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思索の森と空の群青

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2018年 02月 15日

猫が鼠より強ェな解る。だけどもよ、猫が鼠より偉ェってこたあねェぞ——京極夏彦『前巷説百物語』

 京極夏彦『前巷説百物語』角川書店(角川文庫)、2009年。24(1091)


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 二進も三進も行かなくなるとはこういう状況のことを言う。又市の若かりし頃。又市の思想形成の原点。

「前巷説」は「さきのこうせつ」。


108)「人の真実は、その人の中にしかないのです。外の巷は夢。この世は全て、幻のようなものです。ならば——お葉さんはこれからもずっと、その己の中の現をこそ生き続けるべき——なのではありませんか」
「所詮この世は夢幻——かい」
「はい。私どもは、その巷の夢——巷説を作ることで、ほんの少しだけお葉さんが生き易くなるよう、手助けをしただけです

120)「いいかな、又市殿。精神を尊ぶなら戦わぬことだ。剣は人の道と申すなら、刃物を交わし命のやり取りをする必要など毛程もなかろう。刃を翳すということは、相手を傷付ける、殺すということだ。違うかな」

122)「退路を確保しておくことは兵法の基本だぞ。三十六計逃げるに如かずというのはな、腰抜けの兵法ではない。戦いを回避することが一番賢い策であることは、火を見るよりも明らかだろう。将棋はな、一手も指しておらぬ時の布陣が一番強いのだ。指せば指す程弱くなる〔略〕敵味方なんて言葉は、莫迦な侍の言葉だぞ。苦呶いようだが戦いは莫迦のやることだ。敵と戦う、己と戦う、世間と戦う、どれもこれも詭弁だ。いいかな、勝負なんてものはな、モノゴトを莫迦みたいに単純化しないとつけられぬものであろうが。違うか
 違わない。
 白黒明瞭しているものなど、世の中にはない。

126)「正義というのはな、己の立場を護りたい小物の使う方便に過ぎぬのだぞ

127)又市は依頼人に同情し、的を憎むことで、己の疚しい行いを正当化していたのかもしれぬ。

207)「物を扱うのでも金を扱うのでもない、人を扱う仕事というのはな、決して割り切れないものなのだ。あちらを立てればこちらが立たず、必ずどっかに歪みが出る。人はな、もとより歪んでいるものだからな。ただ暮らしているだけだって、人は悲しいぞ。違うか」

235)「憎むってなあよ、どうなのかなと思ってよ。人ってものはよ、見上げたり見下げたりして生きるもんだろ。でもな、見下げられて肚ァ立てるのは見下げてェ奴だけだろう。人を見下げてェ奴は人から見下げられると肚ァ立てる。逆様に、見上げていてェ奴は見上げられると怖くなるもんだ。抱き寄せようとしていきなり殴られりゃ頭に血も昇るが、殴るを承知で抱き寄せる分にゃどうもねェやな」

242)「ただ、心疚しき者心穏やかならぬ者が、己の気持ちを目に映してな、生前の形を見るだけじゃ

263)「世の藪医者は、知が足りぬか技が足りぬか、いずれ何かが足りぬのですよ。知らぬ病は治せない。それでも治せると——嘘を言うのが、藪ですね

337)「あれ、稲妻と謂うでしょう。あれは、稲の花が咲く時期に雷が多いからなんだな

339)「ただね、又市さん。在って欲しいもの、在るべきだと考えられるもの——というのはね、これ、ないのに在るんですな」 ※傍点省略

359)「だから——神仏は要るのです」
「何だと」
「いいですか。人が人を裁く、人が己の物差しで他人を測る——これ、必ず不平が出ます。人の心は人には量れません。それぞれ基準が違う。だから、人は法だの掟だのを作る。作るけれども、所詮は人が作ったものですからね。でもね、それが神の下した裁きなら、どんなに不公平でも納得せざるを得ないでしょう」 ※傍点省略

393)「八方塞がりだろうが何だろうが、手はある筈だろうぜ。あちら立てればこちらが立たず、それでも双方立てるのが——知恵ってものじゃねェのか

399)「何方が何方を責めることも出来まい。人は己の寸法でしか世の中を見られぬし、他人の寸法を当て嵌められると歪んだり曲がったりするものだ。己以外は皆他人なのだからな、人は少なからず歪むよ。その歪みを堪えられる者もいるし、堪え切れず潰れる者もいる。泣き乍ら我慢する者もいれば、弾けて壊れる者もいる」

