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思索の森と空の群青

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2017年 06月 08日

それがね、物語の筋レベルのことではないのですよ。一場面の一つの文章で、単語を一つ加えるか加えないかのレベルでの保身になるのです——有川浩『図書館革命』

 有川浩『図書館革命』メディアワークス、2007年。55(1053)


それがね、物語の筋レベルのことではないのですよ。一場面の一つの文章で、単語を一つ加えるか加えないかのレベルでの保身になるのです——有川浩『図書館革命』_c0131823_18094882.jpg

 図書館や本について何か気づきが得られるかと思って読みはじめた本シリーズもこれにて完結。

 36ページ「異例の速さで対テロ特措法が採択されたわ」と122ページの「対テロ特措法が採択されたこと」の「採択」は「採決」でしょうか。また、89ページ「関わらず」2カ所は「拘らず」または「かかわらず」。

 この本は原発事故前に刊行されました。最初の引用は、その事故を想起させずにはおかないし、これからこうしたことが起こりうるのではないかという思いを禁じえません。

9) 『本日午前三時ごろ、敦賀三号機、四号機にただいまご覧頂いた戦闘ヘリが低空侵入で突入してきたとのことです。ヘリは三号機に激突、しかしこれはこの事件の始まりに過ぎませんでした』
『三号機、四号機は安全装置の作動によってすぐに停止しました。その後、原電警備隊が警察、自衛隊と連絡を取りながら速やかに戦闘態勢に入り、墜落したヘリから展開した襲撃者と銃撃戦を開始しました』
『しかし、その間に敦賀半島先端部の敦賀二号機が襲撃を受けていたのです』

90) 「本当はここまで書きたい、でもここまで書いたらあの団体やこの団体が目をつけるのではないか。だとしたら逃げ道としてここまでは書かずにその手前で止めておくほうが安全だ。それがね、物語の筋レベルのことではないのですよ。一場面の一つの文章で、単語を一つ加えるか加えないかのレベルでの保身になるのです

90) 「場合によっては悪意よりも善意のほうが恐ろしいことがあります。悪意を持っている人は何かを損なう意志を明確に自覚している。しかし一部の『善意の人々』は自分が何かを損なう可能性を自覚していない

92) 「自分がいつ押しつける側に回るか分からないから恐いんですね、こういうの。あたし思い込み激しいから、いつ自分が押しつける側に回るか分からないので恐いです
「間違えたってかまうか。間違わない人間なんかいない」
 そう口を挟んだのは堂上だった。
間違ったら『次から気をつけます』でいいんだ。何度でも次から気をつけたらいいんだ

242) しかし、手塚慧は卑怯であることを承知のうえで卑怯な手段を使っていた。卑怯だと誹られても彼は顔色一つ変えないだろう。そして顔色一つ変えずに彼は、卑怯な手段を躊躇しない組織を自らの手で作り上げたのだ。
 手塚慧は卑怯だったが、卑怯であることに対してフェアだった。手塚慧が泥を被るとしたら、それは自分で被るのだ。郁や弟と同室の砂川を利用しようとしたことを、彼は手を組んだ今でも言い繕おうとはしない。フェアに卑怯であり続けるその度量は認めざるを得ない。
 彼は最も理解されたかったであろう弟に詰られながら、十年近くもそういう自分を貫いたのだ。理想を叶える前提として卑怯に徹し続けたのだ。
 そしてこの先も彼は弟にそのことを言い訳することはないのだろう。弟に言い訳をしない彼は他の誰にも過去を言い訳しない。柴崎はそこに手塚慧という男の奇妙な潔さを見る。

@研究室


by no828 | 2017-06-08 18:13 | 人+本=体


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