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思索の森と空の群青

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2017年 04月 03日

静けさを両手に受けとめることが、今までにないほど、大切なときが、やってきた——山崎佳代子『ベオグラード日誌』

 山崎佳代子『ベオグラード日誌』書肆山田、2014年。28(1025)


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 ベオグラード在住の詩人、日々の記録、感覚の言葉。

 詩とは何か、まだよくわかりません。その言葉の短さゆえに、そしてその行間の広さゆえに言葉の意味の受け取り方、あるいは与え方に幅が出る——それが不安なのかもしれません。他者(学生)に説くほどに想像力は大切であると思ってはいるものの、それは少なくとも現時点では詩の不安を解消していません。

 静けさを両手に受けとめることが、今までにないほど、大切なときが、やってきた。(12)

最後に、ボイツェク役の俳優の重盛さんが、俳優にとって言葉とは何かという質問に、「言葉? 言葉、言葉……ですか。言葉……。言葉、というより、言葉、話さなければならない……その理由の方が僕にとっては大切だと……」と答えて、印象に残った。(22-3)

 長いお話のあと、「身体も大切にしなくちゃだめよ。魂の入れ物だから」と、おっしゃる。心にとめ、キイロの紙に書きとめ、机の前に貼る。(51)

仕事の分水嶺に立った今は、思考を集中し持続し、思考の最高の頂点を求めること。気力を永続させること。満点主義はいけない、とおっしゃる。(73)

文学にとってモラルとは何であったのか、語り合った。(75)

詩とは、静かな光に身を捧げること。そうでしょう?(82)

出版はどこも難しい。だけど詩集を編むことは大切だ。そこではじめて詩が存在するのだからね、と言った。それまでは無だ、と。(87)

文学のテキストとは、開かれたテキストであり、絶えず他のテキストとの関係の中で成り立つ。(123)

夜、電話あり。詩人のカラノビッチさんから。とくに用事はないのだけど、声を聞こうと思った、と。声を聞きあうこと、それこそ詩。雨になっていた。(165)

翻訳とは、詩。そう、翻訳家とは詩人。小さな言葉ひとつひとつに心を捧げつづけること、言葉によって人と人をむすびあわせること。(196-7)

 夜のテレビの画面は、地震のあと海を漂流していた犬が救出されたと日本から伝え、リビアからはトリポリの空爆の模様を伝えている。ひとつの国に救いの手をのべ、ひとつの国には戦闘機を送る。この時代の哲学とは何か。世界には多くの震源地があり、無数の原発がある。(212)

 私が生まれたのは、クロアチアのコザラ村。家族は父母と兄弟七人。母は戦争が始まってじき亡くなり、父はナチスの収容所で死んだ。姉と私は、最初、シーサックの子供収容所に送られた。世界で唯一の子供の絶滅収容所(セルビア人、ユダヤ人、ロマ人の子供を収容)……。そこからドイツのダッハウへ送られた。アウシュビッツと同じくらい恐ろしい所よ。
 私は父が大好きだった。父の暗殺を誰かが企てていると聞いて、父を守ってあげたくて、どこでもついていった。森へ狩に行くときは、父は大きなリュックサックを背負い、私に小さなリュックサックを背負わせ、連れていってくれた。なぜ娘に荷物を持たせるのかと問われると、この子には厳しい人生が待っているから鍛えておく、と父は答えた。その通りになった。正直に生きることを教えてくれた。この教えがなかったら戦争を生き延びられなかった。
 ダッハウ強制収容所では重労働。夜中の十二時に点呼があり、意味もなく起こされる。ろくに食べ物ももらえず、肉体労働で疲れ果てている。私たちを苦しめるほかに意味のない点呼、辛かったわ。(213-4)

 クロアチアへ行ってきたあとに改めて最後の引用部分を読む、ということに図らずもなりました。世界で唯一の子供の絶滅収容所のことをこの本を読むまで知らず、無知をただ恥じるばかり。

@研究室


by no828 | 2017-04-03 18:02 | 人+本=体


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