2017年 05月 06日
森達也『死刑——人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う』朝日出版社、2008年。46(1044) 死刑をめぐる森達也の自問自答の記録。副題逆接以後が森の結論です。でも僕は、人を救いたいとも思う。 118)ところが捜査や法廷、そしてメディアは、この揺れや矛盾を視界の外に置き、とりあえずの一貫性や整合性を無理にでも構築しようとする。端数は切り上げる。あるいは切り捨てる。つまり四捨五入して整数にしようとする。 019)でも僕は悩む。うじうじと。吐息を洩らす。存置を主張するつもりはないけれど、明確な廃止を叫ぶことにもためらいがある。要するにどっちつかず。 036) 確定死刑囚は家族と弁護士以外とは面会を許されない。外部との手紙のやりとりも原則的には禁じられる。だからもしも家族がいなければ、死刑確定後は誰にも会えなくなる。友人にも恋人にも会えない。手紙のやりとりもできない。つまり存在が不可視となる。その理由を法務省は、死刑囚の心情の安定を保つためと説明する。 039)しかし本当に悪い人間ほど先に許すことで救われる者もいるのではないかと考えますよ。 ※岡崎一明 043) 確定してから死刑囚が拘置所で過ごす期間は平均約七年と十一ヵ月(法務省調べ。一九九七〜二〇〇六年の平均)。十年以上の人も多い。それだけの長期にわたって日光を浴びず、どこにも行けず、誰にも会えない。そんな生活をあなたは想像できるだろうか。僕はできない。確定囚には基本的に会えないから、その実感を聞くこともできない。 049) 「〔『モリのアサガオ』〕連載開始前に一カ月ぐらい思い悩んだのですが、結局(存置か廃止かの)答えが出なかった。ならばわからないまま始めて、新人刑務官の及川というフィルターを通して、描き進めながら考えていこうと思いました」 053)多くの被害者遺族の感情を最大限に優先するのなら、存置論者の多くがよく口にする「死刑は国家による仇討ちの代行である」とのレトリックが成立する。ならば死刑が確定した段階で、国家は遺族に処刑の方法を聞くべきだ。自ら執行を望む遺族には自分でやらせるべきだし、死刑までは望まないという遺族がもしいれば、じゃあやめましょうかとの対応が理想のはずだ。つまり現行のシステムを変えねばならない。少なくとも執行への遺族の立会いくらいは認めるべきだ。でもそれはできない。〔略〕死刑の意味を「国家が代行する報復」とだけ規定するならば、その瞬間に罪刑法定主義は崩壊し、この国は近代法治国家の看板を外さなくてはならなくなる。 069) 人には蛮性がある。郷田へのインタビューの際に、僕はそんなことを口走った。獣性という人もいるけれど、でも実際の獣のほとんどは、自分が食べる以上の命は殺めない。同族を殺戮することもほとんどない。 076) 〔米国ノースカロライナ州では〕執行は通常、金曜日の午前二時に行われる。その週の火曜日に死刑囚は執行室隣の監房(death watch)に移される。区画内は自由に出入りできるし、外部に電話も自由にできる。処刑の日時は死刑囚の家族にも連絡され、最後の面会が行われる。 088) その後も永山〔則夫〕は独房で執筆活動を続け、一九八三年の新日本文学賞を小説『木橋』で受賞する。一九九〇年には秋山駿と加賀乙彦の推薦を受けて日本文芸家協会へ入会を申し込むが、一部の理事が殺人事件の刑事被告人を入会させてはならないと反対して入会は却下される。これに抗議した中上健次、筒井康隆、柄谷行人らが文芸家協会を脱会したことは、当時は大きな話題となった。 103) ただし、だからどうしたと思う気持ちも僕にはある。たとえ世界中が死刑廃止をしたとしても、確固とした存置への理念と哲学がこの国にあるのなら、他国に迎合する必要などない。胸を張って執行すればよい。しかし今のところ、そんな理念や哲学は見つからない。 103) 「仇討ち的な発想では連鎖します。だからこそ国家の刑罰権は、仇討ちの連鎖を制御するためにつくられてきた。それが近代法治国家じゃないかと思うのだけど……」 ※保坂展人 106)つまり民意。政治家はこれには逆らえない。メディアもこれには逆らえない。でも同時に、民意に大きな影響を与えるものは政治であり、メディアなのだ。救いのない堂々巡り。そう言えば郷田マモラも、堂々巡りと何度も口にしていた。 121) 「……精神医学用語のひとつで注察妄想という症状があるのですが、彼〔=宅間守〕は明らかにその傾向がありました。ずっと誰かに見張られている。嫌な目で見られているとか、悪く思われているとかいうことですね。それを自分はずっと我慢してきた。だから報復する権利が自分にはあるとの理屈です。