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思索の森と空の群青

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2014年 11月 03日

書くことがないと思いながら書きはじめたら読書会と講義の準備と雲

 書くことがないと思いながら何か出てくるのではないかと思いながら書きはじめています。

 3日すなわち今日からの週の講義の準備は今日3日にまとめて行なおうと、1日、2日は遅ればせながらのハイデガー『存在の時間』の3巻目までの復習を含め、自分の勉強・研究に時間を使いました。読書会で読みすすめている『存在と時間』は全4巻で、現在4巻目の4分の1から3分の1程度を読みおわったところです。読み方は、1字1句音読していく、参加者が1段落(1パラグラフ)ごと順番に音読していく、というものです。ここからここまで各自で読んできてその部分について集まって議論、という方法を当初は採ったこともありますが、音読方式に長らく落ち着いています。

『存在と時間』の復習では、音読しながらの読書会中にシャープペンで印を付けた部分を中心に、今度は赤ペンで線を引き、付箋を貼りながら、目を通しました。日ごろの読書会では読む範囲がぶつ切りになり、あるいはならざるをえず、その意義もあるとは思いますが、本書は一定の範囲を通して読んだほうが理解は深まるかもしれません。しかしながらこの感想も、単に読み通したうえでのそれではなく、ぶつ切りに読み通しを加えたうえでのそれなので、ただ読み通したほうがよいとは言えません。ぶつ切りに読み、個々の文章は理解し、ときに引き込まれ、しかし全体として何が言いたいのか、これだと言うことに自信が持てず、そもそも未完の『存在と時間』の邦訳全4巻を読んで“全体”を理解することは可能なのか、不安があります。とはいえ、何となく、ハイデガーの書きたかった事柄の中核は掴みかけている感覚はあります。すべてを読み終えてから付箋を貼ったところを中心にもう1度通読するつもりです。

 ちなみに、ハイデガーの難渋な文章——の邦訳——を読み、アーレントに読んでもらって朱を入れてもらったほうがよかったのではないか、しかしアーレントの思想もまた一筋縄では行かないところがあるから複雑な事柄は複雑なまま提示したほうがよいとアドバイスしたかもしれない、けれどもハイデガーの主張は本当に複雑なのか、……といったことも思います。

 祝日にでも講義の入る大学も3日は学園祭のために講義はありませんでした。喫緊の準備は4コマ分となり、いつもより1コマ分少ないから3日だけで何とかなると目測していましたが、結局はいまであります。本当は来週の今日の分も仕上げてしまう予定でしたが、それには手を付けられませんでした。ただ、講義後の帰りのバスでレビューシート、リアクションペーパー、質問用紙、呼び方不統一のその用紙に学生が書いた質問やらコメントやらは線を引きながら読み終えています。この学生の記述を「省察」としてまとめなおし、コメントを適宜付加することをしなければ、毎週の講義準備のための時間は大幅に短縮できます。帰りのバスで読み終えたそのコマの受講生は109名で、後期の受講生の総計は300人と少しです。時間がかかります。しかし、このフィードバックに意義があると、少なくとも目下のわたしは考えています。

 三学と一の矢のあいだ1
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 三学と一の矢のあいだ2
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 駐車場の上
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 三学と二学の極北のあいだ
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 夕暮れの動的な雲1
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 夕暮れの動的な雲2
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@研究室

by no828 | 2014-11-03 21:14 | 日日


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