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思索の森と空の群青

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2008年 06月 03日

わからない理由 わたしが不勉強だから それとも論文自体がわかりにくいから どっちも?



木曜発表の論文に取り組む。社会的企業について、(市民的)公共性の観点から。一応、社会教育学の論文である。

論文はすでに2度読んだが、よくわからない。

論文の内容が理解できていないのか、論理展開が追えていないのか、わからない理由はよくわからないが、いずれにしてもよくわからない。

しかし、内容の理解が深められていない、ということはあろう。

そこで、公共性や市民社会といったテーマの論考をいくつか読むことにする。

……なるほど。

とすると、論文がわからない理由は――わたしではなく――論文自体にある、と言えるのではないか。論理展開がおかしいのではないか。論文の前提がおかしいのではないか。

と考えていたら、勝手な読み方を思いつく。

あ、それならわかる。言いたいことはこれで、論拠はそれ、ということか。

しかし、その読み方だと、論文に書かれていることの大半が不要になる。「言いたいこと」にほとんど関係ないからである。「言いたいこと」につながってくることだけを集めれば、分量はたぶん10分の1ぐらいになってしまう。

誤読?

だが、いまのわたしにはそれ以外の読み方が思いつかない。授業では、「わからない」と結論付けるよりも、「このようにも読める」ということを提示したほうが建設的ではないか。

と言いつつ、「わからない」という思いを断ち切ることができない。わかるように読めばわかるのだが、それはわかりたいがための読み方なのではないか。わたしの「わかる」に無理に当てはめようとしているのではないか。そのような疑念が残る。

すっきりしないのは、おそらく自分の読み方に「自信」が持てないからである。

わからないのは、自分が不勉強だからなのか、あるいは論文自体がわかりにくいからなのか。

自分の理性、自分の勉強量に相当の「自信」がなければ、後者の理由付けは採れない。

わたしは後者の理由付けが採れない。


@自室

by no828 | 2008-06-03 23:15 | 日日


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