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思索の森と空の群青

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2007年 12月 23日

今日中にディケンズの『クリスマス・キャロル』を読もう——12月4日〜22日の読書

昨夜から降り続いた雨は上がったようだ。外が明るくなってきた。

てるちえの結婚パーティのアンケートに答えたついでに、貯めてしまった本の記録を書いてしまおう(註:この記事は少し長いです)。


40 筒井康隆『文学部唯野教授』岩波書店、1990年。(古書)

 引用箇所はとくにない。大学の先生になりたい人、文学に興味がある人、現象学や記号論や構造主義やポスト構造主義に興味がある人は面白く読めるはず。


41 諸田玲子『月を吐く』(集英社文庫)、集英社、2003年。(古書)

 時代小説。徳川家康の正室である築山殿の物語。「身分」が大きく立ちはだかる時代に、その「身分」を越えて誰かに思い焦がれることのつらさ・切なさ。


42 石井光太『神の棄てた裸体——イスラームの夜を歩く』新潮社、2007年。(新刊)

 おすすめ。実際に「イスラーム」を訪れて書かれたノンフィクション。バングラデシュについても記されている。以下は同国の首都ダッカについて述べられたところ。

 「私が泊まっていたゲストハウスの周辺にも、路上で暮らす子供たちの姿があった。日本でいえば、幼稚園児ぐらいから小学校高学年ぐらいまでの子がほとんどだった。/子供たちはいつも、明るくはしゃぎまわっていた。彼らにとっては道に落ちているものすべてが、遊び道具だった。野菜や果物の皮が落ちていれば二手に分かれて投げ合い、ビニール袋があれば頭から被って追いかけっこをしていた。/この頃、私は宿の従業員をガイドとして雇い、頻繁にゲストハウスを出入りしているうちに、近隣の浮浪児たちと顔見知りになっていった。彼らはとても人懐っこく、私を見つけると駆け寄ってきて、腕や服を引っぱる。そして、遊ぼうよ、遊ぼうよ、と雨の中へつれだそうとするのだった。・・・そんな交わりのなかで、彼らについて一つ、気がついたことがあった。貪欲なまでに甘えたがるということだ。顔見知りであれ、通行人であれ、怒っている相手であれ、とにかく相手にしてもらわなければ気がすまないのだ」(p. 258)。 

 わたしにもそうされた経験がある。通りを歩いていたら、女の子がずっとわたしのあとをついてくるのだ。わたしはそのとき、どうしていいか本当にわからなかった。

 「貪欲なまでに甘えたがる」・・・それは人の優しさ・温かさ、あるいは愛が欠けているからだ、とフロムなら言うであろうか。


43 土屋賢二『ツチヤの軽はずみ』(文春文庫)、文藝春秋、2001年。(古書)

 「人間が能力に振りまわされる根底には、『能力というものは発揮しないと損だ』というケチくさい考え方がある・・・。この考え方をさらに進めて、与えられた能力を最大限に発揮することが人間のつとめであるし、それが実現されることが人間の幸福だ、と考える人もいる。ここから『人間はこれこれの能力を与えられている。ゆえにこれこれのことをすべきである』という誤った哲学説も出されてきた。
 この考え方によると、100メートルを七秒で走る能力をもっている男は、非常に下手なピアノ弾きになることを希望していても、オリンピックに出るべきだということになるだろう。しかしそういえるだろうか。・・・
 人間は道具とは違う。道具なら、『これこれの目的のために存在している』といえるが、人間についてはそういういい方はできない。・・・人間なら、何ができるかということより、何をしたいかによって進路を決めた方がいい」(pp. 85-86)。

 自分の才能・能力を無視して生きることもひとつの生き方である、ということか。
 
 そのように言い切ることがわたしにはできない。


44 開高健『知的な痴的な教養講座』(集英社文庫)、集英社、1992年。(古書)

 タイトルがよい。実際の内容も、知的で痴的。周りに人がいるところでは音読しない方がよい。
 
 近年の「偽装」問題に通ずる文章があった。それを引いておこう。章のタイトルは「クラフトマン・シップ」。

 「いったい、わたしが思うに、会社がいろんなことに手を出して、マルチになる。客の好みと関係なしに資金の流動があって、買収・合併というようなことが着々と行なわれているんだけれども、クラフトマン・シップに憧れて、その頑固さを愛するわたしのような客もたくさんいるだろうと思いたい。が、諸君はどうだ?」(p. 169)。
 わたしも、ひとつのものを作り続ける、そういった一貫性はとても大切だと思います。

 「人間、物に愛着が持てないようでは、暮らしが浅くなるぞ。『玩物喪志』という言葉があって、物をいじっているうちに志を失ってしまうことをいう。しかし、志を失わせるぐらいのいい物があるかどうか、というのが問題なんだよ。諸君」(p. 170)。

 「玩物喪志」は『書経』にある言葉らしい。「人を玩べば徳を喪い、物を玩べば志を喪う」。
 なお、「玩物喪志」は「現実から離れた学問」のことも言うらしい。


45 中島らも『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町 増補版』(朝日文芸文庫)、朝日新聞社、1994年。(古書)

 「通りの立ち飲みに一人で入って、完全な匿名性の中で黙々として酔っていくのはいいものだ。/ただ、こんなことはそこで生活していない、通過する者の無責任な感傷であって、街自体にとってはそれどころではないのだと思う」(p. 109)。

