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思索の森と空の群青

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2017年 04月 23日

私は決して書き逃げはしないし、私も共にここで生きていくのだ——渡辺一史『北の無人駅から』

 渡辺一史『北の無人駅から』北海道新聞社、2011年。42(1040)


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 北海道の無人駅を結節点とした人びと、風景、動物の歴史と物語。「地方」とは何なのか——本書にはそれを理解するための手がかりが豊富に含まれています。気づかされた点が多々ありました。

775-8)あとがき
 もっと「本当のこと」を書かなければならない——。この20年間で、私が見たこと、感じたこと、考えたことのすべてをこの本の中に封じ込めたい。この本の取材と執筆に取り組みながら、私が憑かれたように思い続けてきたのは、そのことだった。
 書きながら、考え、悩み続けていたことがもう一つあった。
 それは、「地方」を描くとは、「地方に生きる人たち」を描くとはどうあるべきなのか、ということだった。〔略〕
 結局のところ、私がとった方法は、長いスパンでその地域を見続けること、そして時間をかけて取材対象者とつきあっていくということでしかなかった。私は決して書き逃げはしないし、私も共にここで生きていくのだ、という絶えざる働きかけの中で、私がそう書かざるをえなかった理由を、私の人間性とともに、彼らに、そして読んでくれる人にも納得してもらうほかないのだろうと思っていた。〔略〕自分の定めた目標に対してウソはつかなった、ごまかさなかったという思いだけはある。とにかくこの8年、私は寝ても覚めてもこの本を完成させることだけを考え続けていた。この本一冊のために、一度もさわやかな朝食を口にしなかった。

106-7)「タンチョウと私の「ねじれ」」
 しかし、六花に泊まり、夜ごと話をしてみると、田中さんの言うことはいちいちもっともで、何よりその信念を曲げない姿勢に敬意を抱くようになった。
 ただ妥協を許さないそのやり方が、知らない人には偏屈だと思われがちなのだ。
「誤解が多くて大変でしょうね」私がいうと、
「いやもう、誤解どころか、ごかい、ろっかい、超高層ですよ」と笑った。「でも、私には私の基準っていうのがあって、それを手放したら、もう自分でなくなっちゃうからね
 それにしても、私はこの「茅沼ツル騒動」を思い出すたび、
《疑ひは人間にあり、天に偽りなきものを》
 という古い謡曲の一節を思い浮かべる。
 もめごとのタネは、つねに人間の側にあるのであって、タンチョウや自然の側にはない。タンチョウを狩猟の獲物にしたり、かと思えば一転、手厚い保護の対象にしたり、観光の客寄せに利用したり…と、ものごとを複雑にしているのは、いつも人間の方なのだ。

121-2)「タンチョウと私の「ねじれ」」
 タンチョウは、自分たちを追いつめた人間の手を借りて生き延びることになった。それが人工給餌である。皮肉といえば、あまりに皮肉な話なのだ。だから、「その哀しみを、もっと深く受け止めなければならない」と田中さんはいう。
人からエサをもらってる場面というのは、タンチョウにとって、じつは屈辱的な場面なんですよ。本来であれば、こうやってトウモロコシをあげてる間に、われわれはタンチョウが住める環境に戻して、返してあげなきゃいけない。なのに、人間はなにも進歩してない」
 それどころか、タンチョウへの給餌を、あたかも「人とタンチョウの共生」であるかのように美談として語ったりする。〔略〕
「歴史の哀しみを、もっと深く受け止めなければならない」〔略〕
せめて釧路湿原くらいは、もうすべてタンチョウに解放してあげたらいいんですよ。そして、人間は一切立ち入らない。タンチョウが野生を取り戻せるように、湿原をタンチョウに返してあげたらいいんですよ
 もし釧路湿原をタンチョウに丸ごと返すというのなら、自分も一切の給餌から手を引いて、この場から立ち去ってもいい、と田中さんはいう。〔略〕田中さんは「給餌」ではなく、「給仕」という言葉を使うべきだと主張する。タンチョウにとって、トウモロコシは「餌」ではなく「食べ物」だという信念があるからだ。
 タンチョウに“給仕”をしながら、田中さんは「アンタは食べる権利がある、私は持っていく義務があるんだ」と思っているという。

