ベッドに横になったり、溜まった家事をのろのろと片づけたり、果てはまた憑かれたようにウェブに向かったりして夜までの時間を過ごした。姉に電話をする気もしなかった。一緒に憤ってもらってもしかたない。時間がないので、何かを決断し、行動を起こさねばならない。あの母に胃瘻など造設させまいという悲愴な決意だけが、冷えた身体を火のように巡った。胃に穴を開けたとして、母の命は数か月しかもたないだろう。しかも、それ以上もったところで、どういう命だろうか。
 もう自分が歩けないことも理解できない母との会話は、いつもつらい会話であった。
(237)

 夜が白むのが見えてきた時、久遠の昔から、朝というものが人間を救ってきたのを知った。(239)

 死なない。
 母は死なない。
 家の中は綿埃だらけで、洗濯物も溜まりに溜まり、生え際に出てきた白髪をヘナで染める時間もなく、もう疲労で朦朧として生きているのに母は死なない。若い女と同棲している夫がいて、その夫とのことを考えねばならないのに、母は死なない。
 ママ、いったいいつになったら死んでくれるの?
(252)

 美津紀は、喜びと当惑が錯綜する声で、一日考えさせて欲しいと言って電話を切った。
 その晩、大学から戻ってきた哲夫に話すと、彼は一緒に迷ってくれなかった。
「美津紀ちゃんの好きにしたら」
 そう言い放っただけであった。

 一緒に迷ってくれなかっただけではない。
 教授からの話は美津紀にとって抜擢ともいえる話だったのに、一瞬たりとも喜んだ顔を見せてくれなかった。妻が抜擢された事実に何の意味も見出さなかった——見出したくなかったようであった。
(340-1)

 老いて重荷になってきた時、その母親の死を願わずにいられる娘は幸福である。どんなにいい母親をもとうと、数多くの娘には、その母親の死を願う瞬間ぐらいは訪れるのではないか。それも、母親が老いれば老いるほど、そのような瞬間は頻繁に訪れるのではないか。しかも女たちが、年ごとに、あたかも妖怪のように長生きするようになった日本である。姑はもちろん、自分の母親の死を願う娘が増えていて不思議はない。今日本の都会や田舎で、疲労でどす黒くなった顔を晒しつ〔ママ〕、母親の死をひっそりと願いながら生きる娘たちの姿が目に浮ぶ。しかも娘はたんに母親から自由になりたいのではない。老いの酷〔むご〕たらしさを近くで目にする苦痛——自分のこれからの姿を鼻先に突きつけられる精神的な苦痛からも自由になりたいのではないか。
 若いころは抽象的にしかわからなかった「老い」が、頭脳や五体を襲うだけでなく、嗅覚、視覚、聴覚、味覚、触覚すべてを襲うのがまざまざと見える。あれに向かって生きていくだけの人生なのか。
(479)


@研究室
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by no828 | 2013-10-02 17:20 | 人+本=体 | Comments(0)


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