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思索の森と空の群青

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2008年 07月 03日

脳への引きこもり

くもり 晴れ間もすこし

今日は17時から、おそらく夜までかかる用事があるので、いまのうちに書いておく。

脳、あるいは脳科学の流行について。

わたし自身の研究テーマとも、また、わたしの生(現実)とも、いまのところ明確なつながりを見出せていないのだが、脳の流行りがすこし気になっている。

詳しくは知らないのだが、日本では書籍やゲーム機(やそれを先導する研究者)を機軸に、脳への関心が高まっているように見受けられる。あるいは、「頭をよくすること」への関心が高まっているように見受けられる。ただ、「頭をよくする/頭がよくなる」とはどういうことか、わたしはよくわかっていない。が、「頭をよくする」ことにみんなが向かっていっているように見える。

それはなぜか、という点も問いとして立てることができるが、今回はそれは問わない(だからといって次回以降で問うかどうかもわからない)。

今回問いたいのは、わたしが感じる脳が流行ることの危険性である。

脳流行の危険性についてはすでに言われていることがあるかもしれないが、何が言われているのかもよく知らないので(先行研究のレヴューが足りない!)、ここは率直にわたしが感じたことを書く。

「脳年齢」というものがあるらしい。ゲーム/テストを受けて自分の脳年齢を計測するというものである(「肌年齢」などと一緒か)。人びとは、自分の脳年齢を若くする、あるいは維持することに励む。

人びとはゲーム機を使って、また、脳に関する本を読んで、自らの脳を鍛えることに邁進する。

それはそれで結構なことかもしれない。だが、わたしはこれが他者との関係性、世界との関係性を断ち切って「自分」に引きこもっているように見える。タイトルにした「脳への引きこもり」とはそういう意味である。他者が何を考えているかはどうでもよい、世界で何が起きているかもどうでもよい、とりあえず「自分」の頭がよくなればよい、そのように見える。(このあたりの議論には、オタクに関する議論で東浩紀が提出した「動物化」という概念が当てはまるかもしれない。)

「脳トレ」の結果、「自分」の頭がよくなったとしよう。彼/彼女らは、そのよくなった「自分」の頭を何のために・誰のために使うのであろうか。わたしはそれを訊きたい。もちろん「自分」のためであろうし、それが悪いとも思わない。もしかしたら「自分」のためによくなった頭を使うことによって、ひいては他者のため、世界のためになるかもしれない。その可能性は残される。しかし、他者との、世界との関係性を断ち切って「自分」に、「自分」の脳に引きこもることで達成された「頭のよさ」が他者のため、世界のために機能する可能性はきわめて低いのではないか。

その可能性は低くてもよいではないか。それのどこが問題か。
「自分」の脳を「自分」のために使って何が悪い、他者のために、世界のためになど使いたくない。
わたしは他者のために、世界のために生きているのではない。わたしはわたしのために生きているのだ。

そのような意見もあろうし、たしかに一理ある。が、一理しかない。しかし、その一理を反駁できる言葉をわたしはいま持ち合わせていない。

ただ、「自分」の脳への引きこもりが、わたしにはあまりたのしそうには見受けられない。

他者とつながること、世界とつながることは、たしかにわずらわしかったりもする。面倒なときもある。でも、ときどき(あるいは、たまに)訪れる「つながっていてよかった」という感覚は、それまでのわずらわしさ、面倒をいとも簡単に乗り越えるようにも思われるのである。


以上のことは、研究室にこもる研究者(あ、わたしだ)にも当てはまることであると思う。


@研究室

by no828 | 2008-07-03 16:45 | 思索


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