思索の森と空の群青

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2014年 10月 16日

実は賛成だ

 先週末は学会大会へ参加(のために、FにおけるRの結婚おめでとうの集まりには参加できず)。この学会(大会)は、自由研究発表を設けません。発表しないのに学会大会へ参加する意義はあるのか(反語疑問)、という思いが常にあるわけですが、この学会(大会)は議論に重点を置くところにも特徴があり、そこに惹かれて基本的に毎年参加しています。とはいえ、若手が発言することはなかなかに憚られる雰囲気でもあります。

 今年は道徳の教科化に問題意識を発した議論の場も設けられました。この学会は実践志向ではありません。議論も、現実の政策的な動きを細かく追跡するというものではなく、研究を含めた実践を反省するための契機を探ろうとするものでした。

 教科化に対し、賛成の立場を表明している人がおり、反対の立場を表明している人がいます。今回の議論は、司会者が反対、報告者3人のうち賛成が1人、立場不明(と思われた人)が2人、という構成ではじめられました。教科化の賛否を問うことは主題ではなく、主題はむしろ教科化の動きがあるなかでもう1度社会と道徳について考えるということであったので、立場不明であることは問題ではありません。しかしながら議論のなかで、立場不明の(と思われた)人が実は賛成だ、ということになり、注目されたのはその根拠でした。賛成の場合も反対の場合も、重要なのはその根拠です。

 実は賛成だ、の根拠は、次のようなものでした。大まかなまとめです。一言一句の聞き書き、文字起こしではありません。詳細はおそらく来年発行される学会誌に掲載されることになるでしょう。いや、議論の主題ではなかったから省略されるかもしれません。

 日本では道徳が教科ではない。また、教室では道徳の時間が学級活動やら何やらに振り替えられ、実際の道徳の時間はとても少ない。にもかかわらず、日本の子どもの、若者の道徳への意識、規範意識は国際的に高いというデータが示されている。日本は道徳的な圧力の強い社会(共同体)である。道徳的な圧力の強い状態が社会(共同体)の常態となっており、道徳が全体化しており、道徳を相対化する契機が存在しにくい。つまり、日本の道徳教育はすでに成功している。これが実は問題なのではないか。また、現在道徳は学校全体で、すべての教科を通して教えていく、ということになっているが、それも全体化という同様の事情から問題だと言いうる。教科化すれば、道徳と距離を取りやすくなる、道徳の相対化が可能となる。だから教科化したほうがよい。これは実は教科化反対派(の一部)が望むことではないか——

 制度に深く組み込んだほうが統御しやすい、それは制度に組み込めるものにすぎない(という認識が重要だ)、という考え方が示されています。この根拠への反対もありうると思いますが、この先の議論は、これが議論の主題ではそもそもなかったことに加え、時間の制約があって展開されませんでした。

 T町駅前。
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 T町駅前のTリーズ。早めに着いて少し勉強しました。
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 この商店街を通り抜けると、会場の大学の正門近くの交差点に出ます。
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 ビルのあいだのT京タワー。
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@研究室
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by no828 | 2014-10-16 20:13 | 日日 | Comments(0)


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