思索の森と空の群青

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2017年 02月 27日

「私たちが国境を越えたのではない! 国境が私たちを越えたのだ!」——町山智浩『99%対1% アメリカ格差ウォーズ』

 町山智浩『99%対1% アメリカ格差ウォーズ』講談社(講談社文庫)、2014年。24(1021)

 単行本は2012年に同社

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 だいぶ前に買って積んでいました。手に取ったのは、大統領選が控えている、ということが頭の片隅にあったからかもしれません。その前提や文脈を理解するための知識を図らずも本書で得ることができました。〔と書いたのは2016年の4月です。2017年2月27日記〕

 報道の中立性ということについても考えさせられる内容でした。すべての立場には偏りがあるわけで、それは報道も例外ではなく、彼の国でもそれは明らかなわけです。中立的な報道を、ではなく、報道は中立的ではありえない、ということが重要でしょう。あえて「中立性」という言葉を使うなら、“主張の中立性”はありえなくて、ありうるとすればそれは“根拠の中立性”でしょう。中立的な根拠のうえに中立的ではない主張が出てきます。同じ根拠から異なる主張が出てきます。Xである、だからYである、なのか、Xである、だからZである、なのか。問われるべきは主張ではなく、根拠だとも言えます。

 ティーパーティー
 ←(動員)ディック・アーメイ(共和党下院院内総務)@フリーダム・ワークス(保守系政治団体)
   ←(母体)CSE(健全な経済を求める市民)(保守系シンクタンク) ↑(寄付)
      ←(創設)チャールズ&デヴィッド・コーク兄弟(コーク・インダストリーズ)

 1963年夏、マーティン・ルーサー・キングJr.牧師の呼びかけで20万人が首都ワシントンに集まりました。キング牧師はそこでこう演説しました。「私には夢がある。いつの日にか、私の子供たちが肌の色ではなく、人格の中身によって判断される国に住むことを」と。8月28日のことでした。

アメリカでは、「自由」がハンドルを握って国を走らせ、ついに破綻すると、今度は「平等」がハンドルを奪って、また破綻するまで突き進み、今度は「自由」が……という運転を続けてきた。(17-8)

 そんな根も葉もない中傷と戦ってきたアニタ・ダンはついにキレた。
FOXニュースはCNNのような報道機関ではありません。共和党の翼賛団体だと言っても間違いではないでしょう」(33)

 ヴードゥーはアフリカの民間信仰がカリブ海の奴隷の間で発展したもので、呪いの人形や死体蘇生(ゾンビ)で知られる。これはキリスト教徒から見れば黒魔術、魔法、邪教、悪魔崇拝になる。だから〔米国クリスチャン放送網(CBN)の〕パット・ロバートソン牧師は、219年前に悪魔の力を借りて革命を起こしたハイチに地震で罰が当たったと言ったのだ。
 この発言はあらゆる意味でバカげている。現在、ハイチは全人口の65%がカトリック、16%はプロテスタントで、世界で最もキリスト教的な国の一つである。そもそも人間を奴隷化することのほうが悪魔の仕業ではないのか?
 なぜ彼はそんな発言ばかりするのか。福音派の源であるプロテスタントには「予定説」という思想がある。「この世に起こることはすべて神の計画通りだ」という考えだ。天災も神の意志だと。だからロバートソンは地震の被災者を罪人呼ばわりし、キリスト教の教えに反する人々は天災で死ぬと脅すのだ。しかし、そんな暴君のような神が崇拝に値するだろうか?(49-51)

彼ら〔ティーパーティー〕は「政府が史上最大の財政赤字を抱えている時に国民に増税して支出を増やす政権を容認できない」とオバマを批判するが、その論理は理不尽である。まず、この赤字を作り出したのはオバマではない。富裕層と大企業に減税しながらイラク戦争で莫大に浪費したブッシュ政権が作ったものだ。この赤字は支出を抑えるだけでは減りはしない。だからオバマは増税しようとしているのだ。しかも増税の対象になるのは富裕層のみ。国民の95%は逆に減税の対象になる。オバマの景気刺激策予算にはこの減税が算入されている。ティーパーティー支持者で増税の対象になる人はほんの一握りしかいない。(56)

マチューテ』の予告編で感動的なのは、ジェシカ・アルバがフランス革命の女神のようにメキシコ系の蜂起を煽動するシーンだ。
私たちが国境を越えたのではない! 国境が私たちを越えたのだ!
 それは06年頃からメキシコ系労働者のデモで聞かれるスローガンだが、ハッタリでも何でもない歴史的事実だ。〔略〕
 かつてメキシコだった土地にメキシコ人が入って何が悪いのか。そもそもメキシコ系はアメリカ先住民の血を濃く継ぐ人々だ。アリゾナの白人どもには「我々が先祖代々住んできた土地から出ていけ!」と言っちゃえばいいのにね。(103-4)