160)「タンチョウと私の「ねじれ」」
一番だいじなのは気持ちの問題。やさしいだけだと馬だって蹴ってきますし、噛んできます。マルチーズだって牙を剥いてきます。動物はつねに順位関係を見てますから。〔略〕『乗るぞ』オレがおまえの主人。『よろしくねー、重いけどごめんねー』っていうくらいなら乗らない方がいいですね。感謝してかわいがるのは降りたあとでいいんです。ムツゴロウさんみたいに『よーしゃ、しゃしゃしゃ』って」
 事実、降りたあとの馬への感謝とかわいがりようは堂に入ったものだった。この桑原さんの懐の深い包容力が、日々の動物たちとの暮らしを支えているのである。
 しかし、そうした気持ちのメリハリが、私を含めた現代人の最も苦手とするところではないか。

165)「タンチョウと私の「ねじれ」」
 桑原さんがシカを撃つのは、人間がオオカミを絶滅させてしまった以上、その代役を果たすのは人間の責任であるとの考えからだ。しかし、その際に重要なのが、すべてを人間の都合だけで考えるのではなく、生態系のピラミッド全体を見渡した自然保護だと説く。
「何よりも大切なのはバランスなんです。
 それぞれのメンバーが適正数そろって、初めて豊かな森、健康な森がつくられる。森が健康かどうかは、地球が健康かどうかのバロメーターだと思います。であるのなら、シカが増えすぎれば間引きする。また、数が減りすぎたら全力で保護する。全体をバランスよく見渡した上で物事を考えていく必要があると思います
 また、日本では、ハンティングという行為は自然保護から最も遠い行為と思われがちだが、本来、第一級のハンターは第一級のナチュラリストでなければならないと桑原さんはいう。

168)「タンチョウと私の「ねじれ」」
「シカがかわいそうとは思わないですか」
 私が単刀直入にそう訊ねると、桑原さんは思わず私の顔を見て、そして、ひと呼吸ついてからいった。
「思いますね。ものすごく残酷なことをする。一般的にいうと、かわいそうなことをするってことです。そこを曖昧にすべきではないですね。
 ぼくは、殺すことが全然『いいこと』だとは思わないし、ウマに乗って笹を踏み分けながら森の中へ入っていくと、シカのすぐ間近まで寄れるんですね。そんなとき、シカはすばらしくきれいな美しい動物だと思います。その美しいシカの命を、この手で奪うということです。だから、狩りをしながらも、つねに葛藤の連続ですね
 桑原さんの言いたいことはよくわかる。つまり、それが「肉を食う」ということの本質なのだろう。そして、殺すからこそ畏れの感情も抱くし、シカの血の一滴さえムダにしないという獲物に対する感謝や慈しみの感情も生まれる。
 逆に、普段から肉食しまくっているくせに、自分の手を血にまみれさせることがない現代では、狩猟を他人事のように「残酷だ」と感じてしまうのだろう

174)「タンチョウと私の「ねじれ」」
「だけど、人間が悪い、人間が自然をおかしくした、すべては人間のせいだって、よくいいますけど、じつはそう語ってるのも人間なわけですよね。
 あくまで人間を除外するわけにはいかない。人間としてどう自然の中で生きていくか。それはやっぱり人間が考えていくしかないんですよ。
 今まで、人間が自然に手を加えすぎておかしくしたんだから、これからはいっさい手を加えずに温かく見守りましょう。表現的にはすばらしいですね。温かく見守りましょう。
 でも、自然のバランスをこれだけ崩しておいて、あとのことは知らない、あとはいっさい手を加えずに見守りましょうでは、あまりに勝手すぎませんか。
 まずは、自然にさらに手を加えてでも、人間の英知によって崩れたバランスを取り戻す。それが人間の責任なんじゃないですか

