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思索の森と空の群青

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2013年 11月 17日

思想は、基本的には「人殺し」を正当化する論理を含んでいる——佐藤優『インテリジェンス人間論』

思想は、基本的には「人殺し」を正当化する論理を含んでいる——佐藤優『インテリジェンス人間論』_c0131823_1749485.jpg佐藤優『インテリジェンス人間論』新潮社(新潮文庫)、2010年。81(736)

単行本は2007年に同社。

版元 → 

 佐藤優の本は割と好きです。既存の思想的立場に簡単に収納できそうにないところがよいのかもしれません。筆者において地の文でも会話文でも頻出するーーとわたしには感じられてしまうーー「○○(な)ので、△△」という文章がわたしにはどうもしっくり来ません。

 鈴木宗男や小渕恵三や森喜朗やエリツィンやプーチンの人物像をインテリジェンス(諜報)との関連において描き出しています。日露関係の話がよく出てきます。

 トルクメニスタンは永世中立国。

〔略〕人間的に尊厳でき、信頼する人とあたかも友人のように楽しく歓談しても、その後、大使館に戻って、話した内容のうち、日本政府にとって役に立つ部分を公電にして、暗号をかけて、東京の外務本省に送るのが、生理的に嫌だった。公電の行間から友情や厚意に付け込んでいる自分の姿が浮かび上がるような気がしたからだ。
 人は、できることと好きなことが異なる場合がある。インテリジェンス(intelligence、諜報)とは、行間(inter)を読む(lego)という意味なので、本来的には、テキストを扱う仕事なのだと思う。〔略〕私にはその適性があると思う。しかし、このようなインテリジェンスという仕事を私は最後まで好きになることができなかった。
(3-4)

「川奈提案について、ロシア側の検討状況には過去二週間変化がありません」
「あんた、変化がないというのも重要な情報だ。明日、またモスクワに行って様子を探ってきてくれ」
「わかりました」
 小渕〔恵三〕氏が述べた、変化がないというのも重要な情報だ、というのは、まさにインテリジェンスのプロの発想なのである。
(81)

 小渕の叔父・小渕岩太郎は陸軍中野学校の出身のようで、恵三もその「薫陶」を受けていたようです。

 あるとき森〔喜朗〕氏はポケットからボロボロになった書類を出し、「君の作った書類を何度も読んだ。ボールペンで線を引いている内に穴があいてしまった」といって私に見せた。官僚がもっともよろこぶのは、政治家にその官僚の意見が尊重されているときであることを森氏は熟知している。(95)

 森の父・茂喜はロシア イルクーツク郊外のシェレホフ市の墓地に分骨されているらしいです。

 安倍〔晋三〕氏は、その点、正直だった。「戦後レジームからの脱却」とは、アメリカが日本を占領して構築した秩序と正面から抵触する。それにもかかわらず、アメリカとの衝突を避ける布石を安倍氏は打たなかった。
〔略〕
 小泉改革の本質は、新自由主義政策だった。弱肉強食の市場原理主義を導入し、強い者をより強くすることで、日本経済の活性化と国家体制の強化を図ったのである。その結果、確かに強い者はとても強くなった。しかし、それが国家体制の強化につながったかという設問に対して、答えは分かれる。
 筆者は、かえって日本の国家体制は弱体化したと考える。それは、格差がかつてなく広がり、富裕層と社会的弱者の間で「同じ日本人である」という同報意識が持ちにくくなったからである。
〔略〕問題は、一食百円以下に切りつめなければならない社会層をなくすように国家としての再分配政策を考えることだ。日本の保守主義は一味同心(力を合わせ、心を一つにすること)を基本的価値観とするので、再分配政策すなわち扶助は「美しい国」の伝統にも合致しているのだ。
 安倍氏が格差是正に本気で取り組もうとしたことを筆者は評価している。そのためには、新自由主義政策に歯止めをかける必要があったのだが、それをしなかったため、結局、安倍政権は新自由主義と保守主義の股裂きになって自壊してしまったのだと筆者は見ている。国家運営には思想が必要であるが、日本の政治エリートがその重要性に気づいていない。今後も思想的交通整理をよくしないで、相異なる政策を包含すると、政権が内部崩壊することになる。
(143-5)