458)流行りものの如くそれを受け入れ、徒に持て囃すことなど、決してしてはならぬことだろう。
 何しろ人が死んでいるのだ。どんな仕掛けかは別として、死んでいることだけは事実なのである。死ぬと判っていて利用するのは、仮令手を下していなくても人殺しと変わらない。変わらないと志方は思う。
 信じ念じて書こうとも、何も信じずに軽軽しく書こうとも、どうであれ絵馬に名を書くことは御政道に楯突く悪行、人倫に背く凶行なのである。
 だが——実際には一切手を下さないでいいという手軽さこそが庶民を凶行に走らせているのであろうし、手を下していない以上、絵馬に名を書いた者を書いたというだけで罰することが出来ないことも事実である。
 実際に書いた通り人が死んで——。

471)だが。
 ——殺す意思は何処にある。
 手を下した者の心中は、凡そ計り知れぬ。志方には想像することさえ叶わない。奸計謀略があるのだとしても見当が付かない。だから、考えるだけ無駄である。この場合、手を下したという事実だけを認めるしかあるまい。殺人を実行した者は、どうであれ下手人である。
 でも、死んでいるのは絵馬に書かれた者達であり、その者達は実行犯とは——多分——関わりがないのだ。
 ならば。
 殺意は、絵馬に名を書いた者にこそある、ということになるのだろう。
 すると矢張り、名を書いた者こそ罰せられるべき——なのだろうか。絵馬は——絵馬の指示通りに凶行を働いた下手人は、この場合単なる凶器に過ぎないことになるからである。
 ※傍点省略

569)「青臭くなくッちゃあ他人の面倒までは見られませんよ

577)「脅しや暴力だけで人は縛れませんよ。飴を与えなくちゃあ人心は必ず離れる。〔略〕猫は強い。鼠は弱い。しかしね、窮鼠却って猫を噛むと謂う。追い詰められれば鼠だって猫に噛み付く。そういうものです。齧られりゃ猫だってただじゃ済まない。違いますか」


578)「命を捧げる鼠が居るからこそ、野や里の鼠どもは生き永らえることが出来る——山に登って死んだ鼠だけ見ていれば慥かに損なのだけれども、鼠全体としてみれば
得になってるてェのかい
 棠庵は首肯いた。
「そういうことじゃあないでしょうか」
「身を捧げる鼠——かよ」
 喰われるしかないのか。
「そんな——得はねェ」
 又市は言う。〔略〕「猫が鼠より強ェな解る。だけどもよ、猫が鼠より偉ェってこたあねェぞ

579)「鼠だからというだけで猫に礼を尽くさなければならぬ謂れはない、ということです。そんな道理はない。まるでない。鼠どもはそこを忘れている。鼠が猫の王に礼を尽くさねばならぬのなら、猫も鼠の王に礼を尽くすべきなんです。対等と知れば——」
 諾諾と死ぬことはない。
そりゃつまり——嚙めるんだから嚙み返せって意味じゃねェんだな
 はい、と棠庵は再度首肯いた。

615)「ご定法ってのは、守るべきもんですが、護ってくれるもんでもありやしょうぜ。旦那ァ盗っ人でも人殺しでも、ちゃんと捕まえて、裁いてくれるじゃねェですか。貧乏人のくだらねえ訴えにだって耳ィ貸してくれやしょう。下下は文句ばっかり言ってる訳じゃねェんですよ。有り難ェ有り難ェとも思ってるんで。でもね、ありゃ——」
 万三は櫓を指差す。
「あんなことされちまっちゃあ、如何ですよ。奉行所なんかに頼っても無駄だ、お役人は護ってくれねェぞと、あれは、そういう意味なんじゃねェんですかね

623)「人死には出すな。死んで取る得、殺して取れる得はないと、お前さんは先からそう言ってただろ。真理だよ。欠けた命の穴ァ、他のものじゃ埋められないわなあ


@S模原


by no828 | 2018-02-15 21:46 | 人+本=体


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