〔略〕なにもいいことがない。この世は生きるに値しない。自分なんか生きていく価値はない。死ぬならばこれをやってから死にたい。それで決行してしまった」 199-200) 「父〔=古川泰龍〕は死刑という言葉がおかしいとよく言っていました。死は誰かの手によって与えたり与えられたりするものではない。つまり刑と言うならば死刑ではなく、殺刑とか殺人刑と言うべきです」 ※古川龍樹 221) でもここで僕は思う。苦痛を軽減するという発想は本当に正しいのだろうか。もしも死刑が個人の応報感情の国家による代行なら、なぶり殺しだってあってよいはずだ。イスラム社会では今も石打ちなどの残虐な刑罰が残されている地域がある。死刑の機能に犯罪抑止効果を認めるのなら、より残虐な刑罰のほうが、つまり死刑囚を苦しめたほうがその効果を増大させることになるとの考えも成り立つ。 222)死刑は残虐だ。それは議論の余地はない。だって人が人を殺すのだから。でもその残虐なことを先にやったのは死刑囚のほうだ。だから重要なことは、社会が主体となるこの後発の残虐さに、正当性があるかどうかなのだ。 225) 「話すことは身の上話とか?」 226) 「……もうすぐ処刑される人を目の前にして、Tさんはどんな心境になりましたか」 228-31) 「精進落としのその場には検察官もいましたか」 233) 「……でも、僕はやっぱり、外的要因が強いと思っているんです。死刑囚の話を聞いているとわかるんだけれど、家族の愛情に恵まれた人はほとんどいない。ほぼ共通しています。もちろん家庭が恵まれなくても立派に生きている人はいくらでもいます。でももしも僕が彼らと同じような育ち方をしていたら、そうならない保証はない。紙一重だと思う」 237) 四、生命を絶たれるという与件の下では、人は反省機能を失い、自己の観念的世界に逃げ込む可能性が高い。生命を保障され、いつか社会に復帰できる可能性があるという状況で、人は初めて自らの犯した罪と真摯に向き合うことができる。 ※佐藤優の死刑廃止論の根拠のひとつ 272-3)この社会の本質は当事者性ではなく、他者性によって成り立っている。大多数の人にとって当事者性はフィクションなのだ。ただしフィクションではあるけれどとても大切なこと。〔略〕でも同時に思うこと。人は当事者にはなれない。大多数の人が他者であり第三者だからこそ、この世界は壊れない。当事者の感覚を想像することは大切だ。でも自分は他者であり第三者であることの自覚も重要だ。だって当事者ではないのだから。 286-7) 「相手が生きているかぎり許せないんです。被害者みんなそうだと思います。死刑廃止派の人はよく『人権を尊重しろ』と言われるけれど、じゃあ死んだ人の人権はどうなるのか。人権を踏みにじった人間が生きていていいのか。そういう人は生かしておいちゃいけない。死んでもらわなければいけない。死刑は残虐だというけれど、あの死に方(絞首刑)は楽なんです。たとえば丸太で叩かれて顔がつぶれて誰だかわからなくなって殺された人だっていっぱいいるわけです。だから死刑を廃止するならば、応報権をぜんぶ私たちに返しなさいということです」 ※松村恒夫 291) 「松村さんがもし、山田みつ子の死刑執行のボタンを押してくれと言われたら?」 296-7) 「春奈を返してくださいということです」 300) 多くの人に触れることで、揺れ動く自分の情緒を見つめようと僕は考えた。その帰結として僕は何を得るのだろう。何を知ることができるのだろう。 309)目の前にいる人がもしも死にかけているのなら、人はその人を救いたいと思う。あるいは思う前に身体が動くはずだ。その気持ちが湧いてこない理由は、今は目の前にいないからだ。知らないからだ。でも知れば、話せば、誰だってそうなる。それは本能であり摂理でもある。 313-4) 死刑問題の本質は、「何故、死刑の存置は許されるのか」ではなく、「何故、死刑を廃止できないのか」にあるのだと思います。換言するならば、「何故、権力は死刑という暴力に頼るのか」、「なぜ、国民を死刑を支持せざるをえないのか」です。 @研究室
by no828
| 2017-05-06 16:23
| 人+本=体
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自省のために。他者の言葉に出会うから自分の言葉を生み出せる。他者の言葉に浸かりすぎて自分の言葉が絞り出せなくなることもある。自分の言葉と向き合うからその言葉は磨かれる。よろしくお願いします。 by no828 カレンダー
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