ほんの一握りだけが金持ちで、他はすべて貧しいのが第三世界です」(アリアナ・ハフィントン.121)

 コムキャストに限らず、巨大企業の経営者たちには共和党支持者が多い。共和党は自由市場競争と規制緩和を党是としているからだ。しかし、自由市場競争は資本の集中独占を招き、かえって多様性が失われる傾向がある。その問題を指摘した〔バーニー・〕サンダースはアメリカで初めて社会主義者であると宣言したうえで選挙に当選した上院議員。こんな政治家もいるうちは、アメリカの多様性は健在だね。(130)

 FOXニュースの人気司会者ショーン・ハニティ(ニューズウィーク誌の政治コメンテイター番付3位)はカイロのデモの映像に怯えて、思わず口走った。
このような民衆の蜂起が民主的な体制につながった例があるしょうか? 私はひとつも思いつきません
 えーと、いっぱいあるけど、民衆の武装蜂起で建国した民主的な国でいちばん有名なのは、アメリカ合衆国だよ。(153)

 他人への共感の完全な欠如は、精神医学上、サイコパスの特徴である。アイン・ランドは人の本能は利己だと主張するが、そうだろうか? 見ず知らずの人の痛みを感じ、見ず知らずの他人のために自分の命を捨てることさえできるのが人間ではないのか。
 サイコパス的な思想がティーパーティーを、いや、現在の共和党を動かしていると考えるとぞっとする。ロン・ポールは小さな政府を求めるあまり地震や台風対策を行う政府機関FEMA(連邦緊急事態管理庁)まで否定した。災害すら「レッセフェール」なら、国家なんか要らないし、あなたのような政治家も要らないのだ。
 ちなみに福祉と富の再分配を嫌悪していたランド自身は晩年、ガンになって高額な医療費に苦しみ、社会保障とメディケアの支給を受けていた。彼女は税金の再分配を受けながら、社会や国家が何のためにあるか、わかっただろうか。(212)

 1953年、アイゼンハワー大統領は最高裁長官にアール・ウォーレンを任命した。ウォーレンはアイゼンハワーと共和党の大統領候補指名を争ったライバルで、保守的な言動で知られていた。しかし、最高裁長官になってからは次々とリベラルな判決を下した。特に54年の「ブラウン対教育委員会裁判」では、白人と黒人が同じ公立学校に通うことを禁じたカンザス州法が合衆国憲法修正第14条「法の下における平等」に反していると判決し、南北戦争以降100年も続いてきた南部の人種隔離政策に風穴を開け、60年代の公民権運動の起爆剤になった。
 また66年にウォーレンは「ミランダ対アリゾナ州裁判」では容疑者に黙秘権があることを告げずに得た自白は無効であると判決し、以後、警察は犯人逮捕時に「君には黙秘権があり、弁護士を雇う権利がある」という「ミランダ警告」をすることが義務付けられた。
 アメリカの60年代におけるカウンターカルチャーを支えたウォーレン長官の最高裁は「ウォーレン・コート」と呼ばれ、それを引き継いだウォーレン・E・バーガー長官も、73年、「ロー対ウェイド裁判」で、人工中絶を禁じる州法を合衆国憲法修正第14条が保護する個人の自由の侵害であると判決した。〔略〕
 その後、判事は少しずつ入れ替わり、92年には9人のうち8人を共和党の大統領に任命された判事が占めることになり、共和党に有利な判決が下されることが多くなった。レーガンからブッシュ・ジュニアにいたるアメリカの保守黄金時代は最高裁によっても支えられていたのだ。
 決定的だったのは00年の「ブッシュ対ゴア裁判」だ。2人は大統領選挙を僅差で争い、フロリダ州の得票で勝敗が決することになったが、1784票しか差がつかなかったのでゴアが票の数え直しを要求、ブッシュはそれを憲法修正第14条の平等保護に違反すると訴えた。郡ごとに票の数え方が違うから、というよくわからない論理だが、共和党に任命された判事が7人を占める最高裁はそれを認め、ブッシュを大統領とした。この判決がなければイラク戦争もサブプライムローン問題も財政赤字もなかったのかと思うと、本当に罪な話だ。(269-71)

 マイケル・サンデルのハーヴァード大学での講義に感銘を受けた人は少なからずいると思う。かくいう私もサンデルに私淑し、アメリカ政治哲学を学んでもうかれこれ四半世紀を超えるが、あれをアメリカの社会的知性の成熟のかたちと思い做してはならない。むしろ政治哲学は「防災インフラ」みたいなものと捉えられるべきものだ。あらゆる事象に関して、ああした“フェアでオープンな”討議がなされ、かつ妥当な結論に辿り着くようなプロトコルを通有しておかないと、すぐに破綻してしまいかねない社会の危うさが背景にある。(284-5)

@研究室

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by no828 | 2017-02-27 15:58 | 日日 | Comments(0)


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