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思索の森と空の群青

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2014年 09月 20日

むしろ病に伏していた時だったからこそ、想像力を存分に——三上延『ビブリア古書堂の事件手帖5』

むしろ病に伏していた時だったからこそ、想像力を存分に——三上延『ビブリア古書堂の事件手帖5』_c0131823_1936654.jpg三上延『ビブリア古書堂の事件手帖5——栞子さんと繫がりの時』KADOKAWA(メディアワークス文庫)、2014年。16(839)

版元 → 

 今回の導きの糸というか本というかになるのは以下の4冊です。

・ リチャード・ブローディガン『愛のゆくえ』新潮文庫
・『彷書月刊』(弘隆社・彷徨舎)
・ 手塚治虫『ブラック・ジャック』秋田書店
・ 寺山修司『われに五月を』作品社


「寺山の最初の作品集が『われに五月を』です。この詩のとおり、二十歳の頃に出版されました。詩はもちろん、それまでに書かれた短歌や俳句や日録が収められた、当時の集大成といっていい内容でした……でもこの詩が生まれた頃、寺山はネフローゼという内臓疾患で入院していました。ベッドから出られない日も多く、命の危険すらあったんです」
「……詩の内容と全然違いますね」
 木の葉を踏むどころではなさそうだ。重病患者が書いたとはとても思えない。
むしろ病に伏していた時だったからこそ、想像力を存分に働かせたのかもしれません……後に戯曲の中でこう書いています。『どんな鳥だって想像力より高く飛ぶことはできないだろう』って……」〔略〕
「〔中井英夫は〕日本探偵小説史上の三大奇書の一つとされる『虚無への供物』の著者です。幻想文学の書き手としても知られていますが、多くの若い歌人を世に送り出した短歌編集者でもありました。寺山の『われに五月を』の刊行も、中井の尽力によるものだったんです」〔略〕
「寺山がネフローゼに倒れたのは、華々しく活動を始めた矢先でした。中井英夫はこの天才が死んでしまう前にせめて一冊を、という思いで刊行したそうです。もちろん、寺山がこの時に命を落とすことはなく、退院後は時代のトリックスターとして、さまざまなジャンルに活動の場を広げていったわけですが……」
「亡くなったのはいつだったんですか」
「一九八三年です。四十七歳でした」
「……若いですね」
「ええ。肝硬変と腹膜炎で敗血症になって……ネフローゼの影響もあったと言われていますが、肉体はあまり頑健ではなかったようです……」
(221-4)

 ネフローゼで思い出すのは棋士 村山聖(→ )。

あなたなら他人の心の奥まで読むことができる。そういう人間には愛というものを自分自身で味わう必要はないわ。ただ知識の一つとして蓄えればいい……(288)


@研究室

by no828 | 2014-09-20 19:42 | 人+本=体


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