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思索の森と空の群青

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2013年 12月 03日

何から救って欲しいのか、自分ではっきりわかっているなら——加納朋子『ガラスの麒麟』

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加納朋子『ガラスの麒麟』講談社(講談社文庫)、2000年。85(740)

単行本は同社より1997年に刊行

版元 → 


 連作ミステリ。高校生とその親とその教員が主な登場人物です。学園ミステリでもあるでしょう。というわけで、学校が出てくるので読もうと思いました。教育を考えるうえでのヒントがあるかもしれません。保健室の先生、つまり養護教諭(神野先生)が実は活躍する物語でもあり、短大の学生にすすめてもよいかなと思いました。

 基軸は女子高生刺殺通り魔事件です。

 彼女は自分の腹部に押し当てられた刃物を見、それからそっと視線を上げた。
「やめて」
 そう言った声はかすれていた。少女は腹筋にぐっと力を込めて、もう一度、言った。
お願いだから、やめて
 その声はもうかすれもふるえもしていなかったが、それを口にした瞬間、激しい自己嫌悪が彼女を襲った。お願いだから、だなんて。どうしてお願いなんかしなければならない? 私の命が、どうして見も知らない男の手に握られなきゃならない? そんな理不尽なことが、どうして現実に起こる?(11)

「保健室で煙草を?」
 神野先生は軽く首をすくめた。
「一本だけなら許すから、その代わり絶対に余所では吸うなって。放課後に時々、来ていました。いろいろ、おしゃべりをしたり」
「直子はそれを知っていましたか?」
「ええ。あの子も〈常連〉の一人ですから。保健室に集まってくる子たちには、共通点があるんですよ。みんなとても、寂しいんです
(49)

そして目下の急務は、学期末に生徒たちに渡すべき通知表の記入である。
 これがどうにも億劫だった。芳しくない成績というものは、それをもらう当人と同じくらい、裁定を下す側も気が重いということを、生徒たちはちゃんとわかっているのだろうか。
(78)

 わかっていないでしょう。わたしも教師の側に立ってはじめてわかりました。これまで習った教師たちが、そういうことを感付かせなかったということでもあるでしょう。「億劫」、「気が重い」、強く共感します。

「どうしてそんな、まだるっこしい方法を採るんですか? 助けて欲しいなら担任の教師なり親なり友達なりに、そう言えばいいじゃないですか」
何から救って欲しいのか、自分ではっきりわかっているなら、そうする子もいるかもしれませんね
(156)

「人間が時に、見えないはずのものを見るという事実に関しては、正直言って私にはよくわかりません。心の問題はとても難しいですし。それに、逆のケースだってありますよね。見えているはずのものが見えないってことも。どちらにしても今回の場合、幽霊の正体はその落書きをした子が抱いている、漠然とした不安の象徴なんだと思います。一般的には受験だとか、人間関係だとかが考えられますが……ですけど、心配ですね」(157)

 誰もが羨むような美貌と、経済的に恵まれた家庭とを持っていた麻衣子。直子の話によれば彼女は成績も優秀で、他の生徒たちからも慕われていたという……。
 麻衣子はたぶん、直子を含む多くの平凡な少女たちが思い描く、理想像そのものだったのだ。
 だが――。
 安藤麻衣子は恵まれている、だから幸せだ。そんなみんなの思いこみ。いや、彼女こそ幸せであるべきだと、強制するに等しい皆の羨望や憧れ。
 それこそが、麻衣子の不幸だったのではないだろうか?
(277)

「こんな話をご存じですか?」ふいに、神野先生が言った。「アメリカのフロリダ州での出来事です。ある若い夫婦が神様から授かった子供は、先天的に脳がないという重度の障害を背負っていました。今は医学がとても進んでいますから、赤ちゃんが胎内にいるときからそのことはわかっていたのだそうです。もちろんお医者様は、中絶を勧めました。たとえ無事に生まれても、脳がないまま生きていくことはできないのだからと。けれどその夫婦は、赤ん坊を生むことを決意したんです
「一体何のために?」
 思わずそう聞いていた。
赤ん坊の心臓や肺や腎臓を、それを必要としている他の赤ちゃんに臓器移植してもらうためです。それで病気に苦しむ他の子供たちが救われるなら、自分たちの赤ん坊もこの世に生まれてきた甲斐があったと
「……なんてことだ」
〔略〕
ですけれど、ご両親の願いもむなしく終わってしまいました」
「なぜですか?」
「……裁判所が、産まれてきた子供の脳死を宣言しなかったからです。もともと脳がないのだから脳死状態であるという夫婦の主張は受け入れられませんでした。赤ん坊が亡くなったのは、生まれてからわずか十日後のことです」
「なんてことだ」
(301-2)


 本文中に「烏飛兎走(うひとそう)」という言葉が出てきました。“月日が早く過ぎていくこと”といった意味のようです。そんな感覚に急襲される時節となりました。

@研究室

by no828 | 2013-12-03 16:23 | 人+本=体


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