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思索の森と空の群青

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2015年 03月 23日

汚れているからではなく、そこにいる連中が真剣に生きていないからだ——村上龍『イン ザ・ミソスープ』

汚れているからではなく、そこにいる連中が真剣に生きていないからだ——村上龍『イン ザ・ミソスープ』_c0131823_1835383.jpg村上龍『イン ザ・ミソスープ』幻冬舎(幻冬舎文庫)、1998年。77(900)


 版元
 単行本は1997年に読売新聞社

 ブログ開設後通算900冊目。昨年のものが続きます。 → 


 ケンジは20歳になったばかりで、完璧とはいえないらしい英語を使って外国人観光客のとくに性風俗のアテンドを東京でしています。そこにフランクが来ます。表紙の男とイメージが重ならないわけではない。

 暴力。

 そして、“日本人”への危機感。ああこれか村上龍に通底するのはこれなのか、という読後感。

 181ページから189ページまで改行が1度もありません。この効果。

 かなりグロテスクな描写を含みますが、内容の詰められた小説だと思いました。


 告白するアメリカ人は、受け入れるという言葉を苦しそうに使う。我慢という言葉を使うものはいない。我慢という言葉はいろいろな意味で日本的だ。アメリカ人とそういう話をしたあと、寂しさの質が違うような気がして、おれは自分が日本人でよかったと思う。事実や状況を受け入れようという努力が必要な寂しさと、ただじっと我慢していればすむ寂しさは違う。おれはアメリカ人のような寂しさに耐える自信がない。(56)

いろいろなことが短い時間で起こって、考えを整理することができなかった。ソファの狭さも影響している。フランクの太腿に自分の太腿がぴったりとくっついているために、どこかへ逃げ出すことを最初からあきらめているところがある。肉体が窮屈だと、精神も窮屈になるのだ。(162)

 援助交際をする女子高生やお見合いパブで殺された女達とは違う。日本のほとんどの売春婦は、金のためではなく寂しさから逃れるためにからだを売っている。莫大な金を親戚中からかき集めて中国本土からやってきた女達をよく知っているおれからすると、それはものすごく不自然で異常なことだ。さらに異常なのは、そういう事態を誰も真剣に異常だと思っていないことで、たとえば援助交際を語る大人達は必ず他人のせいにする。自分達はそういうことと無関係だと思っている。フランクが交渉している中南米の女は、この寒さの中コートを着ていない。ストッキングも穿いていないし、下げているバッグは海水浴に持っていくようなビニール製のもので、まるでマッチ売りの少女のようにスカーフを被っている。彼女達は、自分や家族が最低限必要なものを手に入れるために、これしか売るものがないというものを売っている。悪いことなのだろうが、不自然でも異常でもない。(205)

ただ、外国人とつき合う仕事を二年近くやって、一つのことに気づいた。イヤなやつはイヤな形でコミュニケートしてくる。人間が壊れている、というとき、それはその人のコミュニケーションが壊れているのだ。その人間とのコミュニケーションを信じることができないときに、そいつを信じられないやつだと思う。あのお見合いパブには、嘘のコミュニケーションしかなかった。〔略〕たとえばチャイニーズクラブやコリアンクラブの女達だって、チップが欲しいから平気で嘘をつく。でも彼女達の大半は稼いだ金のほとんどを故国に送っていて、それは残された家族が生きのびるための資金だ。中南米の女達も、家族にたとえばテレビを買ってやるためにからだを売っている。彼女達は真剣だ。欲しいものがはっきりしているから、迷うことがないし、何となく寂しい、とは思わない。あのお見合いパブのような場所は子どもには見せられない。汚れているからではなく、そこにいる連中が真剣に生きていないからだ。どうでもいいことのために、みんなあそこにいた。これがなければ死んでしまう、というような目的を持ってあの店にいた人間は一人もいない。(213-4)

「彼女にとって初めての外国だった、外国なのだから、きっと神が違うのだろうと思った、カソリックの神は、風習も違い自然も違うので力を失うのかもしれない、そう彼女は考えたんだ」〔略〕
この国ではこの国の神について考える必要があるのではないかと彼女はそう思った、そしてそれは正しかった」〔略〕
「彼女はこの国の神について知ろうとしたが、そういうことを扱った書物でスペイン語に翻訳されているものはまったくなかったそうだ、彼女は英語がダメだからね、いろいろな客に聞いたが、そういうことを知っている日本人はまったくいなかったらしい、この国では誰も神について考えていないのだ、と彼女は思った、この国の人には辛いことがないのだろうか、神にすがる以外どうしようもないような苦しいことがないのだろうか、と彼女は思った
(230-2)

「人間は想像する、あらゆる動物のなかで、想像力、を持っているのは人間だけだ、他の大型獣に比べて圧倒的に非力な人間が生き延びていくためには、想像する力が必要だった、〔略〕子どもは残酷だとよく言われる、子どもは昆虫や小動物をよくいじめたり殺したりする、玩具を壊す子どももいる、それは興味本位でやっているのではなく、想像力の不安を現実の中にスルーさせて逃がすためだ、昆虫をいじめて殺すという自分の想像に耐えきれなくて、昆虫を殺しても自分や世界が崩壊するわけではないことを無意識に試しているんだ(262)

「どうしてそばを食べれば死なないと昔の日本人は思ったのかな?」
 フランクが真剣な顔でそう言って、死なないわけではない、とおれは訂正した。フランクが、理解できないという表情をし、おれは、変なことを言ったと気づいた。確かに、意味として、長く生きることと死なないことは同じことだ。ひょっとしたら、とおれは思った。この国では長く生きることと死なないことはニュアンスが違うのではないか。自分達を殺すために外部から誰かがやってくるというイメージを日本人は持ったことがないのではないか。
 フランクは、乾燥して膨れ、灰色の塊にいなったそばを箸で切断しようとしている。
(285)

あいつらは、生きようという意志を放棄しているわけではない、他の人間とのコミュニケーションを放棄しているんだ、貧しい国には、難民はいるが、ホームレスはいない、実はホームレスはもっとも楽に生きている、社会生活を拒否するのだったらどこか他の場所に行くべきだ、何らかのリスクを負うべきだ、少なくともぼくはそうしてきた、彼らは罪さえ犯せない、退化している、ぼくは、ああいう退化している人間達を殺してきたんだ」
 フランクはそういうことを、おれの英語に合わせてできるだけゆっくり話した。説得力はあったが、おれはどこか納得できなかった。
(290)


@研究室

by no828 | 2015-03-23 18:47 | 人+本=体


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