思索の森と空の群青

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2007年 12月 21日

少しだけ親鳥の心境

晴れ。

今日で大学の某短期雇用の仕事は終わり。

2限は教育哲学。「偽装と教育」。

テーマに無理があったと思う。

「偽装の原因は不十分な教育にある」という主張はわかりやすいが、かなり乱暴である。
何か「問題」が起こったさいに、その問題の原因を教育に(だけ)求めるのはいかがなものか。
このような推論の前提には、「教育万能論」が潜んでいる。
しかし、教育は万能ではない。「万能な教育」というのがあるとすれば、むしろそこには危うさを見出すべきである。

昼は史学を勉強している友人と中華料理。昨日の史観の話など。勉強になる。


メールを開くと、某卒論生から「無事に提出しました!ありがとうございました!」。

某学類は昨日が本文提出日で、今日が要約の提出日であった(らしい)。
「らしい」と付けたのは、要約の提出があることを知らされていなかったので。しかし、無事に提出できて何よりである。


研究室で文献を読んでいたら、別の某卒論生が来る(お菓子もいただく。ありがとう)。
「無事に提出できました」。

よかったよかった。

来月半ばに口頭試問があるとのこと。その前に少し受け答えの練習をしようと伝える。

この某来室卒論生は4月から某人材派遣会社で働く(先の某メール卒論生は修士課程に進学する)。
卒業論文の執筆という研究上の営みが終われば、それとは少なからず位相の異なるところで生きていくことになるのである。

わたしの立場からすれば、それはすごく寂しい。

卒論で論理立てて説明した内容については将来の仕事と関係ないかもしれない。
だから内容については忘れてもいい。
ただ、この卒論を君に書かせた疑問や不満や憤りといった問題意識は仕事にも通じると思う。だからその問題意識だけは忘れないでね。

以上のようなことを伝える。
そして「よくがんばったね」「ありがとうございました」なんてやり取りをしていたら、ちょっと涙が出そうになった。

教え子が巣立っていく姿を見守る先生の気持ちが、少しだけわかったような気がした。
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by no828 | 2007-12-21 18:38 | 日日 | Comments(0)


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