417-8)風景を「さいはて」に見つけた
 もともとユースホステルという発想は、今から100年も前にドイツで生まれたものである。発端は、ドイツの小中学校の教師だったリヒアルト・シルマンという人が、子どもたちを長期の野外遠足に連れ出そうとしたことから始まった。
 20世紀初頭のヨーロッパは、とりわけ工業都市などの公害が発生し、煤煙や排気ガスなどで大気が汚染され、肺結核などの病気にかかる子どもが増加していた。そこで子どもたちを都市郊外へ連れ出し、豊かな自然の中で学ばせたいとシルマンは考えたのである。
 しかし当初、この考えは同僚教師や親の無理解、反対にあい、なかなかうまくいかなかった。何より問題だったのは、泊まるところが見つからなかったことで、農家と交渉して納屋に寝泊まりさせてもらうなど苦労を重ねていた。
 そんなあるとき、シルマンは神の啓示を受けたかのようなひらめきを得る。
夏季休暇などで使用されていない学校の教室を、子どもたちの宿泊施設として利用できないだろうか。そして、それをドイツじゅうの学校に呼びかけてネットワーク化できないか
 これがのちのユースホステル運動となって世界へ広がっていく発想のもととなった。
 シルマンがこの着想を得たのが1909(明治42)年8月26日で、この日は「ユースホステル誕生の日」(シルマンデー)として関係者の間でメモリアルデーとなっている。
 しかし、こうしたシルマンの発想もまた、当初は多くの人に迷惑がられ、反対にあったという。

420)風景を「さいはて」に見つけた
 本来、ユースホステルとは「サービス業」ではなく、「青少年育成」のための活動であり、むしろそこに営利目的の旅館やホテルとは違ったユースの独自性があったわけだ。禁酒や消灯時間はもちろん、中には食器洗いや部屋の清掃を義務づけているユースもあった。
 しかし、同時にそのことが、「ユースは安心して泊まれる健全な宿」という信頼感を利用者に抱かせ、とりわけ女性の旅行者にとってユースの存在は大きかっただろう。

423)風景を「さいはて」に見つけた
 とはいえ、利用者に迎合して変わっていけばそれでいいのか。設立当初の崇高な理念を手放して、単に気楽な「安宿」として活動を維持できればそれでいいのか。
 ここにユースホステルの抱える大きな悩みもある。
しかし、それは百年にわたるユースの長い歴史と伝統から必然的にもたらされた悩みであり、大切な悩みでもあると私は思う。関係者が悩みぬいて結論を出していくしかないのだろう。

607-8)「陸の孤島」に暮らすわけ
「国道が開通したら、《町ア忙しくなる、銭こは落ちる》っていうのは、実際はどうだったんですか」
 私が訊くと、「ゼニコかい? 落ちないさ」と飛内さんは無表情でいった。
だって、道路ができたらみんな素通りだも。昔は『陸の孤島』で秘境だったから、珍しく来てたのさ。逆に、今こう便利になったら、秘境でもなんでもない、ただの田舎だから
 飛内さんの率直な物言いに私は笑い声を立てたが、飛内さんはいたってまじめな表情だった。
「道路ができて、逆に悪くなった?」
 私がなおも訊ねると、今度は飛内さんが笑い声を立てた。
「悪くなったなんちゅうもんでないよ。道路できる前だら、あんた、雄冬丸に鈴なりになった観光客乗って来たんだから。して、ここ行き止まりだったから、来たらみんな泊まってくしょ。だから、民宿だとか商店だとか、そのへんの経済はよかったんだ」

704-5)村はみんなの「まぼろし」
都会なら、浮動票(特定の支持政党や候補者を決めていない人の票)や無党派層っていうのが必ずあるでしょ。それはね、誰に投票しようが生活に大差ないから。ところが、こういう田舎は、浮動票っちゅうのが一票もないです。都会と違って、選挙結果がすぐ形になってあらわれるから。役場に物言っても、すぐいろんなことの反映がくるし、そのへんが、もうモロに感じる部分。そして、その反動も大きいしね」

743)村はみんなの「まぼろし」
 神さんは、ことあるごとに「ケージ飼いのニワトリ」という言い方で、日本の地方行政のあり方を表現してきた。檻に入れられ、エサ箱に与えられるエサを食べることだけに慣らされたニワトリ。自分から檻の外に出ようとはせず、国にただ分け前を主張するだけのニワトリが、これまでの地方と地方の行政マン、そして、われわれ住民のあり方だったのではないか、と。
「自治って、自分たちで治めていくものだという、このことに、国民は気づいていなくて、生かされてる私たちになってるのよな。だから、上からカネが下りてこなくなったら、もうやっていけねえんだと。すぐそういう判断へ走るわけですよ

@研究室


by no828 | 2017-04-23 15:11 | 日日


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