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思索の森と空の群青

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2014年 03月 21日

沢山の講義に出て、質問をして、自分で見極めることが大事です——森博嗣『大学の話をしましょうか』

沢山の講義に出て、質問をして、自分で見極めることが大事です——森博嗣『大学の話をしましょうか』_c0131823_18294454.jpg森博嗣『大学の話をしましょうか——最高学府のデバイスとポテンシャル』中央公論新社(中公新書ラクレ)、2005年。127(782)

版元 → 


 題名のとおり、森博嗣の大学論、学問論などが含まれています。共感するところが多かったです。

 実際に大学などで教えるようになり、一斉授業の意味・意義を考えることが増えました。わざわざ同じ時間に同じ場所で同じ教員の講義を受ける意味・意義とは何か、考えます。それは学生が考えればよいことだ、とも考えられますが、出欠を確認しなければならないところ——があるのです——ではとくに、教員も考えなければならないのではないかと思います。来年度は、本件に関するこれまでの私的な仕組みを変更し、部分的に学校側の決まりに反抗しながら、一斉講義を展開していこうと企画中です。本書を通してヒントを得られたところもありますが、その大学に常にいるわけではない非常勤講師という身分で何ができるのかは、また自分で考えないといけないと思いました。


 ただし、働いている者が偉い、働かない者は一人前ではない、という考え方は間違っていると思います。その理屈が、男女差別や、老人差別、子供差別の基本になっているものです。〔略〕これまでは、みんなが労働をしなければ生きられない貧しい時代だった。〔略〕しかし、労働という意味が、既に昔とは異なってきているのです。(24)

大学の教育とは、講義室で行われる授業にあるのではなくて(あれは単なるガイダンスだと思って良いだろう)、学びたい学生が、自分からすすんで教官の部屋へ訪ねてくる。そこで議論があり、ともに学ぶことができる。こういった学び手の主体性のうえに成り立っているのが本来の大学のシステムだろう、と森は考えている。(62-3)

何が問題なのか、何を研究すべきなのか、といったスタート地点を探すことから自分の力でしなくてはならないのだ(原則して、ではあるが)。
 森も最近気づいたことだが、本当のところ、研究とは、何を研究したら良いのかを見つければ、峠はもう過ぎていると考えても良いくらいだ。〔略〕どこに問題があるのかを考えることができるのは、個人の頭脳だけ。博士とは、つまり、その能力に与えられる称号といえる。
 仕事と手法が与えられたとき、それを的確に解決できるのが、学士。仕事を与えられたとき、手法を自分で模索し、方向を見定めながら問題を解決できるのが、修士。そして、そもそも、そのような問題を与えることができるのが博士である。
(67)

 だから、「大学院へ進学して何が良かったか?」ときかれれば、答は「大学院で勉強していた、そのとき、その瞬間が最高に楽しかった」と答えることにしているし、今でも、それが正解だと信じている。できることなら、もう一度、大学院生になりたい。(70)

〔略〕これから研究を始めようというときには、実績なんてない。そうでしょう? 実績があるのは、もうその研究である程度のレベルに達している証拠です。どちらかというと、実績がないところへこそ資金を回すべきなのです。(96-7)

学者として、研究者として、自分が知りたいもの、解決したいもの、作り上げたいものへ向かっている視線に魅力を感じるだろう。
 少なくとも、学生だったときの僕はそうだった。そういう先生たちの視線を垣間見たからこそ、自分も大学に残ろうと決心した。
(136)

〔略〕面白い講義とは、やはりその先生が、そのテーマに真剣に取り組んでいて、それが伝わってくる、そういうものではないでしょうか。若者というのは、本当に敏感で、先生が研究に打ち込んでいるその視線を必ず感じ取るものです。
 だから、〔略〕良い研究者であれば、自然に良い教育者だ、と僕は考えています。学びたい人間にとって、力のある研究者が身近にいることが重要であり、そういった人に接することこそが大学の最終的な、ほとんどの唯一の存在理由でしょう。
(157-8)

〔略〕教育というのは、先生が生徒に力を見せるものなんです。(164)

 極端な話ですが、大多数の人が反対するようなことでも、正しいことはあるのです。〔略〕それを指摘するのが、学者の使命だといえます。そうなると、本当はどこからも資金提供を受けていない立場の人間でいることが重要なのです。だから、すぐに役に立つ研究ばかりに手を出さないで、基礎学問をもっと押し進めてもらいたいと思います。(169-70)

〔略〕良い先生を捜さなくてはなりません。そのためには、沢山の講義に出て、質問をして、自分で見極めることが大事です。そして、この先生ならば、という人が見つかったら、そこのゼミを希望して、学問を体験する、ということが大学でできる最も正当な道ですね。(174)


@研究室

by no828 | 2014-03-21 18:50 | 人+本=体


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