 国家を前提に・単位に政治が行なわれる以上、佐藤の言うところの「保守主義」と社会民主主義は背中合わせにあるように思います。背中の部分は共有されているということです。具体的には、国民の生活を守る(← 抽象的な言い方)という点で両者は一致し、市場とアメリカにすべてを委ねてはいけないという指針も共有できるでしょう。その意味で、日本に「保守主義」はほとんどないのかもしれません。鳩山由起夫政権のときに沖縄米軍基地の「最低でも県外」というのがありましたが、あのときなぜ民主と社民と共産と自民内部の“反米保守”は連携できなかったのか、と思います。伝統的左右区分はもはや意味はなさない。一致する主張がある。そのように主張する根拠は異なる、がしかし主張自体は一致する。根拠はとりあえず切り捨ててその主張1点での集合。政治ならそのくらいのことをしてもよいのではないか、と思ったりもするのですが、それは「思想的交通整理」の観点からすると“事故”ということになるのでしょうか。理論は純度が高いほうがよい、と思うところがわたしにはあるような気がしますが、しかし/だから、政治は純度が高くなくてもよい、と思っているところがあります。政治とは妥協だ、には積極的な意味があるのではないでしょうか。

 なぜ、筆者と鈴木宗男氏は福田〔康夫〕政権の成立にこれほど忌避反応を示したのか。それは二〇〇二年の鈴木宗男バッシングにおいて福田氏が重要な役割を果たしたと二人は認識しているからだ。(148)

 蓑田胸喜の反共思想は、独特な論理構成をもっている。共産主義を直接攻撃の対象にするのではなく、共産主義のような反日・反国体思想を野放しにしている自由主義に現下日本の病因があるので、まず自由主義の拠点になっている東京大学や京都大学の自由主義的教授陣を壊滅させてしまおうとするのである。(164)

〔略〕「天皇制」という言葉はコミンテルン[共産主義インターナショナル]が一九三二年の「日本に関するテーゼ」で用いた言葉で、日本の国体の内在論理を示すのには不適切である。(222)

 ーー修験道は、神道、仏教のみならず道教や日本の土着信仰が合わさったもので、多元性を基本とする。吉野は古来より政争に敗れ、逃れてきた人々を匿い、再出発させる場だ。われわれ山伏は偏見にとらわれず、人々を人物本位、言説をその内的ロジックのみで捉える。他者を排斥しようとするような思想や政治とは、武器をとってでも戦い、多元性と寛容の世界を維持する。なぜなら、それがなくなると日本は日本でなくなるからだ。(297)

 神学の世界で、自らの知の枠組みと異なる言説を評価する場合、「私は一言もわからないが、この論文はすばらしい」というのは、よくある表現形態だ。(311)

 有識者の間では異論があるかもしれないが、私の理解では哲学と思想は異なる。哲学とは“知”を愛好する学問であるのに対し、思想は人間が生き死にをかけた営みなのだ。
〔略〕イスラム原理主義、マルクス主義、(北朝鮮の)主体思想、そして私が信じるキリスト教思想も、基本的には「人殺し」を正当化する論理を含んでいる。だから思想を扱うことと殺人は隣り合わせにある。このことを自覚していない思想家は無責任だと思う。
〔略〕
 死を内包する戦争を意識するところから思想は生まれるのだ。裏返して言うならば、戦争を意識しないような思想は、偽物とはいえないとしても「思想の脱け殻」にすぎないのだと私は考えている。
(319-20)

 以上の文章は、「思想」を「宗教」と言い換えてもその意が混濁することはないと思いました。「基本的には「人殺し」を正当化する論理を含んでいる」、これは共通するでしょう。「思想」と「宗教」の違いは何でしょうか。論理的かどうか、は違うような気がします。その体系に超越的なものを置くかどうか、も違うような気がします。信仰の対象かどうか、これも違う。信仰する人の数? よくわかりません。個人的にはいずれも、そこにあるものです。

@研究室

by no828 | 2013-11-17 18:17 | 人+本=体


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