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思索の森と空の群青

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2008年 01月 30日

付加価値と科学主義、それから少人数で呑みましょう

晴れ。

「付加価値」について考えながらシャワー。
「付加価値」はやはり本来価値(使用価値かな)がある部分を隠してしまっているのではないか。

「商品 = 本来価値のある部分 + 付加価値」
(例(こればかりで恐縮だけど): 途上国産のバッグ = バッグ + 途上国産)

として、これを人間の「必要(need)」「欲求(want)」の観点から考えると、

「本来価値のある部分 = 必要である」
「付加価値 = 欲しい」

となって、「付加価値で行くと、商品を『欲しい』という規準で購入することになるな」、と考えた。
しかし、ずっと前に永六輔が「ものを買うときは『欲しい』ではなく『必要である』という規準で考えろ」と言っていたことを思い出す。が、同時に、「ま、資本主義なら『欲しい』で勝負するよな」と思う。


研究室に来て午前中は新聞と新書(読了。そういえば今年に入ってまともな本の紹介をしていない。貯まっているのだが・・・)。

午後から読書会の課題文献を読んで担当箇所のレジュメを作る。

17時からその読書会。ふたり。「科学主義」「技術崇拝」の問題点について。

「『科学技術』と言うけれど、『科学』と『技術』はどう違うんだろう」

「ふたつは少なくとも別のものだろうね。おそらくここで言う『技術』は science-based technology のようなものだから、『科学』によって明らかになったことを『人間社会をよりよくするために』方法化したものが『技術』、かな」

「なるほど」

「うん。だから、『科学』によって明らかになったことと、それを『技術』に変換すること、は別だよね。つまり、『科学』で明らかになったことであるから『技術』に変換しなければならない、というわけではない。『科学』で明らかになったことであっても『技術』にしなくてよい、あるいはしてはならないこともあるんじゃないかな」

「そうだね」

「でも、この本でも批判しているように、『科学』で明らかになったこと=『技術』化してよいこと・『技術』化しなければならないこと、のような理解が蔓延している。また、『科学』の側からも社会の側からも『科学』を『技術』化することを願っているという風潮がある。これは制御してゆく必要があるよね。その歯止めを掛ける役割が哲学にはあるんじゃないかと思うなあ」

「哲学はもともとそういう役割があったと思うよ」

「あ、やっぱり。でも、歴史上の著名な哲学者についての研究は盛んでも、実際にきちんと哲学している哲学者って少ないよね」

「そうそう、少ない」

のような議論と、それから「哲学」と「科学」の相違点、「構成主義」と「社会構成主義」と「構築主義」の異同、知性とは、教育学には方法論がない、だから他の学問領域とのインターフェイスが築けない、などについて意見交換する。


夜。訪問者がひとりずつふたり。「そろそろ帰るわ」と「某氏が近々3人で呑もうって言ってたよ」。

少人数で呑むのは悪くない。きちんと話ができるから。きちんと話ができない呑み会は苦手です。

by no828 | 2008-01-30 21:56 | 日日


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