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思索の森と空の群青

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2007年 10月 18日

サイードとミヨシ、ふたりは友だち ― 10月9日から17日までの読書

* 追記あり

時間がまだ少しあるので連続投稿。

29 マサオ・ミヨシ×吉本光宏『抵抗の場へ ― あらゆる境界を越えるために マサオ・ミヨシ自らを語る』洛北出版、2007年。

 マサオ・ミヨシはカリフォルニア大学サンディエゴ校の英文学・比較文学・日本文学の教授であった人。最近はすごく広い意味でのエコロジーや環境生態学を研究しているようである。

「僕とサイードとの主要な意見の相違は、『知性』の社会的な役割についてなのです。彼は『知識人』というものを信じていました。僕は信じていないのです。つまり、自分を知識人と呼ぶ者のほとんどは、実際自己の利益を優先する『専門家』でしかありません。しかしサイードは自分を知識人と呼んでいました」(p. 202)。

ここでは紹介していないが、私は最近エドワード・サイードの『知識人とは何か』を読んだばかりである。

「しかし、自分の無力さを承認する限り、自分の共犯責任を無視することもできません」(p. 272)。

そうかもしれない。

「中国のことを論じるのに中国人である必要はなく、また日本を論じるのに日本人である必要もない」(p. 298)。

そうかもしれない。


30 養老孟司・池田清彦・吉岡忍『バカにならない読書術』(朝日新書)、朝日新聞社、2007年。

前半は養老先生の読書術というか現代社会批判で、後半は鼎談で「このテーマであればこの本が面白いよね」。後半はだから読書ガイドにもなると思う。

以下は前半からの引用。

「私は幼稚園のとき、幼稚園の先生が私を見て笑ってくれたことを、いまだに覚えています。太陽みたいな感じでした、子どもの私にとっては。前後の文脈なんか一切ない。それだけ。/なぜなら、たくさん子どもがいる中で自分の顔を見て相手がうれしそうにしている。すごく特別なことです。/子どもを知っている人は、一人ひとりの子どもをやっぱりよく見てます。大事にしてます。/大事にするというのは、何もケガしないようにとかいうことじゃなくて、その子に自分が注意を払ってますよということを、子どもにきちんと伝えているということです。そのことが大事なんだと思います」(p. 25)。

養老先生、私もそう思います。
でも、これって「子ども」に限らないことだとも思います。

あなたのことをちゃんと見てますよ

これは大人にも必要なことだと思います。

ひとりでもいい、誰かが私を見ててくれる

そう信じられることが<わたし>を支えるのだし、実際に支えているのだと思います。

by no828 | 2007-10-18 16:57 | 人+本=体


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