思索の森と空の群青

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2015年 06月 19日

ほうたいを巻いてやれないのなら、他人の傷にふれてはならない——三浦綾子『続 氷点』

c0131823_2016373.jpgc0131823_20162488.jpg三浦綾子『続 氷点』上下、角川書店(角川文庫)、1982年。89(912)


 版元(上) 版元(下)

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『氷点』の続編。自殺を図った陽子は一命を取り留め、自分が殺人者の娘ではないことがわかり、しかしそれですべてが落着するわけでもなく、という展開。自分の本当の親、血のつながった兄弟、血のつながらない兄、兄の親友、さまざまな関係。


 そうだろうか、と陽子はタオルの襟布の端を折りたたんだり、ひらいたりしていた。陽子は、自分が不貞の中に生れたことが辛かった。自分が生れた時、父も母も、狼狽、困惑しただけであろう。できることなら、闇からやみに葬りたかったにちがいない。自分が胎内にあった間じゅう、自分の母親が何を考えていたか、陽子にはわかるような気がした。親にさえ喜ばれずに生れた子が、この自分であり、生んですぐに捨てられたのがこの自分なのだと、陽子はくり返して思って来たのだった。
 いっそのこと、殺人犯の佐石の子として生れて来たほうが、よかったとさえ、陽子は思った。佐石夫婦に、喜びを持って迎えられた命のほうがましだった。少なくとも、裏切りの中に生れなかっただけでも、しあわせのような気がする。〔略〕
(たとえ、生れてすぐ捨てられても、生んでもらっただけで、感謝しなければならないのであろうか)
(上. 43)

「だけどね、旦那。ゆるすって、人間にできることかしら?(上. 54)

想像力のないものは、愛がない
といった誰かの言葉を啓造は思い出しながら、ため息をつき、自分に送られた浴衣を手に取った。
(上. 84)

「ねえ、院長先生、もしわたしが村井と別れなかったら、うちの娘たちは、父親の姿に完全に幻滅を感ずると思いますわ。この間、何かで読みましたけど、やくざな親なら、いないほうがいいんですって。かえって、死んでいる場合のほうが、子供は強くまじめに育つんですってよ。死んだ親は美化されるからでしょうか(177)

「わたし、すごくまちがっていたのね。外に現れた行為だけが、自分の姿だと思っていたのよ。わたしは確かに、人を悪くいうことは嫌いだったわ。あたたかい言葉で、人に接しようと思ってきたわ。でもね、人間って、じっと身動きもしないで山の中にいたとしても、本当にどうしようもない、いやなものを持っているとわかったわ(上. 213)

とにかく人とかかわることがこわいのよ。どんなふうにつきあっても、結局は傷つけてしまうような気がするんですもの。だから縁の深い人ほどこわいの。おにいさんなんか、一番こわいわ」〔略〕
「わたしね、おにいさん。だから軽々しくは動きたくないの。どんなことにも。小樽のひとにも」
(上. 219)

「一番大事な命を与えてくれたのは、何といっても親なんだからね」
「おにいさん。陽子はね、命よりも大事なものが、人間にはあると思うの」
 静かだが、力のこもった声だった。
「わたし、生んでもらったのか、生む意志がないのに生れたのか、それは知らないけど、とにかくこの世に生れたわ。でも、こんな生れ方って、肯定はできないわ
(上. 221)

「ね、おにいさん。わたしたちは若いのよ。若い者は潔癖な怒りを知らなければ、いけないと思うの(上. 222)

「ね、陽子さん、わたしね、幸福が人間の内面の問題だとしたら、どんな事情の中にある人にも、幸福の可能性はあると思うの(上. 262)

「……しかしね陽子、おじいさんの育て方が、まちがっていたことはたしかだよ。夏枝は母親を早くになくしたものだからね。まあひとことでいうと、甘やかしたんだよ。恥ずかしい話だが、おじいさんは夏枝を叱れなくてね。何でもよしよしといって育てたんだ。注意すべき時にも注意せず、したいままにさせておく、これもひとつの捨子だね。手をかけないのと同じだよ
 何もかも、夏枝の父が知っているのを、陽子は感じた。
一人の人間を、いい加減に育てることほど、はた迷惑な話はないんだね
(上. 330)

一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである
 ジェラール・シャンドリという人のいったこの言葉が、なぜかしきりに頭に浮かぶと、おじいさんはおっしゃるのです。
(上. 333)

母の日っていうのは、必要なのかね。プレゼントしてもらえる母親には楽しいだろうけれど、何もしてもらえない親には、淋しい日じゃないのかね」〔略〕
「老人の日に父の日、母の日に子供の日か。なんだ、一通りそろってるじゃないか」
と、いうことは、老人も親も子供も、みんな大事にされていないということだな
(下. 49)

「そうだ、お手玉もしましたよ。赤や青の小布をはいでなあ。みんな、中にあずきを入れてなあ。だけども、うちは貧乏してたからね、豆のような小さな石をたくさん拾って、中に入れてね。うん、痛いお手玉でなあ。友だちは、だあれも、わたしのお手玉にさわらなかった。でも、せっちゃんね、あのひとだけは、時々わたしのお手玉で遊んだね(下. 64)

「どうして若い人のほうが早く死ぬんかねえ。うちの息子も戦争で死んだ。シンガポールで死んだってね、役場からもらった遺骨の箱に、紙きれが一枚入っていたんですよ。わたしも、息子の死んだところまで、一度行ってみたかったけどね。いつのまにか、八十を過ぎてしまって、もう行けなくなりましたよ」〔略〕
何しに生きてきたのかねえ。貧乏して、亭主に道楽されて、息子に死なれてなあ。それでもやはり、死にたくはないわね
(下. 65)

真に美しいといいきれるものは、ないのかも知れない(下. 132)

父母はわたしをもらう時、わたしの身の上を一切知った上で、こういったそうです。
子供にめぐまれない親と、親にめぐまれない子供です。似合の親子ではありませんか」って。
(下. 155)

 父はうちの薬局に、こんな言葉を色紙に書いて飾っております。
「ほうたいを巻いてやれないのなら、他人の傷にふれてはならない」
 わたしの好きな言葉でもあります。
(下. 167)

「あのね、いつか何かの小説で〈自ら復讐すな。復讐するは我にあり、我これを報いん〉という言葉を読んだのよ。その言葉にぎくりとしてね。何かよくわからないけれど、その言葉は心理だと直感したのよ。それからは、ふしぎにすっと気持が軽くなっちゃった。何しろ、わたしが復讐するよりも、もっと厳正な復讐があるにちがいないと思ってね。そしてね、真に裁き得るものだけが、真にゆるし得るし、真に復讐し得るのだとも、思うようになったのよ(下. 197)


@研究室
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by no828 | 2015-06-19 20:28 | 人+本=体 | Comments(0)


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