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思索の森と空の群青

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2007年 11月 20日

あなたではないわたしからあなたへ

バングラデシュを襲ったサイクロン Sidr (シドル)の被害が明らかになりつつある。

BBCその他の報道をまとめると、おおよそ次のようである。

19日のバングラデシュ政府当局の発表によれば、死者は3,113人にのぼる。
だが、同国の赤新月社(Red Crescent Society)によれば、死者数は5,000人から10,000人になるであろうとされる。世界食糧計画(World Food Programme: WFP)も被害はそのぐらいになるであろうという。
また、国連によれば、およそ100万人が家を失い、その大部分には援助物資が届けられていない。

しかし、わたしはそこにはいない。

わたしは今・ここにいる。
わたしの今・ここは、バングラデシュの状況とはまったく関係ないかのように存在する。
大学に行き、論文を読み、ものを食べ、夜になれば眠くなる。

「距離」とは、かくのごときものなのか。

 ◆ ◆ ◆

今ダッカにいる山口絵理子氏のブログには、今回のサイクロン被害について以下のように書かれている。

「・・・最も印象的だったのは一部の人々が政府が出す警戒アラームを信じていなかったということだ」
( http://www.mother-house.jp/ceo/ 最終閲覧日:11月20日)。

どうやら政府は、サイクロンが襲ってくるという警報を発し、住民にシェルターへの避難を呼びかけていたようなのである。

しかし、住民はそれを信じなかった。

政府が信頼されていない。

勿論、一般論として、政府を全面的に信じるのが常に望ましいこととも思われない。

だが、今回の件に鑑みれば、それが常に正しい規範的説明であるようにも思われない。


では、彼の地に生きる人びとにとって「政府」とは何なのか。あるいは「国家」とは何なのか。

「国民国家」がまさにインターナショナルな基準・規準となっているが、しかしそれはそう遠くない昔に地球の一部で人工的に作られたものである。

近代国民国家が統治その他の規範的な単位でなければならないというア・プリオリな理由は、実はない。

ただ、現実にすでに国民国家を前提とした国際連合ができるなど、「国民国家」が事実上の範域となって通用している。

したがって、国民国家ではない在り方の模索は現実的ではないかもしれない。

しかし、バングラデシュのことを踏まえるならば、彼の地に「国民国家」という統治の在り様を事後的に当てはめ、それに従ってゆく・従わせてゆくことには無理があるのではないか、とも思うのである。
いささか相対主義的ではあるが、彼の地には彼の地の統治の在り方があるのではないかということである。

いや、問題なのは汚職と腐敗にまみれたバングラデシュの政治家と官僚であって、「国民国家」という制度ではない、と見ることもできよう。「国民国家」はバングラデシュに合っている、問題はそれを動かしてゆく政治家と官僚の資質と能力だ、ということである。


わたしはここでどのような見方が適切なのかを論証したいのではない。
いくつかの見方があるということを示したいにすぎない。


完全に割り切れたわけではない。完全に割り切れるわけがない。
それでも思う。思考こそが、今・ここでわたしにできることなのだ。

誰のために?

まずは自分のために。そこからしか出発できないのではないか。

そんなことを2日間考えていた。

by no828 | 2007-11-20 15:46 | 思索


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