 「通過する者の無責任な感傷」に、がっと胸を掴まれた感じ。

 「ただ、こうして生きてみるとわかるのだが、めったにはない、何十年に一回ぐらいしかないかもしれないが、『生きてきてよかった』と思う夜がある。一度でもそういうことがあれば、その思いだけがあれば、あとはゴミクズみたいな日々であっても生きていける。だから『あいつも生きてりゃよかったのに』と思う。生きていて、バカをやって、アル中になって、醜く老いていって、それでも『まんざらでもない』瞬間を額に入れてときどき眺めたりして、そうやって生きていればよかったのに、と思う。あんまりあわてるから損をするんだ、わかったか、とそう思うのだ」(pp. 194-195)。


46 古市幸雄『「朝30分」を続けなさい!』アスコム、2007年。(新刊)

 朝の使い方をどうしようかと思って。

 「勉強のモチベーションを維持するコツはあなたの大切な人のためにがんばることです」(p. 107、強調は原文)。
 「勉強」を「研究」に置き換えても同じことが言えると思った。「自分のため」も忘れてはいけないが、「自分のため」だけではやはり限界が来ると思う。

 「つまり、あなたを取り巻く現状が、あなたの考え方を示す何よりの証拠なのです。・・・/あなたの考え方の結果が、現在のあなた自身であり、あなたの周囲の状況なのです」(p. 166、強調は原文)。


47 古市幸雄『「1日30分」を続けなさい!』マガジンハウス、2007年。(新刊)

 「・・・後に不本意な結果に終わるパターンになるのは、決断できなかったことが大きな理由です。・・・逆に言うと、自分が決断さえすれば、目標や願望の半分はもう手に入ったのと同じなのです」(p. 169)。

 そう思います。


 ただいま某点検の方が来室中。いろいろ検査されている。

 ぴこぴこぴこ。

 終了。お疲れさまでした。


48 渡辺一史『こんな夜更けにバナナかよ——筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』北海道新聞社、2003年。(古書)

 おすすめ。考えさせる。目頭も熱くなる。理性にだけ訴えかけるわけではなく、かといって感性にのみ訴えかけるわけでもなく。
 
 「ボランティアは『人のため』というが、それ以前に、みんな自分をどうにかしてほしいと思って飛び込んでくるのかもしれない」(p. 92)。

 「・・・ボランティア心理について話題になったとき、誰かが本の一節かなにかを引用して教えてくれたことがあるんです。/『一人の不幸な人間は、もう一人の不幸な人間を見つけて幸せになる』っていう言葉なんですけど・・・この言葉の意味、わかります?」(p. 120)。
 
 ええ、わかります。

 「一人の不幸な人間は……」の出典がわかる方、いらっしゃいましたら教えてください。

 「『アメリカでは、障害者でも仕事に就けるんですか?』
『もちろん簡単なことではない。でも、アメリカでは、「何ができないか」ということよりも、「何ができるか」が問題なのだ。だから、「できる」と主張する人には、どんな援助をしてもそうさせるだろう』
『主張すれば与えられる。主張しなければ与えられないということですか』
『その通りだ。だからこそ、主張することを恐れてはいけない。・・・』」(p. 175)。

 「何を悩んでいるのか。私は何を悩んでいるのか。
 それをこれから順を追って話していかなければならない。
 それにしても、健常者(つまり私)が、障害者について語るというのは、なかなかに難しい問題をいくつか含んでいるものだと思う。どこまで障害者の『立場』に立ってものが言えるのかという問題がまずある。また、彼らの生に厳しさをもたらしてきたのは、いつも健常者中心で物事を運ぼうとする社会なのだろうという負い目もある。そもそも障害者に対する『やさしさ』や『思いやり』とはいったい何だろう、などと考え始めると、それこそ際限がない」(pp. 298-299)。

 だから考えても意味がない、ということには、しかしながらならない。が、「立場」については、わたしも悩むところ。「そこ」にいる〈あなた〉と「そこ」にはいない〈わたし〉。「立場」は常に排他的である。代表=表象の問題など、もっともっと考えよう。

 「つまり、健常者である自分の生活感情・信条を基盤にして『おかしい』ことは『おかしい』と言えばいいのだが、同時に『おかしい』のはひょっとしたら自分なのかもしれない、という視点を手放してはならない。常識的に応対すればいいのだが、常識を疑ってみることも大切である」(p. 316)。

 「『でも、斉藤さん自身は、どうしてやめずに最後まで〔ボランティアを〕つづけられたんでしょう』
『結局ね、それはもうシカノさんに情が移ってたからじゃないかな。情が移ってたから、としか言いようがないんですよ。・・・/それと当時は、シカノさんのお母さんがしょっしゅう来て、ボランティアの食事を作ってくれてたんですけど、あのお母さん見てたら、これはもう、つべこべ言わずにやんなきゃしょうがねーと思っちゃったんですよね』」(p. 400、〔〕内は引用者)。

 「つべこべ言わずにやんなきゃしょうがねー」に撃たれる。
 「つべこべ言わずにやんなきゃしょうがねー」は、前に言及した「止むに止まれぬ」気持ちとかなり近いのではないか。

by no828 | 2007-12-23 15:41 | 人+本=体


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