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思索の森と空の群青

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2007年 11月 27日

絶対唯一の解のない世界を生きるしかない、のかもしれない ― 11月12日から26日までの読書

33 三島由紀夫『潮騒』(新潮文庫)、新潮社、1955年。

 三島の文章は美しい。「美しい」よりも「官能的」と形容した方がよいかもしれない。

「それまで貧しいながらに安穏なみちたりた生活を送っていた若者は、その日から不安に苛まれ、物思いに沈むようになった。自分に初江の心を惹くに足るものが何一つありそうもないことが気にかかった。麻疹のほかに未だかつて病気を知らないその健康も、歌島を五周することさえできる泳ぎの技倆も、誰にも負けない自信のある腕の力も、初江の心を惹きそうには思われなかった」(p. 34)。


34 宇江佐真理『泣きの銀次』(講談社文庫)、講談社、2000年。

 時代小説を読むと暖かな気持ちになるのはなぜであろうかと考えた。幼い頃にテレビで放送されていた時代劇を祖父母とともに観ていたからかもしれない、と思った。暴れてばかりの江戸幕府第8代将軍であったり(今なら内閣総理大臣か)、桜吹雪の刺青をかなり広範囲にわたって入れた南町奉行であったり(今なら東京都知事か)。
 
 銀次は岡っ引きなのに死人を前にすると泣いてしまう。同心の勘兵衛がそれについて次のように言う。「銀次がなぜ泣くのか・・・え?死人が怖いからではないのだぞ。あいつは命がいたましいのよ・・・だから泣ける。よいではないか、泣きが入るくらい何んだ、そう思わぬか?」(p. 36)。


35 ファインマン、R. P. (大貫昌子訳)『ご冗談でしょう、ファインマンさん(上)』(岩波現代文庫)、岩波書店、2000年。

 研究者志望の人は読んでおいてよい。ちなみにファインマンは、マンハッタン計画に携わった物理学者。

「『何をふさいでいるんだい?』と僕がきくと、ボブは、
『僕らはとんでもないものを造っちまったんだ』と言った。
『だが君が始めたことだぜ。僕たちを引っぱりこんだのも君じゃないか。』
 そのとき、僕をはじめみんなの心は、自分達が良い目的をもってこの仕事を始め、力を合わせて無我夢中で働いてきた、そしてそれがついに完成したのだ、という喜びでいっぱいだった。そしてその瞬間、考えることを忘れていたのだ。つまり考えるという機能がまったく停止してしまったのだ。ただ一人、ボブ・ウィルソンだけがこの瞬間にも、まだ考えることをやめなかったのである」(p. 233、傍点は省略した)。

 「考える」「考え続ける」ということは、「何事も信じきらない」と同義なのかもしれない。


36 内田樹『私の身体は頭がいい』(文春文庫)、文藝春秋、2007年。

 たくさん赤線を引いた。そのなかからいくつか。

「人間は自由なのか、それとも宿命の糸に導かれているのか?
 それについて甲野〔善紀〕先生が最終的にたどりついた答えは、『人間は自由であるときにこそ、その宿命を知る』ということであった。・・・
 何のために自分はこの世界に生まれ来て、限られた時間を過ごすことになったのか。それを知りたいと私たちはみな思う。
 多くの人は、そのような問いにとらえられると、レディメイドの世間知や哲学や宗教に答えを求めようとする。たしかにそこへ行けば答えはすぐに手に入る。でも、それは『万人向けの答え』でしかない」(p. 38、〔〕内は引用者)。だから・・・。

「ただし、『荷物を放り出さない』人、『自分の重荷』にしがみついている人の荷物は私だって担げない。
 当たり前だけど」(p. 187)。たしかにそうだ、って思ったら、何だかちょっと軽くなった。

「『いかなる主義も立てない』ということがレヴィナス老師の示した『他者への回路』である。
・・・
 すべてその場の気分で決める。
 そして、『すべてその場の気分で決める』という決め方が教条化することも嫌いなので、『その場の気分で決める』というスタイルをとるかとらないかも『その場の気分』で決めるのである。
 というような生き方をすべからく人々は規範とすべきである、というようなことは、だから言うはずもないのであるが、ときどき平気で言うこともある」(pp. 206-207)。

 いかなる主義も立てないというのは、結構「あり」なのではないかと思う今日この頃。Aという主義に立ったら、Aに対する反論が予想できてしまう。ベストな主義はなくて、ベターな主義があるだけ。ならば「この場合であればこの主義がベター」という立て方しかないのではないか、と思ったりするのである。

 そういえば、出来合いの思想に寄りかかるなって、茨木のり子も言っていた。
 
 でも、研究者として「わたしはいかなる主義も立てません。ただ、時と場合によっては立てるかもしれません」で通じるかどうか。大事なのは「通じるかどうか」ではないとは思いつつも。

by no828 | 2007-11-27 22:56 | 人+本=体


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