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思索の森と空の群青

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2014年 12月 27日

いろんな意見の間を、あっちへフラフラ、こっちへウロウロしているうちに——永江朗『不良のための読書術』

いろんな意見の間を、あっちへフラフラ、こっちへウロウロしているうちに——永江朗『不良のための読書術』_c0131823_19231361.jpg永江朗『不良のための読書術』筑摩書房、1997年。47(870)

 版元 

 読書のすすめ、読書の仕方のすすめ。

 研究に直接応用可能かというとそうではありませんが、研究のための勉強には活用できそうな事柄が書かれていました。研究に使えるかどうか、の判断を下す水準での応用です。

 支持できること、(まだ)できないこと、ありました。たとえば本棚2列回避策は(実現できていないけれども/からこそ)支持、本棚の新陳代謝は不支持。そこにあることの重要性。不良になりきれていないわたし。辞書引き、拾い読み、飛ばし読み——これで内容を理解したと言える自信、というか、背景知識が持てるようになりたい。これはあれのことだ、あれのことはわかっているからここは速めに、といったように、背景知識が理解を助けてくれる。背景知識を持つためには、地道に読むしかない(あれ)。


 マジメなよい子にならない方法、つまり不マジメでいいかげんな不良になるには、本をたくさん読むことだ。
 本には毒がある。〔略〕いろんな意見の間を、あっちへフラフラ、こっちへウロウロしているうちに、人はだんだん不良になっていく。肝心なのは、常にフラフラ、ウロウロしていることだ。〔略〕
 しかし、ただ本を読めばいいというものではない。世の中の本の八割はクズとゴミだと思って間違いない。
(4)

 本の最大の特徴は、物体であるということではないだろうか。〔略〕紙の酸化の問題はあるけど、保存さえしておけば何十年、何百年と持つ〔ママ.保つ〕。書いた人も、それを読んだ人も死んでしまって、それでも本だけはずっと残って、見ず知らずの人に読まれるかもしれないというのは、これまたやっぱり、相当すごいことだ。(19-20)

 本は一冊丸ごと読まなくてもいい。〔略〕辞書や事典を最初の一ページから最後の奥付まで順に読んでいく人は滅多にいない。辞書や事典は引くものであって、読むものじゃないんだから〔略〕。あらゆる本はある意味では辞書や事典のようなものではないか。(26-7. 強調省略)

 そしてテクニックその三は一つの行の上のほうの一〇文字だけとか、まんなかへんの一〇文字だけを読んでいくもの。これはどんな本にも応用可能だ。そんなんで文章の意味がわかるのかと疑問に思う人もいるかもしれないが、意外やこれで一〇ページも読み飛ばすと、なんとなくわかったような気がしてしまうのである。(31. 強調省略)

 ぼくは売れ行きランキングなんていらないと思う。どんな本が売れているかなんて、読者にどんな意味があるというのだ。ぼくらが求めているのは、売れている本ではなくて、読んでおもしろい本なのだから。〔略〕不良のモットーは、みんなが読んでいる本は、死んでも読むもんか! なのである。(42. 強調省略)

 池田浩士は、教養小説に描かれるのは単にひとりの個人の自己形成過程だけではないと言う。その個人の歩みを支える社会の現実に対する目もそこにある。社会的現実への視線抜きに、個人の自己形成などありえないのだから。〔略〕抽象的なことをあくまで抽象的に厳密に語ろうとする啓蒙書や哲学書、思想書よりも、具体的現実の中でそれを語ろうとする教養小説や大衆小説のほうが、読者にとって現実味のある思想や哲学が、あるいは知恵が語られているということではないだろうか。(47)

みんなが読んでいるものを、オレまで一緒になって読むことはないぜ」と思う。〔略〕世の中の人々の熱狂がほかの本に移り、街の書店の新刊台から消えたころに、ゆっくりと読むのである。〔略〕古本市場でも飽きられて、もう少しで一冊一〇〇円の均一本箱に入れられるというくらいの時期に買うのがよろしい。(66-7)

 本が高くなれば、本はもっと売れなくなるという人もいる。そうかもしれない。でも、たとえば本が今の倍の値段になれば、本を買うほうはもっと慎重に選ぶようになるだろうし、そうなると出版社のほうもかなり吟味して本を作るようになるだろう。中身がスカスカの粗製濫造本や柳の下のドジョウ狙いのサル真似本も出しにくくなるだろう。クズみたいな本ばかり作っていた出版社は潰れ、ゴミみたいな原稿を書いていたライターは失業するだろう。それでいいのだ。
 出版される点数が減れば、取次も書店もいくらか労働が軽減されるだろうし、一冊の本が書店の棚に並ぶ時間も長くなる。クズ本が減れば書店の棚も活気づく。本が高くなることはたいへんよいことだ。断固として、本の値段を今の倍にすべし!
(93. 強調省略)

 ぼくらがつい犯してしまう誤りのひとつは、本の前後二列置きである。これだけは勇気をふるってぜひやめたい。〔略〕
 後列には背の高い本を置き、前列には背の低い本、たとえば文庫本などを並べるという妥協案もある。これもあまりおすすめできない。ぼくのようなズボラな人間は、前列の文庫本をどかしてまで、後列の本を調べるのは面倒だと、ついつい思ってしまうのである。
(209)

 ぼくの妻がどこかから仕入れてきたアイデアは、本棚と天上との隙間にぎっしりと本を詰め込むというものだ。実際にやってみると、これがなかなかよろしい。押しても引いてもびくともしない。突っ張り棒で固定するよりも安定感がある。本のタイトルがちゃんと見えるように横積みにしておけば、必要があれば、引っ張り出して読むこともできる。ただし、このアイデア、鉄筋・鉄骨の建物にしか使えない。(210)

 こうしてたえず本棚の中を新陳代謝していくのが不良の読書である。一〇年前に一度読んだきり、それから一度も触れていないような本を、ただ溜め込んでおくのはかっこ悪い。本棚は常にあなたの「現在」を表したものでなければならない。(212. 強調省略)

 読書は「剽窃」「盗用」でいい。本を読んでいて「なんだこれは」「そうか、こういうのもあったか」なんて思ったら、その部分をこっそりいただき、さも自分で考えついたことであるかのような顔をしていればいい。本を読むものではなく「引く」ものと思ってしまえばいい。〔略〕
 サンプリングとリミックスを繰り返しているうちに、どれがオリジナルかわからなくなってくるだろう。そうなればしめたものだ。「自分らしさ」だの「本当の自分」だのという幻想は、リミックスされたアイデアの中にまぎれて見えなくなってしまう。それでいいのだ。
(226. 強調省略)

 これをこのまま論文執筆に適用することはできないとは思います。ただ、この感覚が大事だとも思います。そして、この辺りの感覚が身に付いていないという自覚があります。すべては借り物、誰かがすでに言っている、という感覚。すべてが先行研究。だから自分で文章が書けなくなる。

@研究室

by no828 | 2014-12-27 19:39 | 人+